弐.

 小奇麗で、思いの外のどかな所だった。夕暮れに照らされて、背丈の低い草花がキラキラ輝いていて幻想的だなとも感じた。そして以外にもちらほらと既にテントが野営してあった。それを見て三人全員が多少安堵し、今回は普通のキャンプを行うのだろうなと興ざめしただろう。とりあえず一服して、暗くならないうちにと私たちも周りに倣って夜を迎える準備に取り掛かった。

 一通り準備すると私たちの愛読書であるオカルト雑誌なんかを持ち寄って、酒のあてにして晩酌していた。理系かぶれの学生が研究室では話せない話だし、状況も相まってこの日は異常に盛り上がった。だからこそ周りがやけに静かであったことに気づかなかったのかもしれない。この時決して私たちだけがここにいたわけではない。明かりをちらほら灯しているところがあってもいいはずだった。しかし周囲は晦冥で、夕暮れ時とは打って変わって禍々しい表情を露わにした。テントこそ設営してあるものの、生命の気配を感じなかった。そんなこの場所の空気感に私がトイレに立って初めて気づいた。

「おかしいぞ。やけに静かじゃないか?」

一瞬全員が黙りこくり、私たちを沈黙が包み込んだ。まだ二十時前だぞ、だなんて誰も言わなかった。聞き耳立てて少しの時間皆動かなかった。私の唇を割った風さえもこの時は感ぜられなかった。この不穏な空気に圧倒されてしまい、私たちは元の活気をなくしてただただ胸が苦しくなっていく感覚にこらえることしかできなかった。酒が進んだせいか、沈黙が長くなると二人も催してきたようだ。冷え込んだ丘に建てたテントの中で皆額に汗を乗せて小刻みに振動していた。ただ原田も田村もいつまでもテントに留まりはできず、周囲を確認しに行く名目で二十歳を超えた三人の男はテントを後にした。

 一歩外に出ると目が慣れないからか自分らの指先さえもよくわからなかった。遠くに共用便所の蛍光灯がちらついている。私たちは誰も、何も言わずに、草花を足でかき分けながら、不揃いの足音を響かせてただ一点の点滅した光を目指していた。

 光の下へ着こうが私たちの呼吸は乱れたままだった。私が外を見ている間に二人が足早に中へ入っていった。ちかちか不規則に光る蛍光灯が気になって見上げると、不自然に大きいオオミズアオが美しい翅を広げていた。まるで私をからかう様に、光に合わせて翅を不規則に輝かせていた。そして私が近づこうが、手をかざそうが、いつまでも静かにそこにいた。どっしり構えたその姿が美しかった。ただただ美しかった。

「早くテントに戻ろう。」

田村が流す音と共にそそくさと出てきた。それに続いて原田も出てきて、私がいることを確認してからベルトを締めなおした。私たちは振り返りテントの方へ足をむけた。するとオオミズアオが大きな翅音を立てて暗闇へと飛び立っていった。

 テントに着くと皆呼吸も整いだして、寝る準備に取り掛かった。誰が言いだしたわけでもないが、なんとなく私たちはそうした。川の字に寝袋を敷いて目を閉じる。私はいい具合に酔いが回っていたからか、不思議とすんなり眠りについた。


 キコキコキコ……。キコキコキコ……。そんな音で目が覚めた。二人も既に目を開けていた。用を足して三十分もしない時のことだった。最初は冗談だと思った。ただ原田をにらみつけたが本当に怯えている彼の様子から察するに彼の仕業ではない。言うまでもないが田村でもない。

 キコキコキコキコ……。キコキコキコキコ……。何かがさまよっているようだった。丘の上のキャンプ場を巡回しているようでもあった。不規則に、縦横無尽に丘の上を何かが走っている。その順路は神経の様に丘の上のキャンプ場に張り巡らされていた。私たちは息を殺しながら震えていた。ガサツな原田が最後に入ったせいでテントのファスナーの上の方が少し開いていた。この時ばかりは彼を落第生ではなく本当の悪人だと思った。少し開いた隙間から月明りが私たちを照らしている。そんな月光を見ているうちに不穏な音は遠くの方へ行ったような気がした。

突然月明りが一瞬消えた。もぞもぞと入口を何かが揺らす。三人の視線がその一点に集中した。するとまた月明りが差し込んだ。たださっきとは違う。半透明なライムグリーンの光だった。オオミズアオが私たちの領域に侵入したことに気づくまで時間はかからなかった。バサバサとは音を立ててテントの中を動き回った。「ひっ。」そんな情けない声を田村が出した。

キコキコ……。キィィ……。キコキコキコキコキコキコキコキコキコ

見逃してくれたと思ったその音はまたこちらへやって来る。思わぬ密告者に私は動揺を隠せなかった。テントの中にはブザーのような大きな翅音、外からは狂ったように軋んだ音が近づいてくる。私たちは学校の外でも落第生だった。稚拙な考えがとうとう身を亡ぼす時が来たと確信した。


―――キコキコキコキコキコキコキコキコキコキコキコキコキコキコキコ



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