第四部「硝煙のむこうに見えるのは」7
パラン銀行アヴォネク中央支店の貸金庫で、イアンとラティーカは言葉を失っていた。
貸金庫は、大口顧客向けの個室型だった。造り付けの引き出しを開いた二人の顔を、黄金色の光が照らし出している。
「わたし、金の延べ棒って初めて見ました…」
「俺もだよ」
呆然とした口調で話しながら、二人は引き出しの中を眺めた。二十本の金塊が、そこに整然と並んでいる。
「隠し資金って聞いた時から予想はしてたが…諜報部ってのは、普段何やってるんだろうな」
「イアンさん!こっち!」
隣の引き出しを開けたラティーカが興奮した声を上げる。覗き込んだイアンは、思わずうめき声を上げた。
びろうど張りになった引き出しの中に、透明に輝く小さなものが整然と並んでいた。
「ダイヤモンドだ。五十カラットぶんはあるな」
「すごい…」
呆然と頬を紅潮させるラティーカとは対照的に、イアンは渋い顔で息を吐く。
「ちょっと扱いづらいな 、こういうのは。共和銀行に預けてあった王国紙幣のほうが、使う分には楽だ。銀猫なら捌くルートは持ってるだろうが…」
「イアンさん!こっち真珠とサファイアですよ!すごい大きいの!」
「おい、ちょっと落ち着け」
はしゃぐラティーカをたしなめながら、一通り調べて部屋を出る。ドアの前で警戒していたカルラを連れて銀行を出た。
車に向かう途中、ラティーカがイアンに尋ねる。
「でも、あんなお金どうするんですか?まだ亡命するわけじゃないんでしょう?」
「金ってのは、あればあるほどいい。特に、帳簿につける必要が無いたぐいの金はな」
車のドアを開け、乗り込む。反対側から入ってきたラティーカに、そのまま続ける。
「おじさんも銀猫も自腹で協力してくれてるが、何もかも頼りっぱなしってわけにもいかない。特に銀猫だ。ルボシュさんを信用してないわけじゃないが、組織の全員が彼と同意見って事もないだろう。個人レベルで必要になるかもしれん」
運転席のドアが開き、カルラが乗り込んできた。キーを捻り、エンジンをかける。
「それに首都の状況次第じゃ、紙やインクの調達もどうなるかわからん。中央党がそっちから圧力をかけてくるかもしれんからな。最悪、ヤミで仕入れる算段も考えとく必要がある」
「ひょっとしてわたし達って、けっこう恨まれてるんですか?」
「逆恨みだよ。東洋にそういう言い回しがあったろ。司祭を憎む者は法衣まで憎む、とかなんとか」
「なんですか、それ」
車が走り出し、駐車場を抜けていく。ハンドルを握るカルラはサイドミラーを一瞥すると、最初の交差点を右に曲がった。
しばらくまっすぐ走ると、次の角をまた右に曲がる。その先でさらに右に折れて路地に入った。
「おい、どうした?」
さすがに不審に思ったイアンが運転席に顔を寄せる。サイドミラーに注意深く目を配りながら、カルラは答えた。
「ついてくる車がいます」
「なんだと?」
振り返って背後の窓を覗く。
「茶色の四人乗り。足回りが泥でひどく汚れています」
「…あれか」
イアンが呻く。
街路は軍用車ばかりで、一般車は極端に減っている。見つけるのは容易だ。二十メートルほどの距離を取ってこちらについてくる。
「何の用かね…」
「隠密尾行という感触ではありません。何も考えず、ただついてきているだけです。銀行を出たところからですので、おそらく、物取りかと」
イアンが脱力してシートに沈み込む。入れ替わるように、ラティーカがおっかなびっくり窓を覗き込んだ。
「騎士団だと思うか?」
「街の状況と警部補の話を聞く限り、おそらく」
「クソが」
毒づいて、右手で顔を覆う。
「撒けるか」
「可能ですが、目立ちます。あれを撒いても、他の連中の興味を引いてしまう結果になるかと。市警の介入も招きます」
「ヴァイダ警部補に面倒かけるのも悪いしな」
「…自分に任せていただけませんか」
イアンは運転席を睨んだ。見えるのは、座席からはみ出す黒い毛皮の耳だけだ。
「やれるのか」
「問題ありません」
しばらく黙り込み、考える。ラティーカの緊張した視線を横顔に感じた。
「一つ条件がある」
「なんでしょう」
「殺すな」
「了解」
短く答えたカルラは、唐突にハンドルを左に切った。相手からつかず離れず、より細い裏路地へと入り込んでいく。やがて、タイヤをきしらせながら停車したのは行き止まりだった。
「二人は外に出ないでください」
そう言ってドアを開ける。降りぎわ、張り詰めた顔のラティーカを見て、
「…心配ない」
とだけ言った。
ドアを閉めるのと同時に、尾行車が追いついてきた。荒っぽく車を停め、四人の男が降りてくる。
着膨れた、服装のまちまちな男たちだ。それぞれ鉄棒、斧、鉈を手にぶら下げている。ひとり丸腰に見える男が前に出て、口笛を吹いた。
「おい、耳付きだぜ」
他の三人は応えるように、下品な笑い声を上げる。
「けだもの風情が、気取ったなりしてるじゃねえか」
「どこの飼い犬か知らねえが、そんな服着て銀行に出入りしてるんだ。さぞかし綺麗な犬小屋に住んでるんだろう」
細く開けた窓からやりとりを聞いているイアンが、自分のジャケットの襟をいじる。
三人とも、今日は軍服ではない。銀猫に調達してもらった私服を着ている。身元を隠せれば何でもいいと考えていたが、送られてきた衣類はどれもかなりの上物だった。
「つまり、こんなもん着てたから目をつけられたわけか」
自分のなりを見下ろして、肩をすくめる。
「いい服着るのも考えもんだな」
「わたし、こんなの初めて着ましたよ」
「…なんの用だ」
冷たく澄んだカルラの声が響いて、二人は外の声に耳をそばだてた。
「まあそうツンケンしなさんな…俺達は、ヴィドラーク騎士団ってもんだ」
丸腰の男が一歩前に出る。
「不安に怯える銃後の市民を、守り導く羊飼い。それが俺達だ。真に国家を憂う愛国者。そうだろう、お前ら」
首をめぐらし、後ろの仲間を見る。笑い声と同意の言葉が上がった。
「耳付きのねえさんよ、あんたもどうせ、あの保護法のおかげでぬくぬく暮らしてるんだろう。当然、共和国に恩義があるよな?だったら、愛国者たる俺達に、それを示してもらいたいもんだ」
「車の男が、お前の飼い主か?」
斧を持った男が口を挟む。
「そいつにお願いしろ。俺達に愛国心を示してくれるようにな。具体的に、だ」
男たちが笑う。カルラはまったく無反応だ。
「なんなんですか、あの人達!」
車内でラティーカが小声で言った。
「言ってること無茶苦茶ですよ!」
「まあ、あの程度だろうとは思ってたよ」
げんなりしたようなイアンの言葉に、耳障りな罵声が重なった。
「おい!聞こえねえのか耳付き!」
二人は窓からの声に耳をそばだてる。
「その犬ころみてえな耳は飾りか?それとも、やっぱり人間様の言葉はわからねえか!」
男たちの威嚇を冷たく聞き流していたカルラは、侮蔑的に息を吐いた。
「…一度しか言わない」
無感情に、彼女は口を開く。
「私たちは忙しい。怪我をしたくなければ、とっとと失せろ」
男たちの表情が歪む。
「…やっぱり、けだものには躾ってもんが必要だなあ」
丸腰の男が前に出る。おもむろに上着の前を持ち上げると、ベルトに挟んだ拳銃が現れた。ゆっくりと、見せつけるように、男はそれに手をかける。
カルラの右手が閃いた。
男の体がわずかに揺れた。不思議そうな顔で、拳銃を掴もうとしていた手を顔の前に持ち上げる。
細長い、研ぎ上げられた鉄針が二本、男の右手を貫いていた。
叫び声を上げようとした瞬間には、カルラはもう目の前にいた。急角度に跳ね上がったブーツのつま先が、男の顎を正確に捉える。折れた歯をまき散らしながら、男は一撃で昏倒した。
他の三人が呆然とする間に、カルラは鉈の男に向けて再び手首を閃かせる。なにか小さなものが弾け飛び、鮮血がこぼれた。地面に落ちたのは、鉈を握っていたはずの右手の指、そのうちの二本だ。
鉈男の絶叫が、斧を振りかざした男の雄叫びとユニゾンした。ナイフを握ったまま半身に構えたカルラは、斧の刃をするりとかわしながら、左腕を蛇のように男の肩に絡みつかせる。そのまま足を払った。
うつ伏せに倒れた男は、極められた腕の激痛に斧を取り落とす。カルラはそのまま更に腕をひねる。ごきり、と嫌な音が響き、苦悶の叫びが高くなった。肩を外したな、とイアンは推測する。
カルラはゆっくりと、最後に残った鉄棒男に向き直る。金色の瞳に射すくめられた男は、奥歯を鳴らすほど震えていた。彼女がナイフの切っ先を向けただけで、びくりとして後ずさる。
「寝ている奴を連れて失せろ」
ほとんど機械的に言った。
右足が素早く動き、指を飛ばされた男が拾おうとしていた鉈を蹴り飛ばす。鉈は跳ね跳び、横の板塀に突き刺さった。
「二度は言わんぞ」
それで終わりだった。完全に戦意を喪失した男たちは、昏倒した一人を引きずって車に押し込む。一人だけ無傷の鉄棒男がハンドルを握ると、車をあちこちにぶつけながら走り去っていった。
カルラは男が落としていった拳銃を拾い上げると、シリンダーを開いて弾を抜き、上着のポケットに放り込んだ。
運転席のドアを開ける彼女に、イアンが声をかける。
「お疲れさん」
「お待たせしました」
そっけなく答えてシートに座る。ポケットの弾丸が音を立てた。
「運河にでも捨てておきます」
「それがいい」
「カルラさん、怪我とかしてないですか…」
心配そうな声で、ラティーカが運転席を覗き込む。
「…どこもやられてない」
思いがけず柔らかい口調で、カルラは答えた。
安堵したようにラティーカは座席に戻る。エンジンがかかり、暴漢たちの残した凶器を踏みしだきながら車は路地を出た。しかめ面で外の景色を見ながら、イアンはつぶやく。
「しかし連中、本当にあんなことをやってるんだな」
ラティーカが奮然とうなずいた。
「犯罪どころの話じゃないですよね、あれ。山賊じゃないですか」
「元ネタのカイェターン・ヴィドラークも山賊みたいなもんだったからな。近世の騎士物語でずいぶん美化されたが…そういう意味じゃ、連中のほうが歴史に忠実と言えるかもしれん」
「歴史に忠実に強盗って、頭の中が五百年前って事ですね」
イアンが思わず吹き出す。カルラですら、バックミラーの中でわずかに口元を吊り上げた。
「なかなか言うじゃないか」
「中隊長殿の薫陶のたまものです」
「お前を部下につけた甲斐があったよ」
ひとしきり笑って、イアンは視線を窓に戻す。
「…しかし、対策は必要だな」
ぽつりとそう言ったきり、イアンは冬の街を眺めながら考え事に没頭していった。
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