誤った好意

三鹿ショート

誤った好意

 数ヶ月前に、父親が再度の結婚を果たした。

 相手には年頃の娘が存在していたが、私と父親に対して明るく振る舞っているところを見ると、新たな家族というものにそれほど抵抗感は無いようだった。

 義理の母親である女性も、悪い人間ではないように見える。

 しばらくはぎごちない日々だろうが、やがて普通の家族のように過ごすことができるだろう。

 だが、私はその家から逃げ出した。

 それは義理の妹である彼女が、私の父親と交わっている姿を見てしまったためである。

 確かに血のつながりは無いとはいえ、関係性は親子だということを考えると、その一線を越えようとは考えない人間がほとんどだろう。

 しかし、彼女は我が家の一員となって数日で、父親と身体を重ねた。

 父親は異性にだらしがないわけではないはずだが、こうもあっさりとこのような行為に及んだことから、よほど彼女が魅力的に見えたのだろうか。

 どのような理由があろうとも、そのような爛れた関係性を持つ人間たちと共に生活することは出来なかった。

 私は潔癖症ではないが、二人の行動を理解することができなかったのだ。

 だが、それは建前である。

 本音を言えば、私も父親と同じように、彼女に魅力を感じていた。

 顔立ちは整っており、肌は病人かと思うほどに白く、女性特有の双丘は大きく膨らみながらも、肥満体であるわけではない。

 初対面で、私は恋に落ちた。

 しかし、新たな家族となることを告げられてしまい、私は抱いた感情に蓋をしなければならなくなったのだ。

 だが、それを完全に消し去ることはできなかった。

 だからこそ、同じ家の中で彼女と同じ時間を過ごすということが、私にとって大きな精神的負担と化したのである。

 ゆえに、私は大学進学を機に、自宅を出ることにした。

 彼女に対する想いが消えたわけではないが、顔を合わせないことで日常生活に支障を来さないと考えたのだ。

 その結果、私は勉学に集中することができるようになった。

 このまま彼女と会わなければ、私は順調に生活していくことができるのではないか。

 そんな自信を持った矢先に、彼女が姿を現した。


***


「心配だから様子を見てきてほしいと、頼まれたのです」

 彼女は罪深い笑顔を見せながら、私にそう告げた。

 他者に明かすことはできない関係を築いているものの、我が父親は私のことをぞんざいに扱ったことはない。

 それどころか、幼くして実の母親を失った私を気遣い、仕事よりも私を優先してくれていたのだ。

 それならば、彼女を譲ってくれても良いのではないかと考えたが、そんなことを正直に伝えられるほど、私は愚か者ではない。

 思わぬ再会に、私は彼女に見惚れてしまっていたが、彼女が荷物を床に置く音で我に返ると、

「その荷物はどうしたのだ」

 私の問いに、彼女は輝かしい笑みを浮かべながら、

「突然で申し訳ありませんが、帰宅は明日になりますので、今日はここに宿泊させてほしいのです」

 耳を疑う言葉だった。

 並んで寝るわけではないだろうが、彼女の無防備な姿が同じ屋根の下にあると分かっていて熟睡できるほど、私は純粋ではない。

 しかし、ここで追い出そうものなら、彼女が私に対して悪感情を抱いてしまう可能性もある。

 一晩中、気を張って過ごせばいいのだと覚悟を決めると、私は彼女の申し出を受け入れた。


***


 衣服の隙間から覗く彼女の谷間や、風呂を出た後の薄着を見て、私は良からぬ妄想をはかどらせたものの、手を出すことは無かった。

 我ながら、大した精神力である。

 だが、無自覚の問題の塊である彼女が止まることはなかった。

 別々の部屋で横になっていると、不意に彼女が私の部屋の扉を開け、声をかけてきたのだ。

「一緒に、横になってもいいですか」

 甘えるような声色に、私の心臓は大きく跳ねた。

 しかし、それがただ並んで寝ることだけを意味しているのだと己に言い聞かせると、彼女に首肯を返した。

 懐かしく、私を惑わす匂いが、傍から漂ってくる。

 私は口内で頬の肉を思い切り噛み、右手で左手の甲を抓りながら、冷静さを欠かないための努力を続けた。

 夜が明けることをこれほどまでに望んだことはない。

 気を紛らわせるために、頭の中で、大学の友人が酒に酔って川に飛び込んだ姿を何度も再生させる。

 だが、私の思考は、彼女のすすり泣きによって中断された。

 視線を転ずると、彼女は涙を流しながら天井を見つめていた。

 私が見ていることに気付くと、彼女は恥ずかしそうに涙を指で拭った。

「恥ずかしいところを、見せてしまいました」

「何か、悪いことでも起きたのか」

 そのときの私は、心から彼女のことを心配する人間の声を出していた。

 彼女に対して劣情を抱くことなく向き合うことなど、珍しい。

 私の疑問に、彼女は逡巡する様子を見せた。

 しかし、私が何時までも見つめていたために根負けしたのか、その口を動かした。

「これほど穏やかな夜は、久しぶりなのです」


***


 彼女は、好き好んで私の父親と関係を持ったわけではなかった。

 それは、彼女の母親の命令だったのである。

 実の母親が何故そのような命令を下したのかといえば、

「自分が捨てられることを、避けたかったのでしょう」

 彼女はそう分析していた。

 彼女の母親の再婚は、一度だけではなかった。

 様々な男性と結婚しては、そのたびに捨てられていたらしい。

 その理由は、彼女の母親の嫉妬心だった。

 自身と再婚した男性が、異性の同僚と会話をするだけで、彼女の母親の機嫌は損なわれた。

 そのたびに、彼女の母親は再婚相手を糾弾した。

 大罪を犯したわけでもない再婚相手は、当然ながら困惑し、やがて彼女の母親を鬱陶しく思い始める。

 当然の帰結として、離婚を何度も経験する羽目になった。

 彼女の母親は、己が嫉妬深い人間であることは理解している。

 だが、止めることができなかったのだ。

 己の嫉妬心に晒されながらも再婚相手が自分を捨てないようにするためにはどうすれば良いのか、彼女の母親は考えた。

 そこで、名案を思いつく。

 自身の娘を差し出す代わりに、自分を捨てないように頼めば良いのではないか。

 少女と交わる機会など、一生に一度訪れるかどうかは不明である。

 それに加えて、好きなだけその肉体を味わうことができるのだ。

 この提案に飛びつかない再婚相手は、存在しなかった。

 しかし、やがて罪の意識に苛まれるようになる人間も多く、またもや離婚をすることになったものの、私の父親は未だにその思考に至っていないらしい。

 彼女いわく、これほどまでに長く続いた再婚相手は、存在しなかったようだ。


***


 話を聞き終えると、私は彼女の母親に対して、激烈な怒りを抱いた。

 目の前が赤く染まり、今すぐにでも部屋を飛び出し、義理の母親の首を絞めてしまいたいと思ったほどだ。

 自分でも眉間に皺が寄っていることに気付いていたが、彼女は私の表情を見ると、首を左右に振った。

「私が我慢すれば、全ては上手くいくのです。判断を誤らないでください」

 殊勝なその態度を見て、私は覚悟を決めた。

 愛する人間と結ばれないのならば、せめて永劫に続く苦痛から解き放ってやりたい。

 私は彼女に対して、何もしないと虚言を吐きながら、義理の母親をいかにこの世から放逐するのかを考えた。


***


 義理の母親を殺めた罪で、私は投獄された。

 だが、後悔はない。

 元凶である義理の母親を消せば、彼女は不本意な命令に従う必要は無くなるのだ。

 必然的に、笑顔を浮かべることが多くなるだろう。

 それだけでも、私が行動した価値はあった。


***


 面会にやってきた彼女は、実に幸福そうだった。

 愚かなる母親から解放されたことを考えれば、当然のことだろう。

 彼女は私に深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べた。

 そして、顔を上げると、彼女は私が望んだような美しい笑みを浮かべながら、

「あなたのおかげで邪魔者は消え、私は愛する男性と二人きりで過ごすことができるようになりました。あなたの分まで、私は幸福になります」

 彼女の発言の意味が分からず、私は口を開けたまま、動きを停止させてしまった。

 その様子を見て、彼女は笑顔を消さずに続けた。

「私が男性を受け入れたのは、あなたの父親が初めてです。あなたに話したような事実は無く、全てはあの邪魔な母親から彼を奪うための、狂言だったのです」

 衝撃のあまり、私は言葉を発することができなかった。

 間抜けのようにただ口を開閉させる私を余所に、彼女は立ち上がった。

「真実を話しても良いですが、世間は私から母親を奪ったあなたと可哀想な娘である私のどちらを信じるのか、阿呆でも分かることでしょう」

 彼女は私に手を振りながら、

「あなたの好意には気付いていましたが、残念ながら私はあなたに対して、何の感情も抱いていません。私の幸福のために動くことができたことを感謝しながら、罪を償ってください」

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