第9話(最終話) チート錬金術師を追い出した側の言い分
あれから一年。
計画通り王宮の機構改革に道筋をつけ、それを実行するに足る実力を持つ後継者を育成したアイリは、王宮の役人を退職し、本日晴れて花嫁となった。
もちろん花婿は王太子だ。
本当はもう一年ほど仕事を続けていたかったのだが、国王や王妃、宰相や元帥まで挙って早く王太子妃となってほしいと懇願され、早まった。
「一番懇願したのは、私だよ。今日の日を一日千秋の思いで待っていたんだから」
式後の披露パーティーで、王太子に腰を引き寄せられ抱き締められたアイリは、耳元で甘く囁かれる。
「……ま、待っていたのは、私も同じです」
頬やうなじを熱くしながら、アイリはそう返した。
だって、一年前から今日まで、王太子は宣言通りアイリを溺愛してくれたのだ。
毎日欠かさず愛を囁き、目を合わせれば幸せで仕方ないという風に微笑んでくれるのは当たり前。
私的な場面では必ずアイリを優先し、体調を気遣い心配してくれた。
時には、仕事で意見が食い違うこともあったけど、真剣に向き合う姿からも、アイリを尊重していることは一目瞭然。
溺愛が暴走しかけ「永遠に離したくない」とか「このまま閉じこめて、誰の目にも触れさせたくない」などと、ちょっと物騒なことを言い出すことも、時々……しばしばあったのだが、最後には必ずアイリの意思を聞き入れてくれた。
ここまでされて、絆されないわけがない。
元々王太子を好ましく思っていたアイリが、彼に愛情を向けるようになるのに、さほど時間はかからなかった。
相思相愛で、アイリと王太子は結ばれる。
幸せを噛みしめているふたりの下に、各国から招かれた来賓たちが、次々に祝福の言葉を述べにきた。
その中に、アイリが追放したあの子の逃亡先だった隣国の第一王子がいる。
落ち着いた雰囲気の中に、いかにも切れ者という鋭さを滲ませた第一王子は、王太子とアイリの前で頭を下げた。
「ご成婚を心よりお喜び申し上げます。貴国には、一年前もお世話になりました。その際の御礼も重ねて申し上げます」
一年前の世話とは、あの子と第二王子の情報を流したことだろう。
「ありがとうございます。反乱を見事に収められました殿下のご手腕には感じ入りました。……その後、問題などありませんか」
本日、上機嫌の王太子は、にこやかにそう気遣ってみせた。
あの反乱では、第二王子はもちろん、彼の軍隊も完膚なきまでに壊滅させられたのだという。
派手な激戦もなかった割には敵方の生存者はゼロで、一部では戦う以前に向こうが勝手に自滅したのだという噂も流れたくらいだ。
そんな完全勝利に問題など起こりようはずもなく、王太子の言葉はあくまで社交辞令だった。
そんな中、アイリは表情を曇らせる。
(あの子も、第二王子と一緒に死んでしまったのかしら。その後、噂を聞かないから、たぶんそうなんでしょうけれど)
ほんの少し、罪悪感を覚えた。
やむを得なかったとはいえ、もしもアイリが彼女を王宮から追放しなかったなら、あの子は今でも生きていたかもしれなかったから。
(もちろん、王宮を追放されたとしても、あの子には別の選択肢もあったんだから、こちらが全面的に悪いとは思っていないけど)
そこまでアイリは自虐的ではなかった。
アイリたちが追放したのは、あくまで王宮からのみ。その後どうするかは、彼女の自由だったのだ。王国内の他のポーション工場で働くとか、いっそのこと錬金術とはまるで関係の無い職業に就くとか、破滅につながらない道はたくさんあったはず。
それを、わざわざ辺境の村に赴き、自らトラブルの種である王子を拾ってしまったのは、彼女の自己責任としか言いようがない。
(だから、感傷を引きずったりしないけど)
アイリは、うつむき加減だった顔を上げる。
すると、隣国の第一王子と目が合った。
王子は、困ったような笑みを浮かべている。
「問題――――というほどではないのですが、実は反乱軍が最期に亡くなった地で、亡霊が出ると噂になっていましてね」
肩を竦めてそう言った。
「亡霊?」
「はい。亡霊といっても声だけですが。――――反乱軍は我が国の王都郊外の空き家で最期を迎えたのですけれど……その空き家の埋め立てた地下から、夜な夜な声が聞こえてくるのだそうです」
第一王子の話をまとめると、こうだった。
王都郊外の空き家には地下室があり、第二王子を含めた反乱軍の最後の一隊が、そこに籠城した。
しかし、居場所を突き止めた正規軍が突撃した時には、既に反乱軍は地下室で全員死んでいた。
彼らの死因は仲間割れ。互いに殺し合い、腕や手を切り落とされていた者が多かったため、手に握れるくらいのなにかを取り合ったのかもしれない。
特に地下室内の小さな一室に死体は密集し、第二王子の遺体もそこから発見された。
もっとも、ぎゅうぎゅうに遺体が詰まった部屋からは、遺体を持ち出すのも重労働。結果、地下室ごと地中で爆破し土に埋められた。
「――――そして、真夜中周囲が静かになると、地の底から声が響いてくるのです。ポー、ポーとね」
「……ポー?」
アイリは、目を見開いた。
「はい。そう聞こえるそうですよ。あと、時々か細い少女の悲鳴も聞こえると。……っと、これはめでたい席で話すようなことではなかったですね。失礼いたしました」
ここまで話した第一王子は、自分が祝いの席には相応しくない話をしてしまったことに気がついたようだ。
しきりに謝り頭を下げる。
「水を向けたのはこちらです。気にしないでください」
王太子は、寛容な態度で頷いた。
もちろんアイリも気にしないでほしいと言う。
その一方で……考え込んでいた。
死体でいっぱいだった地下室を埋めただけの場所。
そこから声が聞こえてくるなんて、常識で考えればありえない。
しかし、一国の王子が他国の王太子に語った内容が、まるっきりの嘘とは考えづらい。
(……『ポー』って、『ポーション』のこと? ……ひょっとして、あの子はエリクサーの紛い物を錬金してしまったのかしら?)
エリクサーは、不老不死の万能薬。それを飲んだ者は永遠の命を得て、死にたくても死ねなくなる。
少女は、この国にいたときからエリクサーの研究をしていた。
もしも少女がエリクサーもどきを作り出し、それを地下にいた者たちの何人かが飲んでいたのなら、彼らは埋められた土の中、今も半死半生でいるのかもしれない。
(エリクサーの本物が完成していたのなら、遺体と間違えられるはずはないから、きっと不完成品だったのでしょうね)
アイリはそう推測する。
実は、エリクサーは完成していたが、石の床にこぼれて広がってしまっていたため、それに触れた遺体が、液体が染み込むにつれゆっくり不完全に蘇生したのだとは、さすがのアイリもわかるはずもない。
なんにしても、このままでは不憫だとアイリは思った。土の中に埋められたまま生きているなんて、地獄のようなものだ。
(少女の声が聞こえるというのも気にかかるわ……あの子はずっと苦しんでいるのかもしれない)
思考の中に沈むアイリを、王太子が呼び起こした。
「アイリ」
「……あ、殿下」
「優しい君が、今の話を気にかけるのはわかるけど……今日は私たちの宴の席だ。考えるのは止めて私を見つめてくれないか……でないと、私は死人にも嫉妬してしまいそうだ」
ねだるように頭をこすりつけられて、アイリは頬を染める。
たしかに、この場では考えても仕方ないことだった。
アイリは王太子に「はい」と頷いて、思考を止める。
前を向き、華やかに微笑んだ。
その後三日間に渡って行われた王太子の結婚式は、無事に終わる。
今日は、各国から訪れた貴賓の帰る日だ。
王太子共々見送りに出ていたアイリだが、件の第一王子にだけ特別な贈り物をする。
「これは?」
渡したのはガラスの小瓶。無色透明な液体が中でポチャンと跳ねる。
「聖水です」
アイリは、なんでもないことのように言った。
「せっ!――――」
叫び声を上げかけた王子の手を、アイリの隣にいた王太子が咄嗟に握って力を込める。
「痛っ!」
第一王子は、慌てて口を噤んだ。
「おっと、失礼しました。力加減を間違えてしまいましたね」
王太子は、白々しく謝罪する。
恨みがましそうに見てくる第一王子だが……抗議はしなかった。
――――聖水とは、文字通り聖なる水。どのような汚れも浄化し、不老不死の魔物やアンデッドを滅するという奇跡の液体だ。伝説の中の存在で、作られればエリクサーと同じくらい貴重なもの。
「これを、お話のあった亡霊の出る地にふりまいていただけませんか。あ、治験は完璧ですので、ご安心ください」
アイリは、小さな声で淡々と説明した。
治験を行ったのは、他ならぬ王宮。リダース王国は建国二百年の歴史を誇る国で、王宮もそれなりに古い。王宮七不思議やら心霊スポットがたくさんあったのである。
王宮の地下に封じられていた不老不死の吸血鬼もあっという間に灰になったので、エリクサーで不老不死になったくらいの人間ならすぐに浄化してくれるだろう。
第一王子は、聖水をギュッと握り締めた。
「ありがとうございます。これで弟もようやく逝くことができる。……アイリさま。あなたは聖女なのですか?」
そう聞いてきた。
聖女とは、異世界から稀に来臨する神に祝福された女性のこと。
アイリは、きっぱり首を横に振った。
「いいえ。私は、リダース王国の王太子妃です」
「そう。私の愛しい妃だ。それ以外の何者でもない」
王太子は、アイリを引き寄せ抱き締める。
独占欲全開の態度に、第一王子は苦笑した。
「そうでしたね。埒もないことを言いました。お許しください」
第一王子は、その後もう一度頭を下げると去っていく。
王太子の手は、アイリから離れなかった。
「君は、私の妃だ」
重ねて言われて、アイリは王太子の胸に頭をもたらせる。
「はい」
強く頷いた。
――――アイリが、自分は聖女かもしれないと自覚したのは、子どもの頃。
とはいえ、だからどうということもなかった。
幸い、この世界には魔王がいるわけでもなく、滅亡の危機に瀕してもいない。
地球の現代医療はないけれど、代わりにポーションが普及している。
なにがなんでも聖女がいる必要は、なかったのである。
(それに一代限りの聖女がいても、後継者を見込めないなら、将来的にマイナスだわ。私の能力に依存するような体勢を作っちゃだめよね)
アイリは、そう思い生きてきた。
前世の知識を活かす場合も、必ずそれが後生にも引き継がれるようにしてきたのだ。
この考えは、王太子も理解してくれて、自分が聖女かもしれないと打ち明けたアイリに対し、そんなものにはならなくていいと言ってくれた。
今回は、特別に聖水を作ったが、これはあくまでイレギュラー。
アイリは聖女になるつもりはない。
チートな能力に頼る必要はないし、頼りきりになるのは、むしろ危険だと思っている。
それが、チート錬金術師を追い出したチート聖女の言い分だった。
チート錬金術師を追放しましたが、なにか? 九重 @935
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