第二部「廃兵と異邦人」6

 印刷所の開設式はつつがなく終わった。

 宴席でホンザにさんざん飲まされたイアンは、慣れないコーヒーでどうにか二日酔いを追い払い、ホテルのロビーで来客を迎えた。

「ルドヴィク・ダヴィデク憲兵中尉であります。本日はお時間をいただき恐縮です」

 相手は折目正しく敬礼する。

 四角い顎にぎょろりとした目つきの、強面の男だった。がっしりした軍服の肩から、憲兵将校を示す赤いモールが垂れている。

「イアン・プロヴァズニーク大尉だ。お役に立てるといいんだがね」

「任務中に無理を言いまして、申しわけありません」

 いかつい見た目とは裏腹に、声の調子は物柔らかで優しげだ。

「…そちらの方は」

 ルドヴィクが、ラティーカとカルラに視線を移した。

「連隊長の副官で今回護衛についてくれたカルラ・タイノステフカ中尉と、助手のラティーカ・スプルナ軍曹相当官だ」

「よろしくお願いします」

「よ、よろしくおねがいします」

「…これはどうも、よろしくお願いします」

 二人に対しても、ルドヴィクは丁寧な態度を崩さない。だがイアンは、彼の表情に困惑を見てとった。

「女性の方がいらっしゃるとは」

「ウチじゃ珍しくもないが…憲兵隊はそうじゃないよな。まあ、すぐ慣れるさ」

 そう言いながら椅子を勧め、自分も座ろうと腰を落とす。

「それで、相談ってのは?ダヴィデク中尉」

「ルドヴィクとお呼びください…その、まことに恐縮ですが」

 ルドヴィクがすまなそうに言い、イアンは中腰のまま彼を振り返った。

「お部屋でお話させていただきたいのですが」


 イアンの泊まる部屋で、三人はテーブルについていた。カルラだけはテーブルを離れ、三人とドアが同時に目に入る場所に立っている。

「じゃ、改めて聞こうか。相談ってのは一体何だ?」

 イアンが口火を切るが、ルドヴィクはまだなにかを逡巡しているような素振りだ。

「タイノステフカ中尉、スプルナ軍曹、申しわけありませんが、しばらく外していただけませんか」

 二人の眉が上がる。イアンが即座に反論した。

「彼女達は君の部下じゃないぞ、中尉」

 中尉、という言葉をことさら強調する。条件反射のように、ルドヴィクの背筋が伸びた。

「失礼いたしました、大尉殿」

「どうもさっきから妙だな。そんなに彼女らに聞かせたくない話なのか」

「…好んで女性にお話するような事でもないのです」

 ルドヴィクの言葉に、イアンとラティーカは顔を見合わせる。イアンは顎を撫でて、諭すような口調で言う。

「あんたが気を使ってくれてるのはわかる。だが俺たちも兵士で、将校だ。それなりの覚悟ってものはあるつもりだ。それに助手として、俺に聞かせる話はラティーカにも聞いてもらわなきゃ困る」

 神妙な顔で聞いていたルドヴィクは、数度うなずいた後、深々と頭を下げた。

「大変なご無礼をいたしました。憲兵中尉として謝罪いたします」

 二人の方にも向き直り、頭を下げる。

「タイノステフカ中尉、スプルナ軍曹、見くびるようなことを申し上げてすみません。諸民族と軍民の共同こそ戦勝の要…貴官らのような方々こそ、共和国の財産であるというのに。お恥ずかしい限りです」

「え、いや、そんな」

 生真面目な謝罪にかえって恐縮して、ラティーカは言葉をもつれさせた。カルラは静かに黙礼するだけだ。

「さて、合意が取れたところで、仕事の話をしようじゃないか」

「は」

 ルドヴィクが持参したブリーフケースを持ち上げた。机の上に置くと、二人に目配せする。

「いささか刺激的なものですので、驚かれませんよう」

 ラティーカがつばを飲み下した。イアンが促す。

「やってくれ」

「では」

 ぱちり、と音を立てて、ケースの蓋が開いた。

「…ん?」

 中に入っていたのは、雑誌の束だった。数は二十冊程度、どれも書店などでは見かけないものだ。

 その表紙には、例外なく、肌もあらわな女性の写真やイラストが載っていた。

「…なんですかこれ!?」

 数秒の間をおいて、ラティーカが叫んだ。

 イアンが中の一冊を取り、パラパラとめくる。

「なにってお前、エロ本だろう」

 ざっと中身を見てから、ラティーカに表紙を向ける。はだけた水着を胸元で抑える女性のイラストだ。

「見たことないのか?」

「あるわけないでしょう!」

 激昂するラティーカを横目に、イアンは他の一冊を取り出して眺める。ルドヴィクの方はすまなそうな、諦めたような表情で、中の本を机に置いてケースを閉じた。

「この数日で没収されたものです。実際は、はるかに多数が軍内部で流通しているものと思われます」

「外国の本ばっかりだな。船員が持ち込んだやつか?」

「おっしゃるとおりです。私物として持ち込んだものが多いですが、小遣い稼ぎにまとまった数を売りさばく者もいるようで」

「なるほど…しかし凄いな、世界各国から集まってる。さすがはアヴォネクだ」

 様々な言語で書かれたタイトルを面白そうに眺めて、イアンは尋ねる。

「人気のあるのはどれだい」

「やはり新大陸のものですね。種類が豊富ですし、なによりカラーページが多い」

 ほお、と言いながらイアンが一冊抜き取る。新大陸諸州連盟の国旗をあしらった水着を着て、にっこりと微笑むモデルが表紙だ。

「あちらの業界も戦時体制というわけだ」

「あとは、変わり種としてはこれでしょうか」

 ルドヴィクが取り出した一冊を受け取る。他のものとは綴じ方が逆だ。

「こりゃ漫画か?…上手いなおい!」

「神明帝領のものです。噂では、あの国にはこのレベルの描き手が掃いて捨てるほどいるのだとか」

 ルドヴィクが眉をしかめながら続ける。

「兵士の間でも熱狂的なファンがいるジャンルでして…兵科を問わず極秘裏に取引しています。ほとんど秘密結社ですよ」

 疲れた顔のルドヴィクとは対照的に、イアンは心底おかしそうに笑った。

「エロ本流通のための秘密結社か!こいつはいいや!」

 口元に笑みを残したまま、イアンはルドヴィクのほうに身を乗り出す。

「なあ中尉。戦争が終わったら、こいつらを大陸に呼び寄せて本を作らないか。規制のゆるい西方共和制あたりでやるのがいいな。売れるぜ」

「面白そうですな」

「お二人とも」

 硬く無感情な声に、二人が振り向く。ラティーカがこの上なく冷ややかな目で、二人を見据えていた。

「そろそろ仕事のお話に戻られたほうかいいんじゃないですか?」

 イアンが気まずい顔で椅子に座り直す。ルドヴィクは黙然とした表情だ。

「あー、それで、相談ってのは風紀紊乱対策か?俺たちゃ本を作って仕分けるのが仕事で、取り締まるのは専門外なんだが」

 取り繕うようにイアンが言う。ルドヴィクは首を横に振った。

「風紀に関わることは我々の任務ですからご心配なく。相談というのは、流通に関することでして」

「流通?」

「はい。たしかに良からぬ品物ではありますが、個人の俸給から買うのであればまだいい。しかし最近、軍の物資を横流しして、これらのものと交換するケースが増えてきているのです」

 二人の呆れ顔を渋い顔で眺めつつ、ルドヴィクは続ける。

「開戦以降、アヴォネクに滞在する兵士の数は増え続けています。しかし、こういった本の供給量は、兵士の数ほどには増えていない。需要と供給のバランスが崩れ、非常な高値となっているのです。先日など、一冊をガソリン五百リットルと交換しようとしたところを摘発したほどです」

「五百リットル!?」

 ラティーカが声を上げ、イアンが呆れたように呟く。

「戦車兵の連中が聞いたら、迷わずそいつを撃ち殺すだろうな」

「おっしゃる通りです…物資の横流しというのは、軍が動く時には必ずついてまわる問題ですが、まさかこんな問題が出てくるとは」

 ルドヴィクの声には深い疲労が滲んでいた。

「ともかく、事態がこれ以上加熱しないうちに歯止めをかけたいのです。しかし我々には、こういったものの商習慣といいますか、セオリーに関して知識がありませんで…」

「それで俺たちってわけか?」

 イアンが声を上げ、ルドヴィクは申しわけなさそうな表情でうなずいた。

「図書館連隊にしても、ご専門ではない事は承知しています。ですが、連隊には出版業界にも明るい方が揃っていると伺いまして、藁をもつかむ思いでご連絡させていただいた次第です」

「ぜんぶ没収しちゃえばいいじゃないですか」

 ラティーカが呆れたように言った。

「原則を言えば、そうなんですが…」

「そう単純なもんじゃないんだよ」

 横からイアンが口を挟む。

「そりゃ全部没収しちまえば話は早い。だが軍隊じゃ、効率よく兵隊を動かすことが第一だ。そのためには、娑婆の法律はかえって邪魔になることもある。そうだろ中尉」

 ルドヴィクが眉間に皺を寄せたまま答える。

「全兵士に抜き打ちの持ち物検査などやれば、士気に関わります。上官と部下の信頼にもヒビを入れかねない」

「そういうことだ。人間、締め付けられてばっかりじゃやってられない。多少のことは見逃してやらなきゃな」

 顔いっぱいに納得がいかないと書いたようなラティーカを無視して、イアンはルドヴィクに向き直る。

「つまり、兵士たちの行き過ぎた取引を抑制しつつ、過剰な締め付けにならないような手段が必要って事になるが…」

 腕を組んで椅子に背を預ける。しばらく天井を眺めて考えていたが、ふと口を開いた。

「憲兵隊は、地元の警察と連絡してるよな」

「はい。兵士たちのトラブルや施設での検問など、連携することが多いですから」

「土地の事情に詳しい警官と連絡をつけられるか?つまりその…ヤミで商売してるような連中に顔の効く奴だ」

 ルドヴィクの顔色に、剣呑なものが混じる。

「…何をお考えです」

「いやなに、結局のところ、君も俺たちもこういう話は専門外なわけだ。それなら、専門の業者を仲介するのがいいんじゃないかと思ってな」

 にやりと笑うイアンを見ながら、ルドヴィクはしばらく沈黙し、やがて言った。

「つまり、土地のやくざ者に古本屋をやらせるわけですか」

「ご明察。話が早くて助かる」

「え、どういうことですか?」

 不審そうに尋ねるラティーカに答える。

「地元のヤミ屋に頼んで、この手の本を買い取る窓口を作るんだよ。で、売る方も決まった店でだけ売るようにする。そうすりゃ市場の価格をコントロールできる。兵士同士の取引までは阻止できないが、相場が決まれば無茶な取引は抑制できるはずだ」

 説明してから、ルドヴィクの方に向き直った。

「確認するが、こういうシノギをやってる組織は他にないよな?」

「把握している限りでは。基本的に個人間の取引に終始している模様です」

「まあ、たいして儲かる商売でもなさそうだしな。むしろエスカレートする前に手綱を握っておきたいって事だろう?」

 ルドヴィクがうなずく。

「よし。あとは頼む相手だが、なるべく大手の方が話が早い。心当たりはあるか?」

 今度はルドヴィクが考え込む番だった。濃い眉の間に皺を寄せ、強面の顔がさらにいかつくなる。

「先程、事情通の警官と連絡をつける、という話になりましたが、難しいかもしれません」

 意外そうなイアンの顔を見ながら、ルドヴィクは続ける。

「このアヴォネクで最大の組織となると、パトロール警官程度からでは辿れません。非常に独自性が強いのです」

「どんな連中だ、そりゃ」

「…『銀猫』という名前を、お耳にしたことは」

 イアンが息を飲み、右手で顔を覆った。

「ここでその名前が出てくるのかよ…」

 『銀猫』は国際的に名の知られた、毛耳族で構成される組織だ。起源は五百年前まで遡ると言われ、大陸全土にネットワークを持つ。

「アヴォネクは公国時代から、彼らの最大の拠点です。人とモノの流通が盛んで、毛耳族への保護法もありますから。この街のヤミ稼業は、丸ごと彼らのものだと言われるほどです」

「それだけ手広くやってて、接触の窓口が無いってのか?」

「末端組織なら接触は容易です。しかしある程度中枢に近づくと、とたんに排他的になる。彼らの言語を用いた独自の符牒で話すのです。この秘密主義が、彼らの組織の強さでもある」

 一拍おいて、ルドヴィクは続ける。

「憲兵隊にも警察にも、彼らの中枢に接触できるような人間は、私の知る限り存在しません。末端から辿っていくにしても時間がかかりますし、そもそも相手にされるかどうか…」

 イアンが椅子に背を預け、唸り声を上げた。

 しばらく虚空を見つめて考えていたが、やがてゆっくりと息をつくと、訝しげな顔の二人に向かって呟くように言った。

「…なんとかしてみる」

 顔を見合わせるラティーカとルドヴィクに、付け足すように続ける。

「まだはっきりした事は言えんが…ひとまず時間をくれないか。駄目なら他の方法を考えるよ」

「もちろん。進展がありましたら、ご連絡を」

「悪いな」

 そう言って、机の上に積まれた本を眺めた。

「ひとまず、今日のところはこんなもんかな…これ、参考に何冊か借りていいか」

「かまいません。破棄予定のものですから」

 疑念と軽蔑に満ちたラティーカの視線を無視して、イアンは何冊かを選び取る。その手がふと止まった。

 取り出した一冊は、モノクロの表紙に布地の少ないドレスを着た女が写ったものだった。スカートのスリットから伸びる長い足と、大胆に開いた背中が印象的だ。こちらに振り向こうとする横顔には、猫科の獣を思わせる耳がある。

「そちらは、毛耳族のモデル専門の本だそうです」

 ルドヴィクがそう説明した。ラティーカが思わずカルラのほうを振り返るが、その表情にはなんの変化も無い。

「他と違って、これは地元産…このアヴォネクで刷られているものです。警察も追っていますが、出所のわからない本だそうで。先程ご説明した秘密主義の一端というわけです。街に流れ込む難民からモデルを募っているという噂ですが」

「難民?」

 ラティーカが向き直って言った。ルドヴィクがうなずく。

「帝国の政権交代以後、このアヴォネクにも難民が押し寄せているんですよ。毛耳族も、それ以外の人々も」

「流入はそろそろ減ってくると思うぜ」

 苦虫を噛み潰したような顔で、イアンが吐き捨てた。

「戦争が始まったからな。出国希望者は徹底的にチェックされる。被差別民族のレッテルを貼られた人間が、そうそう出ていけるもんじゃない。今のうちに出てこれた連中は幸運さ」

 イアンの悲壮な物言いに、ルドヴィクが瞑目する。

 ラティーカは表紙に目を落とした。けばけばしい他の本と違って、モノクロのその写真だけは、なにか静謐な美しさを持っているように、彼女には思えた。

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