第六話 暗き死の教団 後編
王とは何か。鉄学者はその答えを、悪魔の王:ギルガメシュに力を与えられた人々であると昔から考えてきた。
もしベルが言うようにギルガメシュの伝説が鉄学者によって作られた偽りだというのなら、王の存在もまた言い伝えとは異なるものなのかもしれない。
「ソロモンによって黄金の円環へと封印され、乃公は再び眠りについた。今度こそ覚める事はないだろうという予感と共にな。だが乃公は今、こうして再び大地に立っている。乃公は実のところ、一度も死んでなどいないのではないかと感じるのだ」
ベルは落ち着いた声で語るが、表情には僅かな不安が垣間見える。
「……ボクがお前を殺した時はどうだったんですか」
ボクの問いに、ベルはボクの顔を見ながら思索の間を設ける。彼は一度、この部分を嘘ではぐらかした。何か後ろめたい秘密があるのだろう。
「乃公は死ななかった。……あの世の如き光景ではあったがな。そこで乃公は、乃公の家臣を名乗る妙な人間に出会ったのだ。大灯明の事やアクア初体の事も、そいつに与えられた知識だ」
ベルは胸の内に秘めていたであろう秘密をボクに明かした。
「どうして……。その事をボクに?」
「妙だと感じるか。……そうだな。乃公はアルカに嘘を吐いたのだからな。乃公は、人間をそのように扱っても構わないものだと考えていた。どのように扱おうと、どれだけ搾り取ろうと、幸せに一生を終えていくものだと思っていたのだ」
シナンに対する言葉と同じだ。ベルはボクに対しても、責任のある王として接しようとしている。
「もし乃公がアルカを裏切って道具のように使い捨てれば、アルカは不幸になるのだろう?」
なんて不器用な王だ、とボクは思う。ボク達人間が当然の事だと思っている些事に理解が及ばない程、彼は大きな存在であったのだとも。
多分それが、ベルが神であった名残なのだ。
「お前は……。そうしない事を選んでくれたんですね」
「アルカ、乃公は不安なのだ。乃公が願った事は、本当は間違いだったのではないかと。だから聞かせてくれ。……人間は、死んでしまうぐらいなら生まれてこない方が良かったと思うのか? 死とは、それ程に恐ろしいものなのか?」
そう尋ねるベルの顔は、今にも泣き出しそうな子供のようだった。
「そんな事はありませんよ。生きる事が素晴らしいから、人間は死にたくないと思うんです」
真実を話してくれたベルに、ボクは優しい嘘を吐いた。ボクの弱くて醜い心の内を見せたら、ベルが壊れてしまう。そんな気がしたから。
「……そうか! そうだな。世界を愛するからこそ、人間は死を忌み嫌うのだな」ベルはボクに、黄金の笑みを向ける。「永遠の命か。アルカの願いは素晴らしいものではないか!」
ボクの願いを肯定してくれたベルの言葉が、何故か少し胸に痛かった。
「待つっす!」静寂に包まれていた広場に、聞き覚えのある声がこだまする。
背後を振り返ると、そこには意識を取り戻したハルフィが立っていた。腹部には包帯を巻いており、どうやら手当を受けられたようだ。
ボクは手にイスカンダルの燈を燃やして警戒するが、ベルが後ろ手を翳して静止を掛ける。
「ごめんなさい!」ハルフィは謝罪の言葉を叫ぶ。「アルカちゃんがいい子だって分かってたのに……。私は自分の事だけ考えて、アルカちゃんが殺されちゃうかもしれないのに誘拐しようとして、本当に最低っす。許して欲しいなんて口が裂けても言えないけど、これだけ……返したくて……!」
ハルフィが両手で差し出したのは、二金ドラグマ金貨だった。
「……ハルフィ達は、どうしてボク達を捕まえようとしたんですか」
「アサシン教団の指導者……。
「ボクとベルを使ってバビロニアを取り戻す……? 何ですかその計画は……」
ボクの横では、ベルが険しい表情を浮かべている。
「星の贖罪というのがまた気に食わんな。星に罪があるものか」少しズレている気もするが、ベルの傲慢な物言いにボクは何だか安心する。
「
「……それでハルフィ達はどうするつもりなんですか。ボク達を捕まえるように命令されてるんでしょう」
ボクの問いに、ハルフィはぐっと首元に力を込めた。
「私達は、これから
「……成程。つまりボクとハルフィ達の利害は一致するって訳ですね」
「……へ?」ハルフィはきょとんとボクの目を見詰める。
「ハルフィ、その金貨の契約はまだ有効ですか?」
少し間を開けて、ボクの言葉の意味を理解したハルフィはぱあっと顔を輝かせた。
「勿論っす! 期限は……。明日の生誕祭の当日まで、っすよね!」
「そういう事です。バルタザール子爵を暗殺して、秘密の儀式に乗り込ませてもらうとしましょうか」
同じ王を擁く者同士。金貨よりも信用できる契約が、ここに結ばれた。
◇
ボラードハウスの夜は、祝宴に沸く。大通りの中心には火が焚かれ、床一面に敷かれた絨毯の上で
ボクとベルは一番大きな絨毯に招待され、左に座るシナンとハルフィと共に皿を囲んでいた。
「はわわー! とんでもないご馳走ですね……!」
ギルドの職人達が運んできてくれたのは、エヴァーライフでは見た事も無い料理の数々だ。香味野菜と牛脂の匂いが、鼻腔をくすぐる独特の風味を醸し出している。尤も目を引いたのは、琥珀色の脂が浮いた乳白色のソースが食欲をそそる、鶏肉料理である。鶏肉はベルの好物という事もあって、一層その味が気になった。
「それはタッルという煮込み料理じゃ。古来より、宴の席での定番料理として食べられてきたものでな。これをパンと一緒に食し、ビールを
タッルの他にも彼女が言ったビールやバビロニア式のパン、加えて一尾を丸々使った魚料理や、香味野菜と豆のサラダが並べられている。
「今夜は清めの日といってな。バビロニアの戦士は戦いに赴く前の
火に照らされて語るシナンの横顔を見ていると、なんだか心が落ち着いてくる。彼女はまだ年若いが、まるで、祖母と話しているかのようだ。
「食事はバビロニアの戦士にとって重要な儀式っすから、昔から私達みたいな戦士専属の料理人がいるんす。私はまだまだ見習いっすけど、シナン様の為に毎日パンを作らせてもらってるんすよ」
そう言って、ハルフィはバスケットに入った焼きたてのパンを渡してくれた。キングスランドで一般的に食べられているものとは違い、無発酵の薄っぺらいパンだ。それを丸めて、ミルフィーユ状の多層構造にしてある。
「なんだか王と鉄学者みたいですね」
ボクはパンを一つ掴み取り、タッルに浸してみる。そして、小さな鶏肉片と共に口に運んだ。
香味野菜――臭みが少なく甘みの強いポロネギと、ニンニク・タマネギの分かりやすい風味に加えて、香辛料由来と思われる辛さや苦みも感じる。乳製品らしい酸味とまろやかさも、脂っぽさと相性が良く、慣れない味である事を差し引いても充分過ぎる程に美味しい。パンの方は無発酵であるが故にスープをよく吸う訳ではないが、生地に練り込まれたポロネギの風味と強い大麦の味が単体で味わい深く、スープの味を損なっていなかった。
「美味しい……! なんだか力が湧いてくる気がします」
「気のせいじゃないっすよ。この料理には、イスカンダルの燈を回復してくれる効果があるんす。身体に負った傷も、治しちゃうんすから」
「毒だけじゃなくて、薬効もあるんですね。燈を回復させるだなんて珍しい
「元はそっちがメインなんす。星の力を体内に取り入れて病を癒すのが、古来からの民間占星術っす」
錬金術の発動によって消費されたイスカンダルの燈は、基本的に睡眠を摂る事で回復する。正確にはイスカンダルの燈というものは無限に練り上げる事が可能なのだが、燈を練って願望を乗せる為の、術者の精神の方が疲弊して弱まっていくのだ。そして精神は睡眠を摂り、脳を休める事で回復する事が明らかになっている。
この料理に込められた
「ビールも飲めればいいんすけど……。アルカちゃん、何歳っすか?」ハルフィは空の杯を手に聞いてくる。
「一七です。キングスランドでは飲酒が許されるのは一八の歳からですから、今はまだお預けですね」
すると、杯の中にはビールの代わりに、乳白色の飲料が湧き上がった。
「シズブっす。加熱して一度分離させた牛の乳に、蜂蜜とヨーグルトを入れて混ぜ込んだ乳飲料っすよ。お子様にも安心っす!」
「お子様って……。そう言うハルフィは何歳なんですか」
「一九歳っすよーん。私の方がお姉さんっすね!」ハルフィは歯を見せて笑った後、ふと何かを思い出したように表情を暗くした。「……自分よりも年下の子を攫おうとするなんて、かっこ悪いっすね」
和解の後は務めて明るく振る舞っていた彼女だったが、心の中では後ろめたさをずっと感じているのだろう。
「そなたの一存ではない。儂が命じた事じゃ」隣に座るシナンが、淡々と言い放つ。
シナンはボクに謝らなかったし、ボクもそれでいいと思う。双方共に偽って、上手く利用しようとしたのは事実だからだ。その上で互いの利害を一致させ、ボクらは契約を結んだ。
「私は……。本当はその命令に逆らうべきだったんす。アルカちゃんは良い子だって知ってたんだから。それでも私は、与えられた命令に自分の意思を任せて逃げた卑怯者っす。だから、私はアルカちゃんを守るっすよ。今度は自分の意思で」
鼻を鳴らして意気込む姿にもう影は無く、ボクは心の芯が強い女性だと思った。
そういえば、さっきからやけにベルの方が静かだ。また夢中になって食べているのかと思いながら、ボクは右隣へ振り向く。
「ちょっと。折角の宴会なんですから、少しぐらいは会話に――」
見上げると、ベルは星空を見上げていた。ボクと同じようにタッルとパンを口に運びながら、ビールを片手に星を眺めている。
「星を見てたんですね。……お前も昔はあそこにいたんでしょう。懐かしくなったりするものなんですか?」
「そうだな。あの場所の
ベルの返事に、ボクは少し違和感を覚える。「景色……? 天の上には物質もエネルギーも存在しないのに、景色があるんですか?」
「当然だ。大地もあるし、海もある。正確には、大地や海の概念がな。神とは概念の世界に生き、概念を知覚しておるのだ。景色こそ違えど、世界の感じ方は人間達とそう変わらん。両方を経験した乃公が言うのだから、間違いあるまい」
概念の世界。人間のボクには想像もつかない景色だ。
「世界の果てまで行けば、人間にも同じ景色が見えるんでしょうか」
「フン、イスカンダルとやらも同じ事を考えたのかもしれんな」ベルはビールを
神と人間。住む世界や価値観は違えど、手に入らない物を求めるという点では同じなのかもしれない。完全である神にとっては、人間の不完全さが眩しく映るものなのだろうか。
「いつか手に入るといいですね。お互いにとっての求めるものが」
「フン、そうだな。その時まで宜しく頼むぞ、アルカ」
ベルは杯をボクに向ける。シズブの入った杯を合わせると、衝撃で杯の中身が少し混じった。
「乃公達の旅路を照らす、星の光に――」
「――乾杯」
初めての酒の味は、甘さに紛れてよく分からなかった。
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