第四部「硝煙のむこうに見えるのは」13

 印刷所は騒然としていた。

 納品に向かった装甲書架車が連絡もなく戻ってきて、しかも怪我人を乗せている。そのうえビィカは車を降りるなり、銀猫の護衛たちに警戒の強化を命じた。従業員たちが戸惑うのも無理はない。

 帰還した二人は、臨時中隊指揮所でイアンたちと顔を合わせた。

「…とまあ、そんなところです」

 ビィカはそう言って報告を締めくくった。それから、バツの悪そうな表情でつけくわえる。

「何人かは殺しました。大尉さんの好みじゃねえのはわかってますが…」

「あれはどうしようもない」

 言いよどむビィカの後を、ベラーネク大尉が引き取った。

「やらなきゃこっちがやられる。そういう状況だった。そこは理解してほしい、プロヴァズニーク大尉」

 イアンは渋い顔で聞いていたが、やがて無言でうなずくと、立ち上がった。

「二人がそう言うなら、そうなんでしょう…よく無事で戻ってくれました。ありがとう」

 大尉がうなずき、ビィカが苦笑する。

「こっちからも連絡があります。さっき銀猫から通達があったんですが…ラドヴァン・ドシークがアヴォネクを離れたそうです」

「なんですって」

 ビィカが顔をしかめ、大尉が眉を上げた。

「指揮官が先に逃げたというのか」

「そうらしいです。ホテルの裏口からこそこそ出ていったそうですよ。あの派手な軍服もどきじゃなく、私服でね。しかしこれで、ヴィドラーク騎士団は完全に統制を失った。今日の襲撃もそれが原因でしょう」

「先鋭化がどうとかいうやつですか」

「それどころじゃない。今の状況は先鋭化というより、完全な混乱だ」

「市警はどうしてます?」

「ヴァイダ警部補が言うには、市政府に居座ってた保守党のお歴々も、今日までに全員引き上げたそうだ。数日中にも騎士団の残党狩りを始めると言ってた」

「なら、このまま市警に任せればいいんじゃないかね」

 ベラーネク大尉が気楽に言った。だが、イアンの表情は晴れない。

「今日あんなことをした連中が、このままおとなしくしてるかどうか…もうひと騒動くらい、あるんじゃないかと」

「なるほど」

「じゃ、ここの警備はしばらくこの状態でいいってことですか?」

「頼む。状況も動いたし、そう何日も続くことは無いと思うが…」

「イアンさん!」

 話を遮って、ラティーカの悲鳴のような声が指揮所に響いた。

「どうした」

「見てください!あれ!」

 ラティーカが窓の外を指さす。全員が窓際に駆け寄り、印刷所の正門のほうに目をこらした。

「なんだ、あいつら」

 ホンザが訝しげに言った。

 正門前には、十台以上の車が集まっていた。降りてきた男たちが銀猫の護衛と睨み合う。イアンが顔をしかめた。

「奴らだ。くそ、こっちを狙ってきたか」

「何してるんでしょう」

 ラティーカが不安そうにつぶやく。ベラーネク大尉がイアンに向き直った。

「ウチの兵隊を屋上に上げる。何かあった時に、そのほうがいいだろう」

「お願いします」

 大尉が率いる二六連隊の兵士たちは、万一のためにそれぞれの武器を持参していた。射程の長い歩兵用ライフルで、精度も高い。

 大尉が部屋を出ようとした時、窓際でダリミルが声を上げた。

「あれ!」

 騎士団の男たちが数人、小型トラックの荷台からなにかを下ろしている。灰色の四角い容器には見覚えがあった。

「装甲書架車のケースか?事故った車から盗ってきたのか」

「だとすると、中身は兵隊文庫…ですよね」

 男たちはケースを正門前まで持ってくると、次々に中身をぶちまけた。地面に放り出された兵隊文庫が、小山のように積み上がっていく。

 奥から四角い缶を持った男が進んできた。

「え、ちょっと」

「まさか…」

 隊員たちが動揺の声を上げる。イアンは無言だ。

 男は本の山に、缶の中の液体をぶちまけた。空になった缶を投げ捨て、ポケットからなにかを取り出す。マッチだ。

「やめろ!」

 ダリミルが珍しく大声を上げた。だが、届くはずもない。

 小さな火を、男が指先で弾く。ガソリンを吸った兵隊文庫の山は、瞬く間に燃え上がった。

 部屋の全員が息を呑む。

 だれもが、かつて読んだ新聞の記事を思い出していた。帝国の各地で、幾度にもわたっておこなわれた蛮行。それが今、自分たちの目の前で起きている。それも焼かれているのは、自分たちの作った本だ。

 中隊の面々が呆然と眺める中、ホンザが突然大声を上げた。

「畜生!」

 そう言って身を翻すと、壁にかけてあった槍斧をつかみとる。そのまま駆け出そうとするのを、すんでのところでイアンが止めた。

「おじさん、待って!」

「止めるなイアン!」

 ホンザは禿頭の上まで赤くして、憤怒の形相だ。

「あの外道ども!一人残らず叩き殺してやる!」

「駄目だ!おじさんはここにいてくれ!」

 太い二の腕を掴んで、イアンが静かに続けた。

「俺が出る」

 ホンザが目を丸くした。中隊員たちも同じ顔でイアンを見る。

「無茶ですよ!」

 ラティーカが叫び、ヤーヒムがすぐに言葉をついだ。

「中隊長殿、どうか冷静に。ここは市警に連絡して、その到着を待つべきです」

 イアンは静かに首を振った。

「むこうも警察の介入は想定してるでしょう。到着前に攻めてくるはずだ」

 髪の毛をかき混ぜ、息をつく。

「連中の狙いはカネでしょう。面倒を避けるのに掴ませてましたからね、まだここにあると思って奪いに来た。市警の摘発が始まる前に、それで逃げるつもりだ」

「はした金で味しめやがって」

 ビィカが侮蔑的に吐き捨てる。

「それでどうします」

「…とりあえず、話をしてみるさ」

 ホンザと中隊の面々から、一斉に異論が噴出した。

 イアンはしばらく苦笑いでそれを聞いていたが、やがて両手を上げて言った。

「心配するな。俺だって、ここまで来て死にたかない。大丈夫だよ、策はある」

 注意深くこちらを見ていたビィカとベラーネク大尉に向き直る。

「お二人、途中まで一緒に。万が一の事を確認しておきたい」

「はいよ」

「無論だ」

 呆れ顔の面々から、カルラが前に出た。

「私もご一緒します」

「駄目だ。君もここにいろ」

 彼女の冴えた美貌に凄みが浮かぶ。

「自分は中佐殿から、あなたを守るようにと命じられています。いまここで離れれば、自分は命令を果たせません」

「なんと言おうと駄目だ」

 面倒くさそうに言ってから、声を低めて付け加えた。

「君はラティーカのそばにいろ」

 カルラが虚を突かれたような顔になる。その隙に、イアンはことさら気楽そうに、一同にむけて笑ってみせた。

「それじゃ、行ってくるわ」

 そのまま部屋を出る。ビィカとベラーネク大尉が後に続いた。残された面々は、呆然とそれを見送るしかない。

 足早に廊下を歩く。ビィカが横目で尋ねてきた。

「それじゃ、その策とやらをうかがいましょうか」

「そんなものはないよ」

「だと思った」

 笑って肩をすくめる。

「徒手に無策でごろつき共の相手をしようってのは、見上げた根性だ。陸軍式ってやつですか」

「彼は、陸軍将校としては極めて異質だよ」

 ベラーネク大尉が口を挟んだ。

「いや、異常と言ったほうがいいかな」

「言いたい放題いってくれますね」

 さすがにイアンが嫌な顔をする。

「連中が何を欲しがってるか、それはわかってる。交渉の余地はあると思いますね」

「金を渡して帰らせるか?」

「まあ、子供に駄賃を渡すようにはいかないでしょう。連中にもメンツがある」

 ビィカが鼻を鳴らした。

「野良犬のメンツなんぞ、それこそ犬にでも食わせときゃいい」

 声に剣呑さが増す。右手は短剣の柄にかかっていた。

「俺はね、大尉さん。どっちかと言えば、社長さんの方に賛成ですぜ。今なら、連中を皆殺しにだってできるんです。情勢だって、俺たちに有利な風向きだ…もっとも、大尉さんはそういう事はなさらないんでしょうが」

「理解してもらって嬉しいよ」

 大げさにため息をつく相手に、イアンは続ける。

「これ以上の人死には無しだ。俺たちは本を刷るのが仕事であって、撃ち合いをしに来てるんじゃない。こんな制服を着てても、そこだけは譲るつもりはない。戦争なんぞ、知ったことか」

 ビィカが目をしばたかせた。横を歩くベラーネク大尉が口元に笑みを浮かべる。

「言ったとおりだろう?彼は異常だ」

 処置なし、といった顔でビィカは天を仰ぐ。

「わかりましたよ…しかし前も言いましたが、大尉さんに死なれるわけにはいかねえんだ。何かあったときは、俺はためらいませんぜ」

「そこは私も同じだ。屋上の狙撃隊はいつでも動かせるようにしておく」

「そのあたりはまあ、お任せしますよ」

 エントランスで立ち止まり、イアンは二人に向き直る。

「俺も別に死にたくはないんで。ただ、俺が撃つなと言ったら撃たないでください。それだけはお願いします」

 侠客と将校は顔を見合わせ、仕方ない、という顔でため息をついた。

「手下のところに回ります。くれぐれも早まらねえでくださいよ」

「屋上に行く。配置が無駄になることを祈ってるよ」

 そう言って二人は別れていった。

 イアンは一人、門に向かって歩く。

 受付には、この状況でも人が入っていた。通常通り女性が二人と、棒を持った銀猫の護衛が一人。

 ふと思い立って、コートのベルトを外した。腰に吊っていた拳銃をホルスターごと取り外し、受付のカウンターに置く。

「預かっといてもらえますか」

 受付の美女は驚いたようだが、決然としてうなずき、受け取った。

 イアンは小さく笑い、門を出た。

 コートの内ポケットの辺りを軽く叩き、口の中で小さく独りごちる。

「さあて、どうなるかな…」


 建物から正門までは少し距離がある。それがいやに遠く感じた。早足になりそうなのを抑えて、イアンは歩く。護衛の一人が素早く駆け寄ってきた。

「大尉さん、大丈夫ですかい」

 そう聞いてくる。正門の護衛には、共和国語を話せる者が優先的に配置されている。

「ビィカの兄貴が、大尉さんが命令するまで動くなって言ってるんですが、あんな連中相手に…」

「心配ないよ」

 歩きながら答える。

「話をするだけさ」

 何の思いつきもなく口にした台詞だったが、護衛はなにか感じ入ったような顔になって、あとは黙ってついて来た。

 門の前で睨み合う護衛たちの間を抜けて、イアンは正門から一歩外に出た。

 兵隊文庫の山は、未だに燃えつづけている。煙が鼻をつき、咳き込みそうになるのをこらえた。

 煙の向こうから、騎士団の男たちがこちらを見ていた。ぎらついた、それでいてどんよりとした異様な目つきだ。酒瓶を握りしめている者もいる。

 イアンはしばらく、その異様な一団と対峙した。

 やがて人垣が割れ、別の男が現れた。背が低く、地味な焦げ茶のコートとハンチング帽という服装だ。コートのベルトに、拳銃を抜き身でぶち込んでいる。

 知った顔だった。

「…バルトンとか言ったよな」

 男は応じず、ただイアンの顔を見るだけだ。

「あんたが指揮してるのか?ラドヴァン・ドシークは首都に逃げたって聞いたが」

 厚ぼったい瞼がわずかに動く。やがて、低いしゃがれ声が男の口から漏れた。

「…少佐殿は関係ない」

「見捨てられたんじゃないのか」

「見捨てられた…?」

 バルトンは口元を釣り上げ、さらに数歩、前に出た。煙を上げる本の隣で、二人は睨み合う。

『ここにいるような連中を、今まで誰が拾ってくれたと言うんだ?』

 イアンが息を呑む。王国語だった。

『…あんた、海軍か?』

『二十年いた。これでも曹長まで勤めた身だ』

『何故こんな』

『こんなところで、こんな連中を率いているんだ、か?』

 笑みが大きくなる。苦笑のようにも、自嘲のようにも見えた。

『貴様のような青二才に聞かせてやる義理はない…行き場をなくした、それだけの話だ。この連中と同じようにな』

 笑みが消えた。表情そのもをが無くしたような顔だ。

『お察しの通り、ここにいるのはどうしようもないクズどもだ。軍隊、学校、勤め先、そういうところからこぼれ落ちた連中だ。なにかを恨むより他に、この世に身の置き場がないのさ』

 藪睨みの瞳が、上目遣いにイアンを覗き込む。

『少佐殿が、この連中を使い捨てる気でいるのはわかってた。だからといってこいつらに、他にどんな行き場所があった?どんなにろくでもなくとも、自分たちにはなにかが出来ると信じなければ』

 そこで言葉を切り、顔を歪めた。

『あまりに哀れではないか』

 絶句したまま聞いていたイアンが、ようやく口を開いた。

『それが、この街で暴れた理由か。La lynxを襲ったのも』

 バルトンは答えない。

 イアンが深呼吸する。帽子を取り、髪をかき回して、またかぶる。

『…志願しようとか考えなかったのか。あんたも元兵士だろ』

 今度こそ明らかに、バルトンは嘲笑した。

『騎士団の目的は知っているだろう。帝国による支配こそが、こいつらの待ち望む王国だ。そんな連中が、この戦争を戦う気になると思うか?』

『あんたは信じてるのか、その王国とやらを』

 バルトンの顔から再び表情が消える。イアンは眉をしかめ、吐き出すように言った。

『どのみち、行き場なんかないじゃないか』

『そのとおりだ』

『彼らをどこに連れて行く』

『貴様の知ったことじゃない』

 二人の間に沈黙が降りる。本の燃える音だけが聞こえた。

 寄り集まった男たちが、ひそひそと囁き交わしている。王国語の会話がわからず、不安になっているのだろう。

 イアンが、唐突に両手を上げた。

「内ポケットから物を取りたいんだが、いいかな」

 表情を消したままのバルトンに、重ねて言う。

「武器は持ってない」

「…ゆっくりだ」

 腰の拳銃に手をかけながら答えた。

 イアンは左手は上げたまま、右手をコートの襟元に差し込む。中のものを掴み、ゆっくりとそれを抜き出した。分厚く膨らんだ封筒だ。

 バルトンの視線が、封筒とイアンの顔を素早く行き来する。

「…王国紙幣だ」

 慎重に手を下ろしながら言う。

「あんたがた全員をどこかに逃がせるだけの額はある」

「…どういうつもりだ」

「取引さ」

 バルトンはイアンから目を離さない。右手も銃にかかったままだ。

「そいつを持って失せろと、そう言いたいのか」

「まあそうだが、条件はもう一つある」

 相手の眉間に皺が寄るのを見ながら、イアンは続けた。

「本、まだあるだろ」

 バルトンがちらりと、くすぶる本の山を見る。

「そこで燃えてるやつか」

「そうだ。兵隊文庫っていうんだ。俺たちの仕事さ」

「返してほしいとでも言うのか」

「いや、そうじゃない」

 視線を下ろし、煙を上げる灰の山を見た。顔を上げる。

「持っていってくれ。それで、読んでほしい。それが条件だ」

 バルトンの厚いまぶたが、奇妙な具合に持ち上がった。イアンがいつもの軽口を続ける。

「感想をくれとまでは言わないよ」

 囁き声が大きくなった。イアンの正気を疑うような事を口々に言っている。それでも冷やかしや罵声を上げないのは、バルトンの統制が効いているという事だろう。

 そのバルトンは、じっとイアンの顔を見たまま黙り込んでいる。

 一分近くもそうしていただろう、重苦しい沈黙の中、バルトンは小さく息をつき、口を開いた。

「…わかった」

 イアンの顔に笑みが広がる。

 次の瞬間、バルトンは稲妻のような速さで拳銃を引き抜いた。周囲の誰もが反応できないまま、引き金が絞られる。

 銃声が響き渡った。

 イアンの身体が揺れた。敵も味方も、二人を見守っていた全員が息を呑む。

「撃つなァッ!」

 銃声の次に響いたのは、イアンの絶叫だった。

 左の二の腕、裂けた軍服を染めて、鮮血が滴り落ちている。だがイアンは、バルトンから視線をそらさない。

 そのまま、封筒を前に突き出した。

「…商談成立だぜ」

 煙を上げる銃口を下ろして、バルトンはそれを見つめる。やがて、木の葉でも千切り取るように封筒をつかむと、そのまま踵を返した。

 男たちは狐につままれたような顔をしていたが、バルトンが一声かけると慌てて車に乗り込み始めた。車は次々に走り出し、兵隊文庫を積んだトラックも、そのまま去っていく。

 イアンは傷口を押さえながら、それを見送る。

 最後の一台が街路に消えるのを見届けて、イアンは大きく息をついた。腕の傷がひどく痛む。護衛に付き添われ、ふらつきながら印刷所の方に歩いていく。

「まったく、割に合わねえな、戦争なんてのは…」

 小さく漏らした悪態は、誰にも聞かれることはなかった。

 ふと目を上げる。印刷所の扉が開いて、ホンザと中隊の面々が一斉に駆け寄ってくるのが見えた。

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