第三部「誰がために砲声は鳴る」3

 ヴォヤチェク・フラデツは首都の北西に位置する、共和国最大の陸軍基地である。

 演習地を含む広大な敷地には、陸軍の虎の子である第一機甲師団と、戦術研究の要である教導機甲師団が駐留している。少し東には航空隊の基地もあり、まさしく共和国陸軍の精髄と言える陣容を誇っていた。

 その巨大基地を、イアンとラティーカ、ランダ中佐の三人は、詰所で手配してもらった車に乗って移動していた。

 道すがら、兵士の隊列やさまざまな重火器が目に飛び込んでくる。一昨年に配備が始まった新型戦車が三両、土埃を上げながら自走していくのを見て、イアンが小さく歓声を上げた。

「凄え」

 助手席のラティーカも目を丸くして眺めている。運転手が得意げな笑顔で解説してきた。

「第十八機甲師団の戦車ですね。機種転換訓練に来てるんですよ」

「ニュース映画は見たが、実物を見るのは初めてだ。大したもんだな」

 イアンがそう言うと、運転手は後部座席に笑顔を向ける。

「帝国の機甲師団がどれほどのものか知りませんが、俺たちが蹴散らしてやりますよ。安心してください」

 そう言って助手席に向きなおり、またにっこりと笑った。ラティーカは慣れない愛想笑いでごまかす。

「頼もしいね、まったく…」

 呆れ声で呟いて、イアンは隣の席を見る。

 ランダ中佐は、三人の雑談を咎めるでもなく、基地の風景を眺めていた。相変わらずその表情からは何も窺えない。

「…中佐」

 イアンは思い切って声をかけた。視線だけがこちらを向く。

「何かね」

「ここはどうも、俺たちには場違いな所のように思うんですが…そろそろ何をしに来たのか教えてもらえませんか」

 中佐は視線を前に戻し、しばらく黙り込んでから答えた。

「到着してから話そう。その方が飲み込みやすいだろう」

「…は」

 釈然としない気分だったが、イアンは仕方なくうなずいた。

 やがて前方に、建物の群れが見えてきた。戦車や車両、重火器の保管や整備を行う工廠区域だ。

 建物はどれも、重厚で無愛想なコンクリート製だった。巨大な鉄扉は開け放たれ、中では戦車や重砲が、眠りについた怪物のようにうずくまっている。その周りを整備兵たちが忙しく走り回っていた。

 慌ただしい空気の中を通り過ぎ、車は人気のない所に向かう。やがて、特に古そうな倉庫の前で車が止まった。

 運転手が素早く飛び降り、中佐の側のドアを開ける。イアンとラティーカも車を降り、倉庫に向かう中佐に従った。

 近くで見ると、建物の古さがより鮮明になる。鉄扉はあちこちに錆が浮き、壁は所々にひび割れ。足元には苔まで生えていた。

 イアンはラティーカと顔を見合わせる。

 運転手の兵士が鉄扉に近づき、雑嚢から取り出した巨大な鍵を、ぽっかりとあいた鍵穴に差し込む。しばらくガチャガチャと悪戦苦闘していたが、全力を振り絞るように身をよじって、ようやく鍵が半回転した。

 鍵を引き抜いて息をつくと、今度は鉄扉の取手を掴んで引き開けにかかる。錆びついたスライド式の扉は容易に開かず、見かねたイアンが加勢に入ってようやく、ゴロゴロと鈍い音を立てながら動き始めた。

 人間二人分ほどの隙間が開く頃には、二人とも汗だくになっていた。汗を拭っているうちに、中佐は扉の隙間をくぐり、薄暗い倉庫の中に消えた。イアンとラティーカが慌てて後に続く。

 古い油と埃の匂いが鼻をついた。

「こりゃあ…」

 なにか灰色で巨大なものが、イアンたちの目に飛び込んできた。

 それはどうやら、トラックだった。大型で、タイヤのサイズだけでもラティーカの腰あたりまである。見たところ、かなり古い型のものらしい。

 イアンが車両の側面に回り込み、眉をひそめた。

 通常なら荷台になっているはずの後部には、なにか奇妙なものがあった。のっぺりとした長方形で、側面は上に開く蓋のような構造になっているらしい。それが一台につき二つ搭載されている。

 倉庫には同じ車両が六台あった。いずれも埃をかぶり、長年のあいだ放置されていたことがうかがえる。

 中佐が戻ってきた。倉庫の薄暗さが、いつもの無表情に陰を増しているように見える。

「こいつは何です」

 中佐の目を覗き込み、イアンが尋ねた。

「…三十年ほど前のことだ」

 トラックの、埃で曇ったガラス窓を見上げて、中佐がつぶやくように口を開く。

「当時、共和革命百周年を前にして、陸軍でも様々な企画が検討されていた。独立図書館連隊も例外ではない…当時の連隊長は、忘れ去られていた図書館連隊の栄光を取り戻そうと、ある計画を練っていた」

 中佐はトラックを眺めながら、ゆっくりとその周りを歩く。

「当時は陸軍の機械化の勃興期だった。この内燃機関を積んだ驚異の機械に何ができ、何ができないのか、誰もがそれを考えていた。彼はそこに目をつけた。本という、図書館連隊唯一の資源を有効に使い、連隊の存在をアピールする計画…移動軍事図書館だ」

「移動軍事図書館!?」

 イアンが流石に声を上げた。中佐が片頬だけを吊り上げる。

「機械化部隊の司令部に追随し、その意思決定に有用な資料…すなわち本を運搬する。そういう計画を、当時の連隊長は考えたわけだ」

「よく思いつきましたね。そんなもの、役に立つわけ無いでしょう」

「私もそう思う。しかし驚くべきことに、この計画は陸軍の認可を得た。予算が計上され、実際に編成が始まったのだ。少なくとも、途中まではね」

 そこでイアンに振り返り、教師が生徒に質問するように尋ねた。

「三十年前といえば、共和国に何があったと思うかね?」

「…バスタブ戦争ですか」

 中佐は満足気にうなずく。

「公式には、アタマル沖海戦。大内海の要衝アタマル島の独立を巡る、我が国と北方島嶼王国連合、および両者の同盟国による戦争だ。この戦争のために、共和国軍は物資と予算を集中させなければならなかった。そして、大内海が再び静かになった頃には、誰一人として移動軍事図書館計画を覚えている人間はいなかった」

 中佐は指でトラックのボンネットを撫でた。こびりついた埃を、息をかけて吹き飛ばす。

「ここと隣の倉庫にあるのは、早めに作ってしまった書籍運搬用トラック十二台だ。防火、防弾性能をもつ特製の本棚を搭載している。装甲書架車、という名称だ」

 開いた口が塞がらない、という顔で、二人は中佐の話を聞いていた。やがてイアンが、どうにか再び顎を動かすことに成功した。

「愛する祖国がこんなアホらしい無駄遣いをしてたとは、夢にも思いませんでしたよ」

「この程度はかわいいものさ。戦争にまつわるろくでもない話は、もっと酷いのがいくらでもある」

 面白くもなさそうに中佐が言い、イアンがため息をついた。隣のラティーカが、確認するように中佐に質問する。

「つまり、これで兵隊文庫を前線まで運ぶんですか?」

「そうだ。輸送態勢が整うまでの臨時だがね」

「本は積めても、動くんですか、これ」

 ボンネットのインテークを覗き込み、イアンが胡散臭そうに言った。

「無論、全体的なオーバーホールを行う。明日から取り掛かる予定だ。問題はもっと別なところにある」

「運転手ですか」

 顔を上げたイアンに、中佐がうなずく。

「大型車両の運転ができる人材は限られている。陸軍内では取り合いだよ。現在、民間企業との協力を調整しているところだが…プロヴァズニーク大尉」

 中佐が数歩、イアンに近づいた。

「君は運転免許を持っていたね?」

「はあ、まあ」

 大学に入る直前に取ったものだ。学生時代はちょくちょく乗り回していたが、軍に入ってからはあまり乗っていない。

 猛烈に嫌な予感が、イアンの背筋を駆け上った。

「中佐、待ってください」

「イアン・プロヴァズニーク大尉。君には独立図書館連隊車両大隊を率い、兵隊文庫を所定の部隊まで輸送する任務を命ずる」

「待ってくださいってば!」

 流石にイアンが声を荒げた。

「無茶ですよ!こんなデカいクルマ、動かしたことありませんよ!」

「現在、兵站部が民間協力者の運転手向けにセミナーを開いている。車両の整備が完了するまで、君にはそこで研修を受けてもらう」

 声を失うイアンに向けて、中佐は冷酷に続けた。

「すまないが大尉、これは命令なのだ」

 呆然とするイアンを眺めながら、ラティーカが気まずそうに声をかける。

「その…気をつけて行ってきてくださいね」

「心のこもった励ましをありがとよ」

「スプルナ軍曹」

 唐突に名前を呼ばれて、ラティーカが慌てて背筋を伸ばした。

「はい!」

「君には、大尉のナビゲーターを務めてもらう。先程のセミナーにはそちらの科目もあるので、出席するように」

「は…えぇっ!?」

 今度はラティーカが呆然とする番だった。

「いや、でも、わたしそんな事できませんよ!」

「セミナーは基礎的な所から詳しくおこなう。心配はいらない…それに、我が軍には多くの女性将校がいることも知っているだろう」

 ラティーカもまた言葉を失い、虚しく口を開閉させる。イアンが暗いため息をつき、恨めしげな声で中佐に尋ねた。

「今から部隊に本を配るってことは、前線まで行くって事ですよね。本格的にドンパチを始めようって時に」

「間違いなくそうなるだろうね」

「俺たちゃ図書館員ですよ?本と書類を相手にするのが仕事だ。理不尽だと思いませんか」

 ランダ中佐はしばらく沈黙し、やがて重々しく言い放った。

「戦争というのはね、時にあらゆる理不尽を肯定するものなのだよ」

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