第十一話 太陽と月と星の夢 後編
ベルは黄金の円環を開き、ギルガメシュは素早く印を結んで黄金の円環を紡ぐ。
「夢の解き方を知らぬお前は、その斧の真に何たるかを知らぬだろう。それはお前が本来辿る筈だった、王としての運命を切り拓く為の友であったのだ。……尤も、お前はその切っ先で新たな運命を抉じ開けたようだがな」
「ああ、そうだ。この世界で得た親友が、乃公を新たな未来へと連れて行ってくれた。この力で乃公は、今度こそ人間達の王となる」
「フン、お前の未来を乃公が占ってやる」ギルガメシュが告げるや否や、ベルの背中がざっくりと切り裂かれる。
「がっ……!」
その背後には、もう一人のギルガメシュが血の筋を引く刃を振り抜いていた。ベルが自分の
「無駄だ。そいつは乃公が錬成した、
「未来の……。錬成だと……?」
「未来とは、過去と現在との連続体だ。過去の全てを記録した
腕を組み悠々と解説するギルガメシュの前では、新たに錬成された未来の彼がベルの脇から拳を打ち込んであばらを砕く。これはいわば、あらゆる過程を省略して結果だけを出力する能力だ。結果だけを存在させるという性質上、防御は限りなく不可能な攻撃となる。それこそ、未来の予測でもしない限り。
拳と刃を使った単純な格闘戦のみでもベルには成す術もなく、必死に攻撃を耐え続ける事しか敵わない。
「どうした。こんな程度で終わりか、
「ほざけ……。この程度でいい気になるなよ……!」
ベルは反撃の為に印を結ぼうと試みるが、その手を傀儡に拳で潰されて術の発動を阻害されてしまう。
「“
だが術は発動し、十三の炎が螺旋を描いてギルガメシュに食らい付く。ベルの背中では変形して出現させた腕が印を結ぶ事に成功していたのだ。
「どうやら出せる分身は一体までが限度のようだな。複数に分岐させた未来を同時に錬成する真似はできんらしい」
眼前を焼き尽くす業火を一筋の水流が切り開き、ギルガメシュが
「人間の創造……。乃公が神であった頃の権能か。
「乃公は、乃公の愛する全てを守る為にこの力を使う。この世界を神の怒りから守る、あの天蓋のようにな!」
「人間を守るか……。お前は恐れているのだな。手に入れた友を失う事を」
ギルガメシュの言葉にベルは一瞬口を噤む。
「……乃公は、ようやく人間達が死を恐れる由を理解した。人間と自分を切り離し、独りで生きてきた乃公にこの感情が理解できなかったのは道理だ。死の恐怖とは、愛する者と分かたれる事への恐怖なのだからな。……同時に、愛とは別離の感情なのだ。失う事が恐ろしいからこそ、隣にいてくれる事がこんなにも愛おしい。乃公は人間と同じ命を得て、この愛が欲しかった」
「故に守ると。美しく育ったものだな、我が半魂よ。だがお前のそれでは、全てを守る事などできはせん」
ギルガメシュは両手で
敵の狙いを察知したベルは、ボクとの射線に割って入り斧で電撃を受ける。その攻撃は斧の回転で大気中へと拡散されベルには届かなかったが、彼はその口から血を噴いた。
ボクが自分の身を守る為に錬成した岩石が、その背中を穿っていたのだ。
「お前が守る事ができないのは、他でもない
「乃公には王になれぬと……。そう言いたいのか」
「その答えを下すのは乃公ではなく、お前自身だ。お前が自分で答えを見つけ出せぬのであれば、乃公はその命を絶ち、間違いを犯さぬようにしてやるまでよ」
ベルは迷っている。ボクや周囲の人間を守りながら戦う事に、不自由さを感じ始めているのかもしれない。かつて人間を牛馬同然に扱っていた彼であれば、大規模な術を用いて周囲一帯諸共に敵を消し飛ばす事にも躊躇いを持たなかっただろう。だが彼は王として守るべきものに気付き、その脆さに恐れを抱きつつある。
それはエンキドウも言っていた、王が人間達の犠牲になるという事なのだろう。
「ベル!」ボクは鋭い声で相棒の背中を叩く。「ボクの願いは、お前の背中にこそこそ隠れて生き長らえる事なんかじゃありませんよ!」
それは弱い自分に対する、決別の言葉でもある。ボクはもう、誰かに守られなければ生きていけない臆病者なんかじゃない。前へと足を進め、ベルの隣に並び立つ。
「お前がボク達を守るのなら、ボクがお前を守ります。最果てへ辿り着くなら二人の脚で。道半ばで倒れるのなら二人で一緒に。その何方の結末に転んでも、ボクはお前と一緒ならそれでいい」
欲しいのは夢に見た結果なんかじゃない。夢へと続く道を二人で歩く、その時間がボク達の宝物だ。
「フン……。乃公という奴は、どうにも傲慢な部分は治らんらしいな」
「何度死んでも治らないんですから、筋金入りですよ、お前は。……ボクはそんなお前が好きですけど」
「当然だ。傲慢すらも、神が乃公に与えた優れたものの一つなのだからな。この全能観こそ、神の性よ!」
ベルは
「“
ボク達だけではない。無数の
「これは……。燈が復活してきたじゃないか!」
満身創痍だったキザイアは黄金の円環を結び、“
「乃公と共に戦う者達よ。乃公は王としての力で、お前達を守ろう。その代わりに、乃公の背中はお前達へと預ける!」
王が託した言葉に、戦士達の意思が猛き炎へと燃え上がり、歓声を呼び起こす。大地を震わすその光景は、正しくベルが王であるが故だ。
「待たせたな、バビロニアの王よ。貴様のお陰で乃公が何たるかを確認できた」
「フン……。ならば今一度問おう。お前はその力を用い、この世界で何を為さんとする?」
「乃公はこの世界の隅々を見聞きし、味わい尽くす。そして、世界の王となってみせよう!」
それは世界を手中に収めるという意味ではない。王には、三つの王権が存在する。
民を治める法を敷く、支配権。
国土を手に入れ、守る為の軍権。
そして最も原始的な王の権利こそが、人間の代表者として夢の先を見る特権である。
この世界の人類全てを代表し、
「フハハ! 世界の王ときたか。それならば確かに、城に籠っている暇などあるまいな。乃公でも言わぬような大言を、よくぞ堂々と吐いたものよ!」ギルガメシュは呵呵大笑する。嘲りではなく、心の底から嬉しそうに。「掴み取ってみせろ、王よ。お前達自身の望んだ未来を!」
未来の傀儡がベルの背後から、脳天に刃を振り下ろす。だが黄金の光輝は手を触れすらせずにそれを押し留め、返す刃が傀儡の胴を切り裂いた。
「届かぬわ。乃公と貴様を隔てるは、流星すらも燃やし尽くす大気の壁よ。星の剣と盾で以て、王の威光を貴様に示そう」
千年掛けて崩せる壁なら“
「神が容易に人間の世界へと干渉する事を防ぐ、バビロンの壁か。確かに生半可な事象では突破できぬだろうな」ギルガメシュは斧を手に取ると、宙に向かって投げ上げる。「我等の邂逅も、これにて幕引きとしよう。己の過去に打ち克ち、お前達の明日を征くがいい!」
彼が両手を合わせた刹那、星空の奥より天蓋を突き破って落ちてきたのは、巨大な黄金の斧だった。それはベルが最期に見たという光景に酷似している。
数多の流星が天蓋の破片の如く降り注ぎ、夜が明け始めた空を黄金に染め上げた。風を轟音で裂きながら落下してくる刃が大地に届けば、オケアノスの地全体が吹き飛んでもおかしくはない。
「フン……。よもや本気で世界を滅ぼしにくる奴があるか! 神が知れば大慌てで天地をひっくり返すだろうよ」ベルは珍しい星でも眺めるように腕を組んでいる。
「お気楽な事言ってる場合ですか! こんなのどうやって対抗するんです?」
「敵は乃公自身だ。あの流星は十中八九、乃公が旧き神を殺すのに用いた“
ボクはベルの握る斧の柄に手を添え、ベルの立てた膝に乗って刃を天へと構える。
「狙うは……。あの天蓋の中心です!」
ボクらは星を読み、狙うべき星に切っ先を合わせた。太陽がまだ浮かんでいない今、その星の位置を間違えよう筈もない。
「“
天をなぞった刃は何をも切り裂かず、ただ星空に真っ直ぐな軌跡を描く。それは天と地の隔たりを砕き、青い一筋の流星となって世界に注いだ。
落雷に匹敵する速度で“
「いっけえええええええええええええ!」
稲妻が空の割れ目となって踊り狂い、ボクらの意思を乗せて世界の終わりに抗う。そして一瞬の閃光の後に、天を吹き飛ばさんばかりの爆発を引き起こした。その光景は、見た事もない世界の始まりを何故か彷彿とさせるものだった。
エンキドウは粉々に砕かれ、彼の王であるギルガメシュもまた少しずつ消滅していく。
「礼を言う。今を生きる王と、その親友よ。お前達のお陰で、乃公達もまた唯一無二の友を連れ戻す事ができた」ギルガメシュは実に穏やかな顔でボク達に微笑み掛ける。
「フン……。それがほんの数秒前まで本気でこの世界を絶やそうとしていた奴の言う台詞か! 流石の乃公も我が目を疑ったわ」
「フハハ、お前達の輝きが余りにも愛しくてな。乃公も本気で挑んでみたくなったのだ。……この光景だけは、自分の目で見られてよかった」満足そうに息を吐いたベルは、最後にボクの方を見た。「乃公の半魂……。否、ベルの事を頼んだぞ。乃公達はいつまでも、お前達の幸福な未来を
「ええ。今度こそ、好い夢が見れるといいですね。……さようなら、ギルガメシュ。ボク達の事を助けてくれてありがとう。お前の雄姿は、ボクが永遠に憶えていますから」
そして、今度こそギルガメシュは消えた。その眩い残滓は風に乗り、ボク達の見えない場所へと流れていく。この世の全てを見ている神々でさえ、手の届かない祖霊の地へ。
そこで彼等は自由になるのだ。今度こそ、誰にも邪魔されない冒険の続きを――
「アルカ!」ベルの声が、突然天地がひっくり返ったボクの耳奥を叩く。
彼はボクを抱え、これまでに見た事もない不安げな表情を浮かべていた。
「ふふ……。何て顔してるんですか。お前」
「馬鹿を言えっ……。目の前で親友が、消えようとしておるのだぞっ……!」
ああ、そうか。ボクは今、消えようとしているのか。
ボクがエンキドウの作った器の一つだと知った時から、何となくこうなる予感はしていた。
「ベル……。やっぱり死ぬのって、怖いものですね」
頬を伝う涙が熱い。ベルの顔へと伸ばした自分の手は、指先から消えかかっていた。視界がぼやけ、自分が世界から遠くなっていくのが分かる。
「よかった……。この怖さは、ボクがお前を愛した証拠ですよ。お前に会うまでボクはずっと、空っぽの器だった。死への恐怖も生への執着も、全ては意識の底で繋がっていた
ボクはやっとエンキドウの器ではなく、ボク自身になれたんだ。それでも最期の台詞だけは、病床で呟いたあの記憶と同じになってしまった。
「ベル……。ボクの事、忘れないで下さいね。ボクも絶対、お前の事を忘れませんから」
さようなら、大好きなベル。願わくばどうかお前がこの世界を、ボクより愛してくれますように。
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