第一部「マーチが聞こえる」4
「全員揃ってるな」
机の前に立ち、イアンは部屋を眺め回した。
中隊本部の全員、ラティーカ、ダリミル、ヤーヒム、ミルシュカ、それにハヴェル・リシャネクとミロウシュ・ホジェイシの二人が集まっている。どちらも奨学金組の若者で同郷ということもあり、二人一組で仕事をすることが多い。
「あらたまって、何かあったんですか」
ダリミルが訝しげに聞いてくる。その隣で、ラティーカも同じような表情だ。
「ちょっと重要な話でな。みんなよく聞いてくれ」
イアンは一つ咳払いをすると、隊員たちを見渡す。
「俺たちは今月いっぱいで一〇二中隊の任を解かれ、新たな部隊に配属される。部隊名は、第九〇一中隊だ」
全員が驚き、顔を見合わせる。ヤーヒムだけは薄々察していたらしく、小さくうなずくだけだった。
「九〇一中隊は連隊本部直属になる。上はランダ中佐だけだ。当面の任務は、前線に赴く兵士たちに、本を届ける方法を考えることだ」
「前線…」
ラティーカが不安げに呟く。イアンは続けた。
「軍も政府も、今や開戦は不可避と考えてる。そのために今まで寄付運動をやってきたが、これからの任務はその先の話だ。基地を出て前線に行く兵士たちのために、本を届ける。それが仕事だ」
皆の表情に緊張が走る。無理もない。戦争が、具体的な形をとって目の前に現れたのだ。
「正直、これまでとは勝手の違う仕事になると思う。なにしろ前例がないからな。ヤーヒムさん、どうです」
水を向けられて、ヤーヒムは立ち上がって答えた。
「仕事は増えますね。今までは、基地行きのトラックに本を詰め込むだけでしたが…部隊ごとに供給するとなると、師団の兵站部や鉄道隊とも連絡しませんと。海軍にも供給するなら、それぞれの艦隊司令部にも」
寄付運動では、海軍の基地への書籍供給も陸軍が委託していた。ならば送り先は当然、共和国海軍五個艦隊、それに海軍歩兵軍団ということになる。
「しかし、前線部隊に回すだけの本をどうやって確保します?寄付書籍は頭打ちです。これから呼びかけ直しても集まる見込みは…」
ダリミルが疑問を口にし、皆がうなずく。
「それを考えるのも仕事だ。案としては、俺たちで本を作るってのが手っ取り早いと思ってる」
「作る?」
「俺たちで?」
ハヴェルとミロウシュが交互に言った。ラティーカが質問する。
「つまり、私たちで出版社をやるってことですか?」
「そうとも言えるな。もっとも、既存の作品をまとめて部隊に配るわけだから、原稿取りなんかをするわけじゃないが」
「となると、権利関係の調整も」
ヤーヒムにうなずき返し、イアンは続ける。
「文部省と法務省からも顧問が入る予定だが、このご時世だ、ごねる出版社もそういないだろう。寄付運動にしたって世間の評価は好意的だからな。イメージアップにつながるとなれば、どこも喜んでやってくれるさ」
「またそんな物言いを」
ミルシュカが眉をひそめた。イアンは苦笑いを返してから、すぐに表情を引き締める。
「諸君。これが俺たちの戦争だ。本を焼く連中と戦うために、兵士たちに本を届ける。独立図書館連隊にとって、共和革命以来の大戦争だ」
そう言ってにやりと口元を歪める。
「市民の血税を使って好きな本が作れるぜ。思いつきがあったらどんどん言ってくれ」
全員が呆れた顔でイアンを見る。ヤーヒムだけが低く笑った。
「いや失礼…現役の頃に聞いてみたかった台詞ですな」
「頼りにしてますよ」
イアンは鞄から書類を引っ張り出し、目を落としながら続けた。
「事務的な連絡だが…今後の活動を円滑にするため、この場の全員、一階級の昇進が決まった。ヤーヒムさん以外は相当官扱いは変わらないが、俸給は増えるぞ」
書類から目を上げ、ラティーカたちを見る。
「若者四名諸君。君等はまとめて軍曹相当官だ…とくにラティーカ」
「はい?」
「中隊長補佐として俺についてもらう。記録とスケジュール管理だな。よろしく頼む」
「はあ!?」
ラティーカが素っ頓狂な声を上げた。
「なんで私なんです!?」
「ヤーヒムさんは事実上の副隊長だし、ダリミルとミルシュカさんは書類仕事と電話対応。若手二人は外回りだ。お前さんは口うるさいからな、物忘れ対策にはちょうどいい」
ラティーカがうんざりした顔で息を吐く。
「イアンさんのお守りってわけですか」
「なんとでも言ってくれ。一〇二の後任は二、三日中にこっちに来るそうだから、引き継ぎの準備を早めに頼む。ああ、それと…」
今思い出したというふうに、イアンは書類を見る。
「任期のことだが、新中隊発足に合わせて更新という事になる。つまり、来月から改めて二年間という勘定だな。覚えておいてくれ」
一瞬の沈黙の後、若者たちの怒号が噴出した。
「ちょっとどういう事ですか!」
「聞いてないですよ!」
「来年の受験に間に合わないじゃないですか!」
「一方的だ!」
イアンはしばらく憮然とした顔で怒号を浴びていたが、やがて弁解に転じた。
「気持ちはわかる。だが情勢がどう転がるかわからんのだ。任務が軌道に乗るまでは、人事をいじらない方がいいだろ?それにな、今度の任期を終えれば奨学金は増額、陸軍から大学への推薦状もつく。悪い話じゃないぞ?」
「それを事前に連絡しないのが問題でしょうが!」
ミロウシュが丸顔を赤くして詰め寄った。
「僕らだって聞いてから判断する権利はあるはずだ!」
「若者の一年をなんだと思ってる!」
ハヴェルが相棒に同調する。イアンも逆上気味に反論した。
「他に方法が無いから言わなかったんだ!中途除隊は奨学金の受給資格を失う!そうなったら元も子もないだろう!」
「最初から僕らに選択肢は無いというわけですか」
「ひどい!」
「横暴だ!」
「今は戦時だ!自由と共和主義のために一肌脱ごうって気概は無いのか!」
「個人の自由が守られてこその共和主義でしょうが!」
「だいたいあなたはいつも」
「それを言ったらお前は」
「あんただって」
「僕からすれば」
「なんだと」
「この」
若者たちの口論は泥沼化し、ヤーヒムとミルシュカの仲裁もむなしく一時間以上続いた。疲労困憊した彼らはその日の仕事を早々に切り上げ、各々帰途についたのだった。
その夜、日付が変わった深夜。
夜勤の人々や、夜ふかしの悪癖のある者たちが点けていたラジオが、突然の放送を受信した。
共和国政府の臨時発表を伝えるその放送を、人々は耳をそばだて、眠った家族や恋人、隣人を起こし、緊張の面持ちで聞き入った。
それは、西部国境に展開していた帝国軍が、西方共和制から『重大な軍事的挑発』を受けたこと、帝国は西方に宣戦を布告し、帝国軍百二十個師団が国境を越えて動き出したというニュースだった。
ニュースはその後、西方共和制、北方島嶼王国連合、新大陸諸州連盟が帝国に宣戦を布告したこと、そして同盟にもとづき、共和国もまた、帝国に対し宣戦布告をおこなった事を伝えた。
イアンは行きつけの酒場で、ヤーヒムとミルシュカは家族に、ラティーカたちは下宿やアパートの人々に起こされ、それを聞いた。
共和国に住む人々は、やがて夜が明けたその時が、戦争の第一日目となることを知ったのだった。
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