第四部「硝煙のむこうに見えるのは」5
「なんだこりゃ…」
アヴォネク中央駅のホームに降りたイアンは、周囲の光景を見回して呻いた。
駅は人であふれかえっている。観光客ではない。コートを着込み、持てるだけ、背負えるだけの荷物を持った人々だ。彼らは押し黙り、あるいは声を潜めるように話しながら、列車の到着を待っている。
「まだ列車はあります!次の便を待ってください!あわてないで!」
メガホンを持った駅員が叫ぶ。その横では、すでにすし詰め状態の列車にどうにかして乗り込もうと、乗客たちが揉み合っていた。乱闘があちこちで起こり、鉄道警察がそれを仲裁する。怪我人も出ているようだ。
「見たところ、南行きの列車ばかりですな、混んでいるのは」
「てことは、ありゃ避難民か」
ヤーヒムとイアンが唖然としたまま言う。他の隊員たちも同様に言葉を失っていた。表情を動かさないのはカルラだけだ。
「この中を行くんですか?」
ダリミルが腰の引けたように言う。
「どうしようもない。はぐれないよう気をつけて…」
「大尉殿!」
喧騒を貫いて、太く響く声が届いた。
市警の制服を着た男が、数人の鉄道警察を引き連れてこちらにやってきた。見覚えのある髭面だ。
「ヴァイダ警部補!」
「お久しぶりです、大尉殿」
警部補は折目正しく敬礼した。
「お待ちしてました。駅前で待ってたんですが、この有様でしょう。出てこられなくなってるんじゃないかと思いましてな」
「いや、実際その通りで。助かります」
ちらりと背後に目をやって、続ける。
「こっちは部下です。詳しい紹介は後ほど…こちらはアヴォネクで世話になってるダニエル・ヴァイダ警部補だ」
中隊員たちが敬礼した。警部補はそれに応えてから、一同を促す。
「さ、参りましょう。車は表に待たせてあります」
鉄道警察官が警笛を鳴らす。人垣がいくらか薄れたところを、ほとんど無理矢理にイアンたちは進んだ。
すし詰めのホームを抜け出すと、広大なコンコースに出る。鉄骨を組んだドーム屋根に天窓をはめ込んだ、雄大な建築物だ。だが今、共和国で最も美しいと言われる駅舎は、列車の空席を待つ避難民が寝泊まりし、難民キャンプさながらの様相だった。足早に通り抜ける。
「なんか…前と雰囲気ちがいませんか」
ラティーカが不安そうに言った。
駅前広場と、そこから放射状に伸びる街路は、季節の変わった今も美しい。違っているのは人間のほうだ。駅にやってくるのは、着ぶくれ、荷物を抱えた避難民たちばかりで、そこに戦前の明るさは皆無だ。店も半分以上が閉まっているらしい。
なによりも異様なのは、駅前のあちこちに、妙な連中がたむろしている事だった。野暮ったい身なりで、空き缶に火をおこしたり、酒を回し飲みしたりしている。全員が鉈や斧、棍棒などの凶器を持ち、なかにはこれ見よがしに猟銃をかついだ者までいた。
近くの一組が、イアンたちを胡散臭そうに眺めている。
ヴァイダ警部補が無言でイアンの肩をつつき、車へうながした。あわただしくトランクに荷物を詰め、一行を乗せた車列は動き出す。
「なんです、あいつら」
イアンの質問に、警部補は髭面を大きくしかめて答えた。
「ご存知ありませんか。ヴィドラーク騎士団ってやつですよ」
「あれが!?」
イアンが呆れ声を上げる。
「どう見たって、宿無しのごろつき以上のものには見えませんでしたが」
警部補がいかにもうんざりした顔をした。
「党の署名が入った書類を振りかざして、市の許可も出ない内から居座ってましてね。パトロールなんぞと称して、我が物顔で歩きまわってるんです。喧嘩沙汰に強盗、恐喝、なんでもござれだ。もちろんそういうのはウチで逮捕してますが、よほどの重罪でもない限り、党が保釈金を払って出ちまう。やってられませんよ」
疲れたため息をついて、続ける。
「市警としちゃ追っ払いたいのは山々ですが…市政府に保守派のお偉方が乗り込んできてましてね、何をするにも文句をつけてくる。結局ウチに回ってくるのは、事を荒立てるな、なんていうお達しだけです。自治も何もありゃしない」
「無茶苦茶だ」
たまらずイアンが呻いた。
状況は想像以上に悪い。市警が自由に動けない状況で、あんな連中が好き放題にしているとなると、首都の状況に関わりなく荒事に発展しかねない。
「連中の規模は?」
「ウチで把握してるのは三百人ほど。ほとんどはさっきみたいなチンピラですが、『騎士団長』の子飼いってのが二十人ほど、ホテル・サジティエに詰めてます。全員、従軍経験者だそうですよ。まったく、お国の一大事だってのに…」
「騎士団長…ラドヴァン・ドシークが来てるんですか?」
「ああ、たしかそんな名前でしたな。お知り合いですか」
「前に少し、ね」
イアンの憮然とした表情で察したらしく、警部補は同情するようにうなずいて見せた。
「それで、この後は…」
警部補の言葉は、背後から響いた甲高い音に遮られた。タイヤが横滑りする音だ。
「何だ、今のは」
張り詰めた警部補の声に、運転席の警官が答える。
「すれ違った陸軍の車が、いきなりUターンして後ろに付きました」
「陸軍の?」
イアンが訝しげにつぶやく。警部補は身を乗り出してサイドミラーを覗き込んだ。車列からわずかにはみ出した陸軍の乗用車が、ヘッドライトを点滅させている。クラクションを短く鳴らすのが、イアンにも聞こえた。
「どうします」
警部補がイアンに尋ねる。しばらく考えて、口を開いた。
「停めてください。俺に用かもしれません」
「わかりました…おい」
警部補が声をかけると、運転手が窓から手を出し、後続の車に合図した。そのまま減速し、歩道の脇に停車する。
追ってきた陸軍の車から、軍服の男が転がるように降りてきた。
「ルドヴィク!」
イアンは慌てて窓を開ける。強面の顔が、窓枠の中で敬礼した。
「お久しぶりです、大尉殿。まさかこんな所でお会いできるとは」
「久しぶりだが、どうした。ずいぶん慌てた様子だが」
濃い眉の間に皺が寄る。心底申しわけなさそうに、中尉は言った。
「自分は転属が決まりました。今日中にも、アヴォネクを離れなければなりません」
「なんだと」
イアンは驚く。隣でヴァイダ警部補も息を飲むのがわかった。
「配置は?」
「第三十一機械化歩兵師団です」
「上陸部隊じゃねえか」
顔をしかめるイアンに、ルドヴィクは平静を崩さず答えた。
「憲兵隊ですから、前線ほど危険なわけではありません…それより、お伝えすべきことが」
窓枠に顔を寄せ、続ける。
「自分だけでなく、アヴォネク駐留の陸軍部隊はほぼ全てが前線行きです。市内の治安維持に協力できるだけの力はもうありません…ヴィドラーク騎士団のことは?」
「さっき聞いたところだ」
イアンが警部補を指差す。ルドヴィクと警部補は目を合わせ、うなずく。
「中央党が兵隊文庫を政治問題化したのを受けて、騎士団はあの本を敵視しています。ですが今はまだ、表立った事件は起きていません。実は銀猫が、非公式に印刷所の警備を買って出ているのです」
「銀猫が?」
「はい、十日ほど前からです。若い構成員を警備に当たらせているほか、従業員の送迎などもおこなっています。理由を聞きましたが、それが…」
そこでルドヴィクは言いよどむ。どう説明したらいいか、迷っている様子だ。
「なんと言ってた?」
「は、あの大尉さんには恩がある、とだけ」
イアンが妙な顔をする。
たしかに「古本屋作戦」でエロ本の売買を任せたが、彼らの商売から見れば恩に着られるほどのシノギではないはずだ。さりとて、ほかに心当たりもない。
考え込むイアンの耳に、前の車からクラクションが聞こえた。
「中尉殿!急ぎませんと!」
運転席から顔を出した兵士が、ルドヴィクを呼んだ。いま行く、と答え、イアンに向き直る。
「行かねばなりません。お会いできて本当に良かった。どうかお気をつけて」
「こっちの台詞だよ。必ず生きて帰ってくれ」
車の窓から手を伸ばす。ルドヴィクはそれを強く握り返した。
「エロ本作って儲ける話、俺は諦めてないからな」
いかつい顔に笑みが浮かんだ。
手を離し、敬礼する。遠ざかる車を見送り、ヴァイダ警部補が静かに尋ねる。
「さて、どうされます」
数秒の沈黙の後、イアンは答えた。
「まずは、ヒネクの印刷所に。状況を確認しましょう」
「なにか揉めとりますな」
窓から顔を出して、ヴァイダ警部補が言った。
印刷所の正門から少し離れた場所だ。門の前に、十人ほどの人だかりができている。集まった男たちは角材や鉄パイプなどの凶器を手にしており、剣呑な雰囲気だ。
「騎士団の連中ですか」
イアンの声に、警部補は外を眺めたまま答える。
「間違いありません。連中、本当にここを目のかたきに…おっと」
門の中に足を踏み入れた男が、突き飛ばされるように倒れた。怒声が、イアンたちの居るところまで聞こえてくる。
それを皮切りに、乱闘が始まった。敷地に押し入った男たちと、中の誰かが戦っているらしい。もう一人が門の外に突き倒され、痛みに身体を丸める。
「こりゃいけませんな」
警部補が渋い顔でつぶやく。
「ちょっと脅しをかけてやりますか…おい、鳴らせ」
「はっ」
運転手が、天井についたスイッチに手を伸ばす。指先でそれを弾いたとたん、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
車が前進する。男たちが一斉にこちらを振り返った。
「貴様ら!何をしとるかぁ!」
サイレンに負けないほどの声量で、警部補が怒鳴りつけた。
形勢不利と見たか、それとも警部補の胴間声に怖気づいたか、男たちは一目散に逃げ散った。突き倒されていた者もよたよたとそれを追っていく。
「ま、あのくらいのチンピラどもは、この程度ですな」
席に戻って、警部補は事もなげに言った。
「しかし印刷所に直接ちょっかいを出すとは。こりゃダヴィデク中尉が言っていたより、状況は悪化しとるかもしれません」
イアンは固い表情でうなずく。
一行は正門前で車を停め、イアンと警部補が外に出る。警備らしい男たちが五人ほど、鋭い目つきで二人を睨んだ。全員が毛耳族で、身長ほどの木の棒を携えている。
「独立図書館連隊のプロヴァズニーク大尉だ。こちらは市警のヴァイダ警部補。責任者にお会いしたいんだが」
警備員達が顔を見合わせる。リーダー格らしい一人が前に出て、イアンに尋ねた。
「責任者ってのは、社長さんのことですかい?」
「社長さん?」
イアンが思わず聞き返す。
「おじさん…ヒネク社長が来てるのか?」
「はあ」
怪訝な顔をするリーダーの背後から、懐かしい大声が聞こえてきた。
「そこにいるのはイアンか?」
声のした方に目をやって、イアンは唖然とした。
二人の職員を引き連れて現れたホンザ・ヒネク社長は、腰のベルトに古風な拳銃をぶち込み、片手に槍斧を担ぐという勇壮ないでたちだ。兜と胸甲まで身につけている。
「やっぱりイアンか!どうした急に」
「おじさんこそ、いつこっちに来たの?」
そう言ってから、呆れたように付け加える。
「ていうか、その格好はなに?」
「家の物置から持ってきた。荒事になるかもしれないって聞いてたんでな。いいだろう」
白い歯を見せて笑うホンザに、イアンもつられて苦笑する。
「立ち話もなんだ。車を奥に入れてくれ…兄さんがた!怪我はねえか?」
警備の男たちに声をかける。中のひとりが不敵に笑った。
「朝飯前でさ。お巡りの旦那にも加勢いただいたんでね」
お巡りと呼ばれて警部補は憮然としていたが、特に文句は言わなかった。
車を降りた中隊員たちを手招きし、イアンは部下たちを紹介する。
「ラティーカは紹介したよね。こっちは副隊長のヤーヒム・マレチェク曹長。この人の言うことは俺の言うことだと思ってほしい」
「はじめまして」
ヤーヒムの差し出した手を、ホンザは握った。
「ザハールカ書店で、長いこと経理をやっておりました。ヒネクさんにはその頃、大変お世話になりまして」
「ザハールカに!いやそりゃ、世話になったのはこっちのほうだ。あそこは印刷や装丁にも目が肥えてて、ずいぶん勉強させてもらいました」
ホンザは目を輝かせて、握った手をぶんぶんと振る。
「出版社も気づかないような指摘をバンバン言ってくるんでね、駆け出しの頃は泣かされましたよ」
「それはどうも、ご迷惑をおかけして…」
「いやいや!あそこで鍛えてもらったおかげで、今のウチがあるようなもんです」
楽しげなホンザの顔を見て、イアンは話が長引かないうちに口を挟んだ。
「それで、おじさん。どこかに人数分の寝場所を確保できないかな。ホテルじゃ何があるかわからなくて」
「そりゃ構わんが…しかし急にどうした?」
イアンは首都の現状と、ランダ中佐の命令のことを手短に話す。ホンザは不機嫌な犬のように顔に皺を寄せた。
「ゴロツキどもめ、そういう事か」
「そんなわけで中隊をこっちに移して、陣頭指揮をとるつもりで来たんだけど…おじさんがいるなら心強いや」
「任せろ。あんな連中、うちの敷地に足一本入せん。なあ、兄さんがた!」
職員が淹れてきたコーヒーを啜っていた男たちは、それぞれカップを上げて応える。
「社員寮に空きがあるから好きに使え。ここの敷地内だから、よほどの事がなければ安全だ」
「助かる。憲兵隊から聞いたけど、銀猫が警備を請け負ってるんだって?」
「おお。十日ほど前にな、パストレクとかいう耳付きの親分が突然現れて、うちの若いのを用心棒に使ってくれって言うんだよ。はじめは新手の強請りかと思ったが、礼金を渡そうとしても受け取りゃしないんだ。さすがに寝床と飯はこっちで持ってるが…お前、なにか知ってるか」
イアンはしばらく眉間にしわを寄せてから、答えた。
「今から、ちょっとそれを確かめてくるよ」
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