第十一話 太陽と月と星の夢 前編
ボクは走りながらアゾット剣を抜き、前方に投擲して印を結ぶ。
「“
一本のアゾット剣を空中で複製し、無数の刃に相手を襲わせる。エンキドウが『闇』の力を広げて剣を破壊しようとした隙に、ボクは追加の印を結んだ。
闇の靄が晴れた時、エンキドウは驚愕と激痛に身体を強張らせていた。彼の背中には、消し去った筈の剣が突き立っていたのだ。
「これは……。キミも『星』の力の本質を理解したのですね」
「お前に教えてもらいました。『星』と『闇』は表裏一体……。ブラックホールに飲み込まれて事象と切り離された情報は、『星』の力で再錬成して吐き出す事ができる。空間跳躍も、似たような原理でしょう。生憎、育ての親が似たような能力を持ってましてね」
差し詰め、ブラックホールに相反するホワイトホールといったところだろうか。それが、
エンキドウは背中から流れる血を手に取ると、自分の身体に化粧を施していく。彼の得意とする形態変化の術。おそらくは、ベルの
細くしなやかな上半身が筋肉の増強や腕の伸長を伴って変形し、黒い獣の体毛がざわざわと表皮を覆っていく。肩からはもう二本の腕が生え、四つの手全てに
「
「不死への道を絶つ、か。少し前の乃公ならば喜びそうな謳い文句よ」
減らず口を叩くベルに、エンキドウは冷たい目を向ける。
「こうも短期間で、キミが人間に絆されてしまうとは思いもしませんでした。……やはり人間は悍ましすぎる。確実に絶滅させなくては」
「人間とは思えぬ言い草だな。尤も、今は姿の方も獣らしくなっているようだが」
ベルの振り下ろした言葉の刃が静かに会話を切り殺し、エンキドウは咆哮した。それは驚くべき事に、獅子にも似た獣の声そのものだ。元より人の言葉を操る獣と相対していたのかと思わせる程の変貌ぶりに、流石のベルも表情を強張らせる。
エンキドウは跳躍すると、周囲の立体的な構造物を次々と蹴って、高速で方向を変えながら此方を翻弄し始めた。
「アルカよ、狩りは好きか? 獅子でも鹿でも構わんぞ」
「狩りなんてした事あるわけねーでしょ! 食べ物は全部、錬金術でポンなんですから」
「風情の無い事だ……。便利なのも考えものだな」
ボクはベルと互いに背中を預け、目の前に刃を構える。
「死ぬなよ、親友」
ベルの何気ない呟きに、ボクは破顔した。
「当然! 王と鉄学者の何たるかを、あいつに見せつけてやりましょうか!」
交わした言葉が背中を押し、ボク達は肩を並べて走り出す。エンキドウは四本の腕で炎の回転剣を駆り、姿勢を低くして足元から切り掛かってきた。
「跳べ、アルカ!」
ベルの指示に引かれ、ボクは大地を離れて印を結ぶ。
「“
足元に岩石を錬成し、敵の刃を食い込ませた瞬間に岩石を足場代わりにして駆け抜けていく。エンキドウの頭上を走り過ぎたボクらは、一緒に翻りながら印を結んで手を敵へと構える。
「“
二筋の火球がエンキドウの背面を叩き、甲高い悲鳴を上げさせた。
「追いかけるのも面倒ですね……」彼は腕を緩慢に此方へ向けると、手の内に闇を宿らせる。
「“
するとベルの巨体が足場を離れてエンキドウの方へと引き寄せられ、空いたエンキドウの拳に頬を殴り飛ばされた。
「ブラックホールの莫大な重力をほんの少し解放してやれば、あらゆる物体を引き寄せる力となる。どんな
巨体が宙を舞う程の膂力でぶっ飛ばされたベルは再び重力に捉えられ、ヨーヨー遊びでもするかのように容易く夜空を往復させられる。
「く……。ベルを離せっ!」
ボクは渾身の力で“
「相殺されてしまいましたか……。キミ諸共消し飛ばす気で撃ったのですが、流石は『星』の力ですね。人間にしては大した威力ですけど、キミはあと何発それを撃てるんでしょう?」
敵は待っているのだ。ボク達の燈が尽き、無防備になる瞬間を。彼我のリソース差に数値の多寡ではなく『有限』と『無限』という壁がある以上、このまま戦った所で此方の勝ち目は薄い。
力比べではなく、隙を衝いての一撃必殺に持ち込まなくては。
エンキドウはベルをしつこく重力で捕縛して引き寄せるが、業を煮やしたベルは身体が宙に浮いた瞬間に拳を固め、天才的な格闘センスでエンキドウと自分の拳をぶつけ合わせる。
その時、打ち合った拳同士の間に僅かなヒビが入ったように見えた。
ベルはようやく重力の渦から解放され、後方に跳びずさる。鼻や口からもかなり出血しているが、彼は敢えてそれを治さずにいるようだった。
「自分と似たような力を持つ敵とは、やりづらいものだな。能力同士の相性が五分である以上、どうしても出力の差で打ち勝たねばならん」
「同じ能力でも使い方次第ですよ、ベル。ボクの事は気にせずに、もっと自由に
「使い方か……。与えるのが鉄学者の役目とすれば、使うのは王の役目という事だな」ベルは
ベルは印を結ぶような姿勢を取ると、両目の上下に六つの眼を開き、神より賜った八つの眼を花弁の如く顔に浮かべる。
「我が名は
ベルが胸の前に結んだ印は黄金の円環となって宙に刻まれ、光の粒になって溶けていく。
「刮目せよ。王の光輝は星の光。星の正しき座を定めしは我が偉業。今こそ天地を創造し、天蓋の下で我が身と世界を自由としよう!」
ベルの頭上に黄金の炎球が出現し、夜闇を照らす。
王が持つ第三
だがベルの
ベルは嵐に吹き上げられたように、上空へと舞い上がる。そして右腕を振り上げると、虚空に爪を立てる動作で彼は
「ずああ!」と叫びながら掴んだ空気を投げ飛ばせば、それは爆撃にも匹敵する破壊力を持った風となってエンキドウを襲う。風圧で身動きの取れなくなった敵にベルは空中を走って接近すると、拳をぶつけると同時に、視界の全てを薙ぎ払わんばかりの爆炎を上げた。
苦し気に咆哮しながら転がって逃れんとするエンキドウに向けて、ベルは耳が割れそうな足踏みを一発鳴らす。その衝撃は波濤となって広がり、見る見るうちに氷山となって獲物を飲み込んでいく。
仕上げにベルは、黄金の炎を拳に宿して氷山へと鉄槌を下した。
「
夜の闇を吹き飛ばさんばかりの大爆発が氷山ごとエンキドウを襲い、地面へと叩き付けて大地を砕く。
ベルは再び、
その光景を見たエンキドウの目は、驚愕と焦りに染まっていく。
「駄目だ……! それではまたキミが、人間達の犠牲になってしまう……。そんな事は絶対にあってはならないッ!」
エンキドウは全身から『闇』を無数の触手のように噴き出し、ベルを飲み込まんと殺到させる。
しかし空を裂く闇は
「乃公の人類創造の術が魂だけとなった貴様の肉体を捉えるように、今や世界そのものがお前の闇を上書きして無力化させる。よもや此処が乃公の王国だという事を、忘れたのではあるまいな?」
死の概念を生み出したベルの布く法則は、永遠の生命を生み出す『闇』の概念を許さない。エンキドウが抱いた闇は、皮肉な事にベルの掲げた王としての在り方とは対極のものであったのだ。
エンキドウはぎりっと牙を剥くと、印を結んで左手を天へと翳す。すると星空に巨大な亀裂が入り、天蓋が崩落するかの如く怒涛の水が雪崩れ落ち始めた。
「“
エンキドウが天高く宣言したその時、彼の背後に投影放送の
『法国の皆さん、小生はメディチ家のフランチェスカ男爵であります。小生の率いる部隊はつい先程、生誕祭の儀式を邪悪な目的に転用し、法国に反旗を翻さんとしたコジモ・メディチを独断と偏見により粛清致しました。皆さんの捧げる祈りは悪魔の王:ギルガメシュの糧となり、この世に地獄を顕現させようと企む、異端者の計画へと与する行為に他なりません。即刻救世の祈りを中止するのであります!』
フランチェスカは戦いのどさくさに紛れ、海上の軍船を奪取していたのだ。彼女は天より押し寄せる終焉の水を画面に収め、世界の危機を訴える。するとエンキドウの
「こんな馬鹿なっ……! 取るに足りない端役の一人に、僕が数千年を掛けて紡いできた計画がっ……!」
一度綻んだ王権の崩壊はとめどなく、先程まで燦然と輝いていた冠は濁った血飛沫となってエンキドウの額を濡らす。彼は遂に、その王座から転げ落ちたのだ。
頭上から落ちてきた大量の水がボク達諸共エンキドウを叩き、彼の病に侵された身体は立ち上がる力すらも失って地面にへたり込む。
「僕が……。負ける……? キミを救ってやる事もできずに……?」震える声でエンキドウは呟く。その声色は、もう冷酷な歯車としてではなく、自らの死に怯えていた一つの命としての彼のものだ。「嫌だ……。そんなの駄目だ……!」
エンキドウは色彩を取り戻した瞳で、涙を流して呟いた。
「ギル……。僕を助けて……!」
彼の願いは奇跡となり、背後に黄金の円環を刻む。
「……こんな所にいたのか。本当に仕方のない奴だ」
優しい声が風に乗って夜空を撫でた。友の願いに冥界さえも超えてしまう、そんな王の名をボクは知っている。豪快さを失って少し
ギルガメシュが、エンキドウの背後に立っていた。
「さて、乃公の友を泣かせたのは何処のどいつだ?」古き王はにっと牙を剥いて笑う。
ああ。ボクは遂に、ギルガメシュとの約束を果たす事ができたのだ。黄金の円環は二つの魂を一つに結ぶ、結び目なのだから。
二人の魂はもう、天と地を別つ刃でさえ切り離す事は敵わないのだ。
「それが
弾かれたように二人の王は走り出し、互いの腕を砕けても構わないという躊躇の無さでぶつけ合う。
ベルが腕をめいいっぱいに振るった拳は、ギルガメシュが後方へと地を蹴って空を切らせるが、腕はそのままぐにゅんと伸びて敵の頸へと突き刺さる。ベルは伸ばした腕を鎖同然にしならせてギルガメシュを振り回し、オケアノス基地の残骸へと叩き付けた。
崩れた瓦礫から一筋の火柱が立ち上ったかと思うと、ギルガメシュは己を掴んでいた手を焼き払いながら宙へと跳び上がる。彼は夜空で印を結び、燈を刻んで無数の火球を機関銃の如く眼下に放射する。
ベルは印を結んで足元の水を器用に展開して炎の弾幕を防ぎながら、ギルガメシュの着地を黄金の炎を纏った拳で狩りに行く。
だがギルガメシュが着地すると同時に周囲の水がばちんと白光し、ベルの全身から焦げ臭い蒸気が上がった。
「ぐおっ……?」ベルが不可解に呻く。
ベルを襲ったのは、おそらく足元の水を伝導した電流だ。水の元素をベースに火の元素を混ぜれば、本来は
応用術は、占星術の時代には無かった錬金術独自の技術である。
「星を見る目は冴えていても、金を錬る知識はお前にあるまい。冥界の王足る知性の刃を、無知なる王に刻んでやるとしよう」
ギルガメシュは万物の錬成を可能にする『星』の力に加えて、
「来い。始まりの王:ギルガメシュが、お前達の輝きを確かめてやる!」
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