第四部「硝煙のむこうに見えるのは」11

「君のところの連隊長というのは、いったい何者だ?」

 紅茶をすすりながら、ベラーネク大尉は胡散臭そうに言った。

 臨時中隊指揮所でのミーティングに、彼も同席している。後ろには、いかにも歴戦という雰囲気の曹長が、いかめしい髭面で部屋を見渡していた。

「今朝、俺の中隊に君らへの協力命令が下った。再会して三日もたたずにだ。どういうカラクリか、教えてくれんか」

「お答えしたいのは山々ですが…実のところ、俺もよく知らないんですよ」

 角砂糖をカップに放り込みながら、イアンは苦笑いで応じる。

「ただ、詮索しないほうがよさそうな部署と縁が深いのは確かなようです」

「…そりゃ、ご忠告どうも」

 カップを置き、腕を組んで椅子にもたれる。

「まあいいさ。再編中とはいえ、兵たちをぼうっとさせておくのも良くない。気分転換がいると思ってたところだ…本の積み込みの手伝いだろ?」

「それとあの店の警備です。こっちは私服で」

 ふむ、と大尉は鼻を鳴らす。

「あの襲撃みたいなことが、またあると?」

「そうならないために詰めてほしいんです。抑止力ってやつで…パストレク氏は『最大限に歓迎する』と言ってます。まあ、休暇だと思ってくれれば」

 大尉は思案顔で顎を撫でる。やがて、背後に立つ曹長に顔を向けた。

「ジガ曹長」

「はっ」

「店の方は任せる。防衛策を練って兵を置け。粗相させるな」

「了解しました」

 曹長は踵を鳴らす。イアンが微笑んだ。

「ご協力感謝します」

「任務だよ。だがまあ、君とは縁がないわけでもないし」

 目を伏せ、湯気を上げるカップを眺める。

「君は、ルドルフと最後に話した将校だからな」

 隣でラティーカが身を固くするのがわかった。イアンはまっすぐにベラーネク大尉を見る。

「…彼はどんなふうに」

「俺もよくはわからん。だがあの時、敵の動きが明らかに鈍った瞬間があった。その隙に味方を集めて退いたんだが…そのとき、小隊の兵士が、ルドルフを担いで最後の車に滑り込んできた」

 カップから目を離さず、淡々と続ける。

「衛生兵は一目見て首を振ったよ…砲弾の破片が心臓に突き刺さってた。まあ、遺体を持ち帰れただけ幸運さ」

 大尉は目を上げ、中隊の面々を見回した。口元に寂しげな笑みがある。

「兵隊文庫の、あの民話集な。あれを見た時は、正直泣けてきたよ。あいつには、勲章のほかに残せるものがあったんだってな」

「…正式に出版される本には、彼への謝辞と追悼文が載る予定です」

「そうか」

 イアンの言葉にうなずく。

「そりゃ良かった…ここ最近聞いた中じゃ、一番いい話だ」

 大尉の言葉に、全員が黙り込む。そこへ唐突に、ドアをノックする音が響いた。

「どうぞ」

 ヤーヒムが声をかけると、ドアからビィカが顔を出した。

「妙な客が来てますぜ」

 そう言う表情はいつになく固い。目の奥に、隠しきれない殺気がちらついている。

「誰だ」

「騎士団の親分でさ。取り巻きを五、六人連れて、いま社長さんと押し問答の最中だ」

 部屋に緊張が走った。カルラの目に、ビィカと同じような殺気がひらめく。ラティーカが心配そうにそれを見上げる。

「俺が出る。みんなはしばらくここから出るな。中尉、君はここを頼む」

「…了解しました」

 滲み出す怒りを抑えて、カルラは低く答えた。イアンはベラーネク大尉に向き直る。

「大尉、同行をお願いできますか」

「わかった。曹長、行くぞ」

「はっ」

 踵を鳴らすジガ曹長をつれて、二人は席を立つ。見送る中隊員たちを残し、部屋を出た。

「表にいるのはホンザおじさんと、あと誰だ?」

 足早に歩くイアンに、ビィカが答える。

「オヤジの所の若い奴が五人ほど。それと、見えない位置から俺の手下に見張らせてます」

「騎士団の親玉といえば、あのラドヴァン・ドシークだろう?」

 ベラーネク大尉が訝しげに言った。

「一体なんの用だ?」

「前に、兵隊文庫を乗っ取りに来たことがあったんですよ。追い返しましたけど」

 大尉が、ほう、と声を上げ、ビィカが片眉を上げて見せる。

「ほら、首都じゃ選挙に向けて、保守派が兵隊文庫に難癖をつけてるでしょう。その絡みもあって、目をつけられてるみたいなんです」

「面倒なことに巻き込まれたものだな」

 ベラーネク大尉が同情したように言った。横からビィカが口を挟む。

「一応言っときますが、この場でその面倒を片付けちまうのも可能ではありますぜ」

「それは無しだ」

「そうでしょうとも」

 肩をすくめるビィカに、イアンは続けた。

「面が割れてると面倒な事になりかねん。襲撃に居合わせた者は前に出ないよう頼む…君も下がっててくれ」

 つまらなそうにため息をついてから、ビィカはうなずく。

「仕方ない、隠れて見てますよ…しかし、連中がなにかしでかそうとしたら、迷わず撃ちますからね。あんたに死なれちゃ、俺がオヤジに殺されちまう」

 そう言い残して、ビィカはイアンたちと別れた。入れ替わるようにベラーネク大尉が尋ねてくる。

「前から気になってたが、あの男、パルチザンかなにかか?」

「『片耳の氏族』ですよ。たぶんね。聞いたことありません?」

 大尉が目を丸くした。

「どうも、なかなか刺激的な部署らしいな、図書館連隊っていうのは」

「二六連隊の中隊長にそう言われるとは、光栄ですね」

 軽口を叩き合いながら、二人は印刷所を出た。

 正門前に人だかりができている。背の高い禿頭はホンザだ。長大な槍斧を今日も担いでいる。その周囲に、棒をもった毛耳族の男たち。

 彼らと睨みあっているのは、やたらと目立つ集団だった。黒を基調にした軍服もどきを全員で揃えている。ひときわ長身の男には、帽子や肩に銀糸の飾りがあった。ラドヴァン・ドシークだ。

「あの格好、何のつもりかね」

 ベラーネク大尉が呆れたように言った。

「冬至祭の仮装行列か?」

「自分の軍隊を作ったつもりなんでしょう。前線にも行かずにね」

 前線帰りの大尉が鼻で笑う。

 二人は足早に人だかりの方へ向かった。ホンザが背中越しに言う。

「お前は来なくていいぞ、イアン」

 槍斧の柄を握りしめたホンザは、暴発寸前といった表情だ。

「こんな奴ら、俺が叩き出してやる」

「そうもいかないんだよ、おじさん」

 イアンはなだめるように言って、前に出る。

「この人達は俺に用があるんだ…そうでしょう、ドシークさん」

 黒い帽子の陰で眉間に皺が寄る。イアンを睨みつけて、ドシークが口を開いた。

「やはり君か、大尉」

「ご無沙汰してます」

 イアンはドシークの取り巻きたちに目を走らせる。子飼いの部下は元兵士を揃えているというのは本当らしい。街をうろつく連中とは顔つきが違う。中の一人、ドシークが秘書だと紹介したバルトンという男は、先程からせわしなく周囲を見回している。

「それで、なんのご用です?」

「こいつら、ここで俺たちが、てめえらの仲間を監禁してるとかぬかしやがるんだ」

 ホンザが吐き捨てるように言う。

「先日の、売春宿での騒ぎは聞いているだろう」

 ドシークが一歩前に出た。取り巻き達が彼を守るように動く。

「乱闘に巻き込まれた団員二人の行方がわからなくなっている。その事で、ちょっと話を聞きたいと思ったんだがね」

「知らねえって言ってるだろうが」

 凄むホンザの横で、イアンは冷ややかな声で答えた。

「何故それが、ヒネク印刷と関係があると?」

「見ればわかる事じゃないかね」

 毛耳族の護衛たちに目をやる。

「こちらの会社は放浪民のコミュニティと関係が深いようだ。それに、店で軍服の人間を見たという話も聞いている」

「このご時世です。兵隊が出入りしてない店の方が少ないでしょう」

「確かにそうだろう。だが、軍人と放浪民、両方の出入りがある民間企業は多くない。ここは最近になって警備が厳重になり、しかもそれが放浪民の手でおこなわれている…疑われるに足るとは思わないかね」

 ドシークと手下たちが、一斉にイアンを睨みつけた。剣呑な視線にうんざりしながら、イアンは答える。

「いちいち反論してもいいんですが、あなたたちが聞きたいのはそういう話じゃないんでしょ…なにがお望みです」

「会社の敷地を改めさせていただこう」

「冗談じゃねえ!」

 隣でホンザが吼えた。

「何度でも言うがな、てめえらみたいなチンピラ、ウチのものには紙一枚も触らせねえ。尻尾巻いて、とっとと失せろ!」

 鬼の形相で迫るホンザの腕に触れ、イアンがなだめる。そのまま口を開いた。

「言い方は悪いが、おじさんの言う通りだ。あんたたちは警察でも兵士でもない。なんの権限があって、そんなことが可能だと思うんです?」

「真実を求める一市民としての行動だ」

「答えになってませんね」

 冷たく言い放ってから、イアンは口元を歪ませる。

「見学をご希望だって言うなら、受付にどうぞ。最新の印刷技術をご覧に入れますよ。もちろんガイド付きでね」

 イアンの皮肉に、ホンザが猛犬のような獰猛さで笑った。ベラーネク大尉が呆れたように天を仰ぐ。

 ドシークの取り巻きたちが、腰に挿した棍棒に手をかけた。本人は怒りに青ざめた顔でイアンたちを睨み据えていたが、なんとか平静を保ったらしい。わざとらしく咳払いをする。

「…ところで、そちらの大尉殿はご紹介いただけないのかね?」

 イアンがちらりと大尉の方を見た。彼は仕方がない、という顔で前に出ると、ドシークに向かって敬礼する。

「陸軍歩兵第二六連隊第二大隊、マトウシュ・ベラーネク大尉です」

 ドシークの眉がわずかに動く。周囲を伺うバルトンの視線が、一瞬だけこちらを向いた。

「精鋭と名高い二六連隊か。お会いできて光栄だが、なぜこんな所に?」

「わが連隊は現在、アヴォネクにて休養および再編の最中です。自分の中隊は図書館連隊への応援を下命され、目下、その任についております」

 大尉の淀みない返答を聞いて、ドシークの表情が一瞬、怯んだ。背後のバルトンに首をめぐらす。寡黙な秘書は、かすかに首を横に振った。

 ドシークは小さく舌打ちする。

「…どうも今日は、話し合いができる雰囲気ではないようだ。日を改めるとしよう」

 低い声で吐き捨てた。取り巻きの一人が、門の前に停めた車に駆けていく。ホンザが鼻で笑い、ベラーネク大尉が息をついた。

「プロヴァズニーク大尉」

 去り際、ドシークがイアンに声をかけた。

「世間は戦勝に沸いているが、こんなものは一時の勝利に過ぎん。君も祖国を思うなら、前線部隊にでも志願したまえ。こんな、兵士にとって有害極まる本など捨ててね」

 イアンは一瞬、呆気にとられたような顔をした。その口元が歪み、肺から絞り出すような、掠れた笑い声が喉から漏れる。

 怪訝な顔をするドシークに、イアンは投げつけるように言った。

「そう、もちろん有害さ。地雷並みに有害だ…でもね、これが俺の任務なんだ。少なくともこの仕事だけはやり遂げるって、俺は決めたんだよ」

 笑いを収め、断言する。

「それを邪魔する権利は、あんたには無いよ。『元』少佐殿」

 ドシークの目が釣り上がる。髪の毛まで逆立たせるような怒りの空気が、全身から吹き上がった。取り巻きが身構え、毛耳族の護衛たちが油断なく散開する。ホンザが槍斧の石突を地面に叩きつけ、ベラーネク大尉が腰のホルスターに手をかけた。

 張り詰めた沈黙が、冷たい空気の中に満ちる。

 重く長い数秒間を打ち切ったのは、ドシークの方だった。無言でコートの裾を翻し、車に向かう。取り巻きたちも、渋々とそれに従った。バルトンは最後までこちらから目を離さない。

 騎士団の車が走り去って、ようやく全員が息を吐いた。ホンザが嬉しそうにイアンの背中を叩く。

「いい啖呵だったぞ!頭でっかちの子供だと思ってたが、すっかり肝が据わったな!」

 ホンザの称賛を苦笑いでやり過ごす。

「おじさんもお疲れ様。それじゃ、仕事に戻るよ」

「おう、そうだ。業務再開だ」

 中世の傭兵よろしく、槍斧をかついで駆けていくホンザを見送って、二人は指揮所に戻る。途中、ベラーネク大尉が尋ねてきた。

「あのとき酷い目にあってた騎士団の二人、結局どうしたんだ」

「闇医者の所に入院してます。まあ、あの一件がなくても、あいつらはここに来たでしょうがね」

「連中は役所じゃない。証拠なんぞ無くても、その時の気分でどうとでも動くさ…しかし分からんな」

 大尉は歩きながら顎を撫でる。

「連中、いったい何をしに来たんだ?ごろつき二人を取り戻すのに、騎士団長様がみずからお出ましになる理由があるか?」

「中央党の立場が怪しくなって、浮足立ってるんでしょう。戦争に勝ち目が出てきたとなれば、連中はお払い箱ですからね」

 ベラーネク大尉の視線を受けながら、イアンは続けた。

「自分から出向いて脅しをかけて、あわよくばなにか譲歩を引き出してやろうって魂胆だったんじゃないかと。低下した士気を回復するには、戦術的な勝利が必要だ…違いますか」

「言うほど簡単じゃないがね。しかし、譲歩?」

「カネをせびるか、印刷所で暴れるか…言ってませんでしたが、ウチは兵隊文庫の輸送を円滑にするのに、騎士団の末端に金を撒いてます。そのへんの話を聞いて、弱腰と思われたのかもしれません」

 ベラーネク大尉が目を丸くした。イアンは慌てて付け加える。

「もちろん、俺が軍服のまま渡してるわけじゃありませんよ?ビィカを通してやってるんです」

「これは驚いた」

 大尉はイアンの顔をまじまじと見つめ、真剣な口調で尋ねた。

「君、本当の所属は諜報部じゃないだろうな」

 とうとう三人目から同じことを言われて、イアンは脱力した。

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