第四部「硝煙のむこうに見えるのは」12

「君が『片耳の氏族』というのは本当か?」

 走る車の座席で、ベラーネク大尉が唐突にたずねた。

 ハンドルを握るビィカが、きょとんとして隣の席を見る。

「…なんです、藪から棒に」

 二人は今、装甲書架車の運転席に座っている。兵隊文庫の輸送中だ。これまでイアンが直接向かっていたが、ベラーネク大尉が加わったことでローテーションを組めるようになっている。今日は彼の番だった。

「誰からそんな話を?」

「プロヴァズニーク大尉だ。彼も確証があるわけではない様だったが」

 ビィカが小さく、ああ、と納得したような声を上げた。少し考えて、世間話のように切り出す。

「俺はまあ、臨時雇いみたいなもんです」

「臨時雇い?」

 ハンドルを握ったまま、皮肉っぽく口元を釣り上げた。

「俺は一年のほとんどは、大陸じゅうをうろつき回ってましてね。あちこちの氏族を巡って、頼まれごとを請け負ったり、噂を集めたりするのが普段の仕事です。で、まあ、俺みたいのは『片耳』やら、そこと組んでる連中からしても便利なわけです。得意先の一つ、て所ですかね」

「なるほど。しかしそれだけと言うには、指揮統率も戦術眼も見事なものだ。後ろの彼らを見ればわかる」

 大尉が窓の外を指差す。二人の後続には、ビィカの手勢が車列を組んで続いている。

「お褒めに預かり光栄ですな」

「誰に仕込まれた?まさか士官学校に通ってたわけじゃないだろう」

「名前は言えません。俺らのキャラバンのほかに行き場をなくした、ある男です」

 ベラーネク大尉は無言でうなずく。それを横目で見て、ビィカは続けた。

「戦争がおっぱじまって、あちこち歩き回るのが面倒になってきたんでね。久々にオヤジの顔でも見ようとこっちに来たんですが…そしたらいきなり、陸軍さんの図書館を手伝え、なんて言われて。はじめは何のことかさっぱりでしたよ」

 車列は十字路にさしかかる。古く巨大な車は、軋みを上げながら信号で停まった。

「ルボシュのオヤジもね、あれで昔は『悪魔』なんて呼ばれた男だったそうですよ。それが、うしろに積んでるあの本を見て…まあ、信心でもおこしちまったんですかね」

「意外だね。温厚な人物に見えたが」

「アヴォネクで銀猫を束ねてるんですから、腹の黒さは俺なんぞ足元にも及びませんよ。それがまあ…」

 信号が青に変わり、エンジンが再び轟いた。ハンドルを右に切りながら、ビィカは不愉快そうに口元を捻じ曲げている。

「親戚筋やら、俺の手下なんかにね、俺にオヤジの跡目を継がせようっていうアホがけっこういるんですよ」

「ほう」

 大尉が面白そうに声を上げた。ビィカの口元がいっそうねじ曲がる。

「大親分じゃないか。不満なのかね?」

「冗談じゃない。茶飲み話とそろばんだけの人生なんざまっぴらですよ」

 めずらしく不愉快そうなビィカの表情に、ベラーネク大尉が笑い声を上げた。

「そういう意味じゃ、今度の戦争は本当に、迷惑以外の何物でもないんでさ。親分の椅子に縛り付けられる前に逃げ出さねえと…俺の人生、あんたがたにかかってるんですぜ」

 助手席で笑う大尉を、恨めしそうに見る。

「早いとこ勝ってくださいよ、戦争」

「ご期待に添えるよう、努力するさ」

 大尉がそう答えると、突然、運転席の屋根を誰かが叩く音がした。割れ鐘を叩くような音が、二回、二回、四回というリズムで車内に響く。ビィカの耳がぴんと立った。

「旦那、頭を下げてください」

「どうした」

 装甲ドアに身を隠しながら、ベラーネク大尉が尋ねる。

「尾けてくるのがいます。車が四台」

「仕掛けてくる気か?どこまでも迷惑な連中だ」

 そう言いながら、ベラーネク大尉は座席の下にかがみこんだ。取り出した布包みを手早く開く。現れたのは、陸軍制式の短機関銃だ。ビィカが目を丸くする。

「よくそんなもの持ち出せましたね」

「何事にも、方法というのはあるものだ」

 弾倉を挿しこみ、レバーを引いて装弾する。

「無論、使わずに済ませたいところではあるがね」

「向こうの出方次第ですが…」

 ビィカはハンドルから片手を離し、ドアを細く開けて背後を伺った。

「そっちも見てもらえますか」

 大尉が同じようにドアを開けて覗き込み、すぐに閉める。

「それらしいのが二台」

「こっちもです。両側についたってことは、やる気でしょうな」

 大尉が忌々しげに息を吐く。

「先手を取るかね?」

「こっちからは手を出すなってのが、大尉さんの方針です」

「いいのかね、部下に危険が及ばないか」

「俺の手下はそこまで間抜けじゃありません…来ましたぜ」

 ビィカがハンドルに覆いかぶさるように身を沈めた。

 エンジン音の向こうに、接近する車の音が聞こえ始めた。二人はしばらく無言でそれを聞く。出し抜けに、鼓膜がしびれるような音が車内の空気を叩きつけた。大尉の側の装甲ドアがわずかに震える。

 立て続けに、同じ音がもう一度。金網をかぶせた小さな窓にヒビが入る。

「鹿撃ち弾ですな」

 さして驚いたふうもなく、ビィカが見立てる。

「反撃するぞ」

「お願いします」

 大尉が、走る車のドアを蹴り開けた。

 冬の風が車内に吹き込む。真横につけた乗用車の助手席で、中折式の散弾銃を装填する男がいる。狭い車内で手こずっているらしい。

 ベラーネク大尉は短機関銃を素早く構える。車内の人間には目もくれず、ボンネットに向かって掃射を浴びせた。火花とともに穴が開き、白煙が吹きだす。

 失速した乗用車はそのまま道をそれていく。路肩の街灯に激突した時には、大尉はすでに座席に戻っていた。

「お見事!」

 ビィカが楽しげに声を上げた。だが大尉の方は、慌てた様子でコートの襟周りをまさぐっている。

「どうしました?」

「うむ、いや…ああ」

 何かをつまみ出して安堵の息をつく。空薬莢だ。

「跳ねたのが襟に飛び込んだ。火傷はしてないようだが…」

 ビィカがけらけらと笑う。その途端、今度は運転席側のドアが音を立てた。先程よりは小さい音だ。

「拳銃だな」

「任せてくだせえ」

 ハンドルから離した右手で、腰のベルトからリボルバーを引き抜く。そのままドアを押し開けた。

 重く響く銃声に、大尉が眉をしかめる。

 片手でハンドルを握った不安定な体勢で、ビィカは二発をエンジンに、一発をタイヤに命中させていた。バランスを崩した乗用車は、そのままスピンして視界から消えていく。何かにぶつかる音が聞こえた。

「ざっとこんなもんで」

 ドアを閉めて得意げに言う。

「いい腕だ。しかし凄い銃だな」

 感心と呆れが入り混じった口調で、ベラーネク大尉が言う。ビィカが拳銃を持ち上げて見せた。

「この手の拳銃は、自動式より装薬が多い。新大陸じゃ、そういうのが売れるらしいですよ」

「ほお」

 二人の無駄話に、外からの銃声が重なった。

 先頭車が口火を切ったことで、ビィカの手下も反撃を開始したらしい。断続的に銃声が聞こえてくる。

「その機関銃で援護できませんか」

 ビィカの提案に、大尉は渋い顔で答える。

「さっきは至近距離だったからうまくいったが、ここからだと流れ弾が市街に飛び込む。それはまずいだろう」

「良識があると損をしますな」

「ここが前線なら、何も気にすることはないがね」

 軽口を叩きつつ、二人は交互に後ろを確認しつづける。ビィカがドアを細く開けて覗き込み、妙な声を上げた。

「おい?」

「どうした」

 最後尾の車両に並走していた騎士団の車が突然コントロールを失い、そのまま装甲書架車に激突した。

 最後尾は相手の車を弾き飛ばしたが、どうやら前輪を破損したらしい。車体がぐらりと傾いたかと思うと、火花を散らしながら横転した。

 すさまじい破砕音が二人のところまで届く。

 ビィカが小さく悪態をつく。そのまま、大音量のクラクションを二度押し込むと、背後を見ながらブレーキをかけた。

 後続の車両も彼の意図に気づいた。タイミングを合わせて次々と停車する。ビィカは運転席を飛び降り、ベラーネク大尉もそれに続いた。

 後続の車からも乗員が飛び降りてくる。ビィカが彼らの言葉でなにか指示を飛ばすと、手勢の半分がすばやく散っていく。おそらく付近の警戒に当たるのだろう。その統率力に、大尉は舌を巻く。

 横倒しになった車両に駆け寄ると、すでに他の手勢が救護にとりかかっていた。一人がビィカに走り寄り、早口でなにか報告する。一通りそれを聞いて、大尉の方に向き直った。

「車内の二人は大したことありませんが、荷台に乗ってたほうは二人とも足を折ってます。手当がいりますね」

「敵の方は。残りはどうしたかな」

「事故ったほうは死んでます。残りの一台は、仲間が吹き飛ぶのを見て逃げたようですな。好都合だ」

 そう言って、ベラーネク大尉の顔を覗き込む。

「どうします」

 大尉は辺りを見回す。横倒しになった装甲書架車、その横で、苦しげに路面に倒れ込む護衛たち。唇を舐め、息を吐く。

「一度、印刷所に戻ろう。この車はそのままにして、まずは怪我人を戻す。回収はその後で考えよう」

 ビィカが納得したようにうなずく。

 そのとき、見張りの一人が何かを叫んだ。ビィカが顔色を変えて駆け出す。後に続いた大尉は見張りの指差す方を見て、大きく顔を歪めた。

 乗用車や小型トラック、オートバイなどの雑多な集団が、排煙を上げてこちらに向かってくる。車から身を乗り出す男たちは、手に持った凶器を振り上げ威嚇の叫びを上げていた。その中に尾けてきた一台を見出し、大尉が舌打ちする。

「最初の四台は斥候というわけか。してやられたな」

「上等ですよ」

 ビィカが獰猛に笑う。そのまま、彼らの言葉で手勢に命じた。

『印刷所に帰るぞ!怪我人を車に乗せて、運転手は配置にもどれ!残りは俺に続け!あのクソどもを近寄らせるな!』

 部下たちが素早く動く。大尉はそれを横目に、短機関銃の薬室を確認しながら言う。

「こうなっては致し方ないな」

「大尉さんにゃ悪いが、こいつはもう収まりゃしません」

 ビィカは拳銃のシリンダーを開き、撃ち終えた空薬莢を放り出すと弾丸を込め直した。銃を振り、シリンダーを戻す。

「やるしかねえでしょ」

「前線式にやるとするか」

 ビィカの手勢が配置についた。騎士団の車が騒音を上げて迫る。

 大尉が目配せし、戦列から数歩、前に出た。

 そのまま短機関銃を構え、薙ぎ払うように掃射する。

 わずかに狙いを下げた掃射は相手の足元で弾け、バンパーの下をかすめた。最前列の車が急ブレーキをかけ、後続がそこに突っ込んだ。身を乗り出していた連中が、悲鳴とともに車から振り落とされる。

 悠然と弾倉を交換する大尉の横で、ビィカが号令した。

『テぇっ!』

 射撃が始まった。ビィカの手勢は間断なく、タイミングを合わせて撃ち続ける。慌てて車の陰に隠れた騎士団員は、そのまま釘付けにされ動けない。

 敵側の銃撃は散発的だ。物陰から猟銃を向けた男が、引き金を引く間もなく肩口を撃ち抜かれた。銃を持った相手を優先的に狙っている。スコープの乗ったリボルバーが役に立っているようだ。

 ビィカは背後を伺う。装甲書架車のクラクションが響いた。うなずき、銃声をつらぬく大声で叫ぶ。

『順に車にもどれ!乗った車から離脱しろ!援護する!』

 隊列を少しずつ後退させながら、護衛たちが装甲書架車に飛び乗る。

 減っていく人数を補うように、銃撃の間隔が狭まっていく。空気を震わせる銃声のなか、地面に落ちる薬莢の音だけが涼しげに響く。

 装甲書架車は半数が離脱した。引き金を引き続けながら、この調子なら、とビィカが考えた矢先、騎士団の車の間から何かが飛んできた。

 全員が身を引いた次の瞬間、くぐもった破裂音があたりに響いた。目の前に黒煙とオレンジ色の炎が立ち上がる。火炎瓶だ。

「やつら、こんなものまで…!」

 大尉が吐き捨てるように言う。その間にも次々と火炎瓶が飛んできた。炎と煙が視界を塞ぐ。怯む手勢をビィカが叱咤する。

『撃ち続けろ!狙いは大体でいい!』

 彼の声に、銃撃が再開する。だが、その間の隙をつかれた。騎士団側の車列から飛び出したオートバイが、槍試合よろしく鉄パイプを掲げて突っ込んでくる。

 ビィカは顔の前に手をかざし、オートバイの方を見据えた。

 炎の壁を突っ切って、オートバイが殺到する。鉄パイプを振り上げた男の、血走った目すら見て取れた。外れる距離ではない。ほとんど機械的な動きで、ビィカは男に二発の弾丸を叩き込む。

 男は吹き飛び、路面に叩きつけられた。ビィカの真横を、主を失ったオートバイが火花を上げて滑っていく。

『次が来るぞ!』

 護衛たちの一人が叫んだ。

 今度は小型の乗用車が、こちらに向けて走り込んで来る。弾切れの銃を握ったビィカが舌打ちした。

 タイヤやフロントガラスに穴を開けられながらも、車は止まらず炎の壁を突っ切った。ドアを蹴り開け、中から三人が飛び出してくる。一人は車内で死んでいた。

 意味のわからない雄叫びを上げ、大ぶりの斧をもった男がビィカに襲いかかる。

 その時にはもう、ビィカは短剣を抜いていた。男の懐に踏み込むと、肘を押さえて動きを止め、下から突き上げるように短剣を刺しこんだ。

 声も上げず、男が力なく倒れる。そのまま、ビィカはもう一人に飛びかかった。男は拳銃の引き金を引くが、射線から巧みに身をかわすビィカにはかすりもしない。そのまま、振り抜いた短剣が男の腕の腱を切った。

 男は悲鳴を上げてその場にしゃがみ込む。ビィカはそれを冷たく見下ろし、そのまま首を刺し貫いた。

 男が血溜まりの中に倒れ込んだ時にはもう、三人目も護衛たちの銃撃で息絶えていた。

 だが、正面への銃撃が薄れたと見て、騎士団が前進し始めた。態勢を立て直した車を前面に立てて押し寄せてくる。

「クソが」

 悪態をついて、ビィカが弾を込め直す。ベラーネク大尉がその前に立った。

「俺がやろう」

 そのまま短機関銃を全自動で薙ぎ払った。車列が急停止し、徒歩の男たちが慌ててその陰に隠れる。ビィカが口の端で笑った。

「便利なもんですな」

「軽機関銃のほうが適切だったな。持ってくるべきだった」

 弾倉を交換しながら、平然と言う。

 装甲書架車は残り二両。その陰に隠れながら、ビィカは手勢の一人に命じる。

『お前、先頭車のエンジンもかけておいてくれ。それが済んだらすぐ逃げろ。後は引き受ける』

『わかりやした。死なねえでくださいよ』

『俺を誰だと思ってる。行け!』

 護衛が走り去る。間をおかず、二両の装甲書架車からエンジン音が聞こえてきた。そのうち一両が、装甲板に火花を散らしながらゆっくりと動き出す。

「さて、俺らもそろそろ引き上げますか」

「賛成だ。君、さきに乗れ。援護する」

「じゃ、お言葉に甘えて」

 ビィカが素早く運転席に駆け上がる。

 抵抗が無くなったと見て、騎士団が最後の一両に向けて押し寄せてきた。車のステップに足をかけたまま、大尉はそれを睨みつける。

 ビィカがアクセルを吹かした。それを合図に、大尉が引き金を引く。

 今度は威嚇のつもりはなかった。胴体の高さを狙って、横一列に掃射する。車列のフロントガラスが砕け散る。悲鳴とともに、侵攻が止まった。

 大尉が助手席に飛び込む。ドアを閉める間もなく、ビィカが荒っぽく車を発進させた。

 散発的な銃声を背後に聞きながら、ビィカが大きく息をつく。

「やれやれ。なんとか逃げおおせましたね」

「ああ」

 大尉はそう言って、短機関銃の弾倉を引き抜く。

「最後の一本だった。すこし撃ちすぎたな」

「前線じゃ、ああいう仕事をなさってたわけですか」

 おどけたように尋ねるビィカに、大尉は面白くもなさそうに答える。

「あの程度なら、楽な方だね」

 ビィカが声を上げて笑った。

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