参.

 差し込む光が月光から朝日に代わっていた。私たちは気を失っていたようだ。昨夜の出来事は酒に飲まれてみた幻覚だったのだろうか。何か起きるという期待が私たちに見せたものだったのだろうか。全員すっかり疲れた顔をしていた。もう何も話さず、ただただ帰り支度をしていた。私たちのほかにテントはもうなかった。強烈な一夜が頭から離れなかった。    

そして数日がたった。あの夜のことには誰も触れなかった。皆またいつも通り落第生を務めるようにしていた。また教授からお小言を聞く日々が戻ると今まで通り私たちは屯した。

「そういえばさ、昨日母さんがさ、まあちょっと愚痴聞いてくれよ。」

原田がいつものように必要以上に大きな声を出していた。

「俺が学校にいる時間に女の子が俺の名前を近所に聞こえるくらいでかい声で叫んでたんだって。何事だって近所中みんな出てきたわけよ。母さんも例にもれずにね。外に出てみると、道のど真ん中に赤いワンピース着た女の子が三輪車に乗って道をふさいでたんだって。そしたらその女の子が母さんを見るや否や全力で三輪車をこいで近寄ってきて、


           『ハラダタカユキクンイマスカ!』


ってずっと連呼してきたんだってさ。いないって言ったらまた三輪車でどっか行っちゃったみたいだけどさ。あんた何をしたのなんて怒鳴られちまったよ。」

「おい、嘘だろ?」

私だけではない。田村も気づいたはずだ。

「本当だよ、またそのガキンチョの三輪車がボロくてペダルこぐとキコキコきしむ音がうるさくてそれもまた母さんを苛立たせちゃってさ。」

「おい、それってこの前のキャンプ場と関係あるんじゃないか……?」

私と田村は声を合わせていった。しかし当の原田はキョトンとしていて、ピンときてなかった様子だった。問い詰めても、事細かに状況を伝えても、原田はすっかりあの夜のことを忘れてしまっていた。私はそんなはずはないと、どこであのキャンプ場を見つけてきたんだとスマートフォンの履歴から彼の実験室のPCまで調べ上げたがキャンプ場のことを調べた。形跡は見つからなかった。本当に徹底して調べ上げた。でも見つけることができなかった。今でも私たちは会う仲であるが彼はいまだにその夜の記憶がない。ただ田村も感じていると思う。


 いまだに原田と会うときにはあの日の夜のような不穏な空気を感じることがある。どこかから聞こえてくる。キコキコときしむ三輪車の音が。この時期になると街灯に止まる美しく煌めくオオミズアオを避けながら歩いてしまう。密告者はまだ私を監視している気がする。

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丘の上の女 @togotakano

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