第二部「廃兵と異邦人」7
「さて、と」
ルドヴィクを見送ってテーブルに戻ったイアンが、おもむろに口を開いた。
「ちょっと意外な話だったな」
「わたし、軍隊ってもっとちゃんとした所だと思ってました」
声に憤懣をにじませるラティーカに、イアンは苦笑する。
「軍隊ってのは法律の外で働くもんさ。法律が敵の弾から守ってくれるわけでもないしな」
「もういいです、わかりました…それで、なにかいいアイデアがあるんですか?」
ふむ、と息をついて、視線を部屋の奥に移す。
「話は聞いてたな、中尉?」
「はい、大尉」
不動の姿勢のままカルラが答える。イアンは彼女に向き直り、改まった口調で続けた。
「君に頼みがある」
「どのような」
「『銀猫』とつなぎを付けてくれないか」
金色の瞳が瞬き、カルラが答える。
「申しわけありませんが、自分にはそのような伝手はありません。ご期待には添えられないかと」
返答を聞いても、イアンは彼女の顔から目を離さない。そのまま低く言った。
「君は『片耳』だろ?」
ラティーカがはっとしてカルラを振り向く。彼女の目が、わずかに細まるのがわかった。
「…おっしゃる意味がわかりませんが」
「おい、面倒は抜きにしようぜ」
テーブルに肘を付き、頬杖をつく。視線だけはカルラから離れない。
「あえて説明するとだな…例えば、君は毛耳族では初の女性将校だって言うじゃないか。にもかかわらず、その事を誰も知らない。俺も知らなかった。こんな話、普通なら広報部が放っちゃおかない。だがそうなってないって事は、誰かが手を打ったって事だ」
カルラは答えず、イアンを見つめ返すだけだ。
「それに、中佐は元諜報部だって言うじゃないか。そんな人がウチみたいな窓際部署に配属されて、しかも毛耳族の副官がついてる。おかしいと思わないほうがどうかしてる」
「自分が『片耳』であるという理由にはなっていないと思いますが」
「諜報部と『片耳の氏族』の噂くらい、軍にいりゃ誰でも知ってるさ。いや、伝説というほうが近いかな」
鋭さを増していくカルラの視線に怯みもせず、イアンは続ける。
「半島統一の父、公爵アーモス一世に仕えた片耳の剣士ルミールと、その一党。公国に忠誠を誓い、その目となり耳となり、時には短剣と毒薬をもって時流を捻じ曲げることも厭わず…共和革命以後は陸軍諜報部の主導で活動してるって噂だ。誰にも知られぬ、伝説の氏族…こんな言い方だと、陳腐に聞こえるな」
口元に浮かんだ苦笑はすぐに消えた。
「俺は伝説に興味はない。だが、今回の件を片付けるには、どうもその伝説にお出ましいただくのが手っ取り早いらしい。どうかな」
「…仮に自分が『片耳』だったとして」
わずかに低くなった声で、カルラが尋ねる。
「なぜそれが、そのまま『銀猫』と関係があると断定できるのです?」
「アーモス一世の生涯は、戦争と謀略の繰り返しだった。彼の公国樹立という事業を『片耳の氏族』が助けたと言うなら、彼らの能力もそういう仕事に適したものだったんだろう。例えば、彼ら独自の言語を用いた暗号とかな」
ラティーカはルドヴィクの話を思い出す。『銀猫』の中枢が使う、独自の符丁。
「カタギの人間においそれと出来るような事じゃない。毛耳族の中でも、もともとそういうのが得意な組織があったんだろう。おそらく『片耳』と『銀猫』は、コインの表と裏みたいなもんなんじゃないかと、俺なんかは思うわけだ」
自説を語るイアンの顔を、カルラはじっと見つめている。
「すべてあなたの憶測では」
「そのとおり。だからこうしてお願いしているわけだ」
悪びれもせず言い放つ。
「実際のところ、君にこの件を強要する権利は俺にはない。君が嫌だといえばそれまでだ。ルドヴィクと一緒に、地道に末端から当たっていくしかないだろうな。ただ…」
言葉を切って、カルラの表情を覗き込む。
「君は中佐から、俺の任務を全力で支援するようにと命令されているはずだ。さて、中佐の言う全力で支援ってのは、どの程度までを指すのかね?」
イアンの口元に薄く笑みが浮かぶ。
二人はしばらく睨み合っていたが、やがてカルラが目を伏せると、小さくため息を付いた。
「…二日いただけますか」
「ありがとう。感謝するよ」
カルラは踵を鳴らして一礼すると、そのまま部屋を出ていった。ラティーカはぽかんとしてそれを見送る。
「乗っかってくれたか。やれやれだ」
椅子に背を預けて伸びをした。ラティーカが信じられないという顔でイアンに尋ねる。
「カルラさんって、『片耳の氏族』なんですか?」
「どうも間違いないみたいだな。最初に会ったときから、そうじゃないかとは思ってたが」
「実在したんですね…」
アーモス一世と剣士ルミールの伝説は、幾度となく戯曲や小説のモチーフとなっている。その中には当然、『片耳の氏族』に言及するものも数多くあった。そのほとんどは、極度に脚色された現実味の薄いものだ。
「下手に隠すより、フィクションだと思われてる方が効果があるって事だな」
「はあ…」
ラティーカが感心したような声を上げる。その横で、イアンは眉をしかめていた。
「はじめから知ってたんだろうな、中佐は…今回の件を受けたのも、アヴォネクの現場で銀猫とつなぎをつけとこうってハラだろう。中尉を俺たちに付けたのもそういう理由だ」
「銀猫って、やくざ屋さんですよね。なんで私達がそんな人たちと?」
「戦争の流れ次第じゃ、軍のやりくりだけだと無理なケースが出てくるかもしれん。紙とかインクとかな。いざってときはそれをヤミで仕入れようってつもりだろ」
「ええ…」
「だから言ったろ。軍隊の仕事ってのは、法律の外でやるもんだって」
「でもなんで私達が?カルラさんなり諜報部なり、専門の人がやればいいんじゃないですか?」
イアンの表情が苦味を増す。
「試されたんだろうな」
「試された?」
「俺にそういう、なんだ、清濁併せ呑むような決断ができるかどうかってところを見てるんじゃないかね。諜報部の流儀かなにか知らんが、面白くはないな」
忌々しげなイアンの横顔を眺めながら、ラティーカが真剣な口調でいった。
「イアンさん、向いてると思いますよ、諜報部」
「…怖いこと言わないでくれ」
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