第六話 暗き死の教団 前編
「何が
ハルフィは目を閉じると、オレンジ色だった双眸を真っ赤に染めて開眼する。
「四大元素を同時に操る力がアルカちゃんの
彼女の眼光が閃いた刹那、その身体が数十体に分かれる。
ボクは背後に召喚した四体の精霊を眼前へと殺到させたが、攻撃は虚しく分身をすり抜けていく。無数のハルフィ達は、触手の先から噴き出した水を氷の刃に変えて攻撃に移る。
「私の
勝ち誇った顔で彼女が振り下ろす無数の刃がボクを貫く。ただし、形の無い幻影として。
「なっ……?」目の前の出来事が偶然だと言わんばかりに、ハルフィは次の刃を打ち込む。
だがそれも、ボクを通り抜けて風を切っただけだった。
「まさか、この術は私の……!」
「おまえ、身体だけが取り柄のバカなんですね。……四大元素の全てを操る力が何を意味するのか。まるで分かっていません」ボクはハルフィの耳元で囁く。
ぞくんと身を震わせたハルフィの身体を背後から拘束し、左手に握ったアゾット剣でハルフィの腹部をなぞる。彼女の割れた腹筋に赤い筋が入り、裂けた皮膚から鮮血が噴き出した。
「四大元素を支配するという事は、如何なる
「あっ……。あっ……!」出血のショックに、ハルフィは拘束された身体を痙攣させる。
無数の幻影は泡のように消滅し、残った一人だけが白目を剥いて床に崩れ落ちた。
「――
髪と眼の色が元の薄紫に戻り、ボクはその場に膝を着く。ベルの再召喚に続いて
「うぐ……。早くベルの加勢に行かないと……!」
身体を起こそうとした刹那、轟音と共に強風がボクの身体を呷る。音の方へ目を向けると、ベルが自らの背後に七つの竜巻を生み出していた。
「フハハ……! 素晴らしいぞ、バビロニアの戦士よ! よもやこの乃公を相手にここまで善戦する人間がいようとはな!」
高笑いするベルの前では、体中に傷を負ったシナンが苦々しい顔で跪いている。大蠍は粉砕され、あちこちに炎の燻る破片が転がっていた。
「ハルフィがやられたか……。まさか儂等の暗殺術が一介の職人に敗れるとは……」
「フン、少し遊び過ぎたな。此方もそろそろ終わらせるとするか」ベルは七つの竜巻から風を解き、頭上に高速回転する気流の刃を形成する。「さらばだ。祖霊の待つ地で安らかに眠るがいい!」
ベルが攻撃に移ったタイミングに合わせ、シナンは印を結んで黄金の円環を刻む。一瞬
粘液は風を受けながらもベルを襲い、その体表へとへばり付く。
「ぬおっ!」と叫びながら離れようとするベルの四肢を粘性の高い謎の物体はしっかりと捕縛し、接触部分からは白い蒸気がじゅうじゅうと上がり始める。
その蒸気は、鼻を刺す程の悪臭を放っていた。……これは、肉の腐敗や焦げを連想させる臭いだ。ベルの腕は肉が溶かされ、骨まで崩れてぼろりと落ちる。
「小癪なァ!」ベルは頭上の
ここで、ベルも異変に気付いた。粘液に、風の斬撃が全く効いていないのだ。
「無駄じゃ。儂の『毒』は、物質だろうがエネルギーだろうが、あらゆる物を分解してその働きを阻害する」シナンは粘液の下からゆっくりと起き上がる。「
彼女の金色の眼は、至極色に染まっていた。
「アサシン教団……。一三世紀の半ばに壊滅したとされる、バビロニアの伝説的な武装勢力ですか」
「滅んでなどおらぬ。アサシン教団の名は、王国を失ったバビロニアの民にとって常に心の拠り所であり続けてきた。いつか自分達に帰るべき王国を取り戻してくれる、救世主としてな。そしてついに儂等の代で、指導者たる
シナンは両手を合わせ、更に大量の毒を錬成する。全身を包まれそうになったベルは身体を小さな鳥に転じさせると、飛んで毒の包囲から逃れた。
空中で変化を解いたベルは落下しながら印を結び、着地と同時に足元へと刻む。
「“
怒涛の周囲に展開し、ベルはにっと笑う。「毒ならば洗い流せば済む事だ!」
彼は自信満々だが、シナンの毒は物質ではなく概念である。彼女の言をそのまま捉えるならば、物質を分解して働きを阻害させる。差し詰め『毒』という概念そのものが形を持って世界に顕現している。故に定型を持たない水や風、おそらくは火のようなエネルギーであっても、シナンの毒を前には働きを成さない。
ベルもその事に何となく気が付いたのか、つまらなさそうに舌打ちをする。
「どれ程の量の水を出そうと無駄か。乃公の作った死の定めにも近いものだな」彼は冷静に呟くと、跳躍してボクの傍へと寄ってくる。「このままでは埒が明かん。何かよい知恵を寄越せ」
策という程ではないが、対処法は既にボクの脳内にあった。
「ベル、
ボクは黄金の円環を練り上げ、ベルへと放り投げる。彼がそれを掴んだ時、手にした虚空から滑り出るように黄金の塊が錬成されていく。
それはベルの腕に馴染む大きさをした、一本の手斧だった。柄の部分と同じ長さの刃が、護拳を思わせる形で平行に付いており、一般的な斧とは少し異なる形状だ。その形状を目にしたベルは、今までになく嬉しそうに破顔する。
「これは……。乃公を殺したあの斧か!」
「へ? 殺した……?」
「動く部屋の中で話したであろう。星降る夜に、天より飛来して乃公の頭蓋をかち割った斧よ。それが乃公の手に渡るとは、数奇なものよな!」
ベルは古い友人に会ったかのような晴れやかな表情で斧を回し、再びシナンの前に立つ。
だがいずれも、王の持つこの世の法則から絶対化された権利:
元より
だが如何に
ベルが斧を回すと刃の軌跡が黄金の円環になり、金色の光輝が炎の如く立ち昇っていく。
「フン、祭りの道具には映えそうだな」
彼は上機嫌に光輝の輪を作り、「ハァ!」と車輪を投げるようにシナンへと飛ばす。
「戯れを……。そんな虚仮脅しが通じると思うか!」彼女は自分の視線を右腕に向け、毒でコーティングしていく。
「“
毒の塊は鋭い爪を持った巨大な手を形成し、跳躍と共に光輪へと掴み掛かる。まるで粘液生物の頭部が獲物を捕食するように光輪を包み込むと、そのまま漆黒の内に沈めてしまう。
「駄目ですか……!」と思わず諦めの声が漏れた刹那、猛毒の手の甲から薄く光が漏れた。
光輪は“
「駄目なものか。乃公に不可能など無いわ」
ベルは実に器用に、斧を代わる代わる両手で回転させ、光輝が噴き出す様を楽しんでいる。
「上手くいったからって調子の良い事言って……。そもそもその光は何なんですか。炎と違って熱も出てないみたいですし……」
「これは星の光だ。名付けるなら、“
「星の正体……? 学説では、星は物理法則を構築する、エネルギーの塊だなんて言われてますけど……」
「それは違うな。天地創造の際、神は天と地を二つに分けた。天とは物質やエネルギーで構成された事象の存在しない、神々の住まう世界。そして地が、事象で構築されたこの世界の事だ。星が天にある以上、エネルギーの塊である事はありえん」
まさかベルの口からこんな話が聞けるなんて思いもしなかった。まるで勉強を教わっている気分だ。
「物質もエネルギーも存在しないって……。じゃあ星の正体は何なんですか」
「星とは巨大な概念よ。いうなれば、世界の設計図のようなものだ。その設計図は、『風・天・火・雷・水・沢・土・山』という八つの概念で構築されている。人間達は、その八つの概念を神と呼び、そして星と呼んでおるのだ。星見の術とはそこから基本となる四大元素を抽出し、それらを掛け合わせて万物の設計図を作り出す、世界創造の流用だ。形を持たないものに形を与える事こそが、星見の本質であると知れ」
ベルは斧の軌跡から“
「この斧が切り裂くのは、人間の世界に非ず。人界を構築する、神の世界の概念だ。乃公は人間ではなく、旧き神や巨人と戦って国土を勝ち取った王なのだからな」
事象としての『毒』ではなく、『毒』を構築する概念そのものを破壊する。故に上位存在の絡む力であれば、あらゆる物理的特性を無視して破壊する事が可能という事か。
その攻撃をまともに受けたシナンは吹っ飛びこそしたものの、身体に斬撃の跡は一切残っていなかった。
「何故……。儂を生かす。今の一撃、そなたがその気になれば、儂を両断するなど造作も無かったじゃろう」
ベルはシナンの方へ歩いていき、彼女の視界で影を落とす。
「……何故だろうな。乃公にも分からん」ベルは数秒言葉に悩み、渇いた口を言葉で濡らそうとするように口を開く。「だが乃公は如何なる時も、誰かを不幸にしたいと思った事は無い。旧き神に弓を引いた時も、人間を作った時も、人界の王として享楽を貪っていた時もだ。……貴様が乃公の所為でこの世界を憎み、絶望と共に冥界へ沈んでいくのは悲しいではないか」
その言葉を聞いてボクは気付いた。ベルは今、初めて人間を知ったのだ。自らの被造物である人間とまともに交わらなかった孤高の王は、傲慢にも『人間は幸福だ』と思い続けてきたのだろう。彼は人類に命を与え、美しい世界を与えたのだから。
彼の中での王としての責務は、そこで既に終わっていたのかもしれない。
「生きろ。そして幸せになれ。その為に乃公は戦い、この世界を築いたのだ」
シナンはベルの言葉に目を見開き、口を震わせながら開く。「そなたの……。そなたの旧き名前は……!」
「旧き名はマルドゥック。貴様達が待ち続けた、バビロニアの王だ」
「あぁ……!」シナンは倒れたまま泣き崩れる。
ベルは踵を返すと、建物の入口へ向かって歩き出す。ボクはその後ろに付いて、彼と共に外へと出た。空は既に夕日で赤く染まり、うっすらと星が見え始めている。
「貴様達の家族は無事だ。中に入って手当をしてやれ」
ベルは入口の傍にいた、
ボクとベルは人気の少なくなったボラードハウスの大広場まで歩き、ベルの方から足を止める。彼は、ゆっくりと此方を振り返った。
「アルカの願いは、永遠の命を得る事だったな。……死ぬのは、恐ろしいか?」
一度答えを返した問いを、彼は今一度ボクに投げ掛ける。だが今回は、あの時のような息苦しさを感じない。
「……そうですね。死ぬのは恐ろしいです」
ボクは思った。ベルはボクに『死ぬのが恐ろしくなった』と言ったが、あれは演技だったのだと。
「乃公にはその気持ちが分からん。
ベルがボクに吐露したのは、想像だにしなかった彼の心の内だった。
「最初に自分の終わりを感じたのは、天から斧が降ってきた時だった。だが乃公は、その後に目を覚ましたのだ。眠りにつき、朝日と共に目を覚ますかのように。目覚めた場所は、作りかけの白い神殿だ。そこで乃公は、ソロモンというガキと出会った」
「ソロモン……。その名前はボクも知っていますよ。今から約三〇〇〇年前に存在したとされる、シオンの伝説的な王です」
「そうか。奴の国がシオンか。乃公はソロモンが国の名前を決めるよりも前に黄金の円環へと閉じ込められたからな。国の名前は知らないままだった」
「黄金の円環……? ソロモンが黄金の円環を作ったんですか?」
黄金の円環。上位存在の魂と人間の魂を結び付ける
「そうだ。奴は乃公の他にもどこかから連れてきたであろう人間達を使役し、神殿を作らせた。アルカ達が『王』と呼んでいるものは、おそらくソロモンが召喚して黄金の円環に閉じ込めた、人間や
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