第六話 暗き死の教団 前編

「何が第五元素エウレカっすか。本来存在しない第五の元素なんて、誇大妄想ボンバストゥスに過ぎないっす!」

 ハルフィは目を閉じると、オレンジ色だった双眸を真っ赤に染めて開眼する。

「四大元素を同時に操る力がアルカちゃんのっすか。確かに凄い力っすけど、私の魔眼:赤い紐の家ウォール・オブ・エリコには及ばないっすよ!」

 彼女の眼光が閃いた刹那、その身体が数十体に分かれる。

 ボクは背後に召喚した四体の精霊を眼前へと殺到させたが、攻撃は虚しく分身をすり抜けていく。無数のハルフィ達は、触手の先から噴き出した水を氷の刃に変えて攻撃に移る。

「私の赤い紐の家ウォール・オブ・エリコは周囲の熱を操作して幻影を作り出す魔眼っす。私の運動術キネスにこの幻影が合わされば、絶対に本体を捉える事はできないっすよ!」

 勝ち誇った顔で彼女が振り下ろす無数の刃がボクを貫く。ただし、形の無い幻影として。

「なっ……?」目の前の出来事が偶然だと言わんばかりに、ハルフィは次の刃を打ち込む。

 だがそれも、ボクを通り抜けて風を切っただけだった。

「まさか、この術は私の……!」

「おまえ、身体だけが取り柄のバカなんですね。……四大元素の全てを操る力が何を意味するのか。まるで分かっていません」ボクはハルフィの耳元で囁く。

 ぞくんと身を震わせたハルフィの身体を背後から拘束し、左手に握ったアゾット剣でハルフィの腹部をなぞる。彼女の割れた腹筋に赤い筋が入り、裂けた皮膚から鮮血が噴き出した。

「四大元素を支配するという事は、如何なる術式アルスでも再現できるという事です。自分の術に引っ掛かるなんて、術師にとって最も屈辱的な最期ですよ。……ばぁーか」

「あっ……。あっ……!」出血のショックに、ハルフィは拘束された身体を痙攣させる。

 無数の幻影は泡のように消滅し、残った一人だけが白目を剥いて床に崩れ落ちた。

「――証明完了クオド・エラト・デモン。自分の術式アルスをそうべらべらと喋るべきじゃありませんでしたね」

 髪と眼の色が元の薄紫に戻り、ボクはその場に膝を着く。ベルの再召喚に続いて第五元素エウレカを使った所為で、流石に燈を使い過ぎていた。

「うぐ……。早くベルの加勢に行かないと……!」

 身体を起こそうとした刹那、轟音と共に強風がボクの身体を呷る。音の方へ目を向けると、ベルが自らの背後に七つの竜巻を生み出していた。

「フハハ……! 素晴らしいぞ、バビロニアの戦士よ! よもやこの乃公を相手にここまで善戦する人間がいようとはな!」

 高笑いするベルの前では、体中に傷を負ったシナンが苦々しい顔で跪いている。大蠍は粉砕され、あちこちに炎の燻る破片が転がっていた。

「ハルフィがやられたか……。まさか儂等の暗殺術が一介の職人に敗れるとは……」

「フン、少し遊び過ぎたな。此方もそろそろ終わらせるとするか」ベルは七つの竜巻から風を解き、頭上に高速回転する気流の刃を形成する。「さらばだ。祖霊の待つ地で安らかに眠るがいい!」

 ベルが攻撃に移ったタイミングに合わせ、シナンは印を結んで黄金の円環を刻む。一瞬召喚術ネクロかと思われたが、放たれた燈から生み出されたのは、ギトギトと紫色に光沢するどす黒い粘液だった。

 粘液は風を受けながらもベルを襲い、その体表へとへばり付く。

「ぬおっ!」と叫びながら離れようとするベルの四肢を粘性の高い謎の物体はしっかりと捕縛し、接触部分からは白い蒸気がじゅうじゅうと上がり始める。

 その蒸気は、鼻を刺す程の悪臭を放っていた。……これは、肉の腐敗や焦げを連想させる臭いだ。ベルの腕は肉が溶かされ、骨まで崩れてぼろりと落ちる。

「小癪なァ!」ベルは頭上の絶対王権クラウンを開花させ、手足を再生させんとする。更に“悪風渦巻く大神殿ムシュフシュ”からの風を周囲に投下し、粘性物体を吹き飛ばそうと試みる。

 ここで、ベルも異変に気付いた。粘液に、風の斬撃が全く効いていないのだ。

「無駄じゃ。儂の『毒』は、物質だろうがエネルギーだろうが、あらゆる物を分解してその働きを阻害する」シナンは粘液の下からゆっくりと起き上がる。「第五元素エウレカ:『毒』。世界の悪しき流れを溶かし崩す、儂等アサシン教団が見出した第五の元素じゃ」

 第五元素エウレカ。ボクの持つ四大元素を完全に操る力と、同種の力だ。その本質は世界の構成要素である四大元素とは別の、新たな仮想元素の抽出。四つの元素が世界の全てを構成するのであれば、第五の元素とはその世界に立ち世界を観測している自分自身である。故に、第五元素エウレカは術師の目に宿るのだ。

 第五元素エウレカとは術師にとって、世界を定義する為のフィルターのようなものである。シナンの場合は、それがアサシン教団という団体の教義なのだろう。

 彼女の金色の眼は、至極色に染まっていた。

「アサシン教団……。一三世紀の半ばに壊滅したとされる、バビロニアの伝説的な武装勢力ですか」

「滅んでなどおらぬ。アサシン教団の名は、王国を失ったバビロニアの民にとって常に心の拠り所であり続けてきた。いつか自分達に帰るべき王国を取り戻してくれる、救世主としてな。そしてついに儂等の代で、指導者たる山の老人アルジェバルが現れたのじゃ。山の老人アルジェバルは儂に失われた第五元素エウレカを与えて下さった。この力で、儂等は世界に復讐するのじゃ!」

 シナンは両手を合わせ、更に大量の毒を錬成する。全身を包まれそうになったベルは身体を小さな鳥に転じさせると、飛んで毒の包囲から逃れた。

 空中で変化を解いたベルは落下しながら印を結び、着地と同時に足元へと刻む。

「“流転の杯アルカフ山海狂わす大洪水スラトハニス”!」

 怒涛の周囲に展開し、ベルはにっと笑う。「毒ならば洗い流せば済む事だ!」

 彼は自信満々だが、シナンの毒は物質ではなく概念である。彼女の言をそのまま捉えるならば、物質を分解して働きを阻害させる。差し詰め『毒』という概念そのものが形を持って世界に顕現している。故に定型を持たない水や風、おそらくは火のようなエネルギーであっても、シナンの毒を前には働きを成さない。

 ベルもその事に何となく気が付いたのか、つまらなさそうに舌打ちをする。

「どれ程の量の水を出そうと無駄か。乃公の作った死の定めにも近いものだな」彼は冷静に呟くと、跳躍してボクの傍へと寄ってくる。「このままでは埒が明かん。何かよい知恵を寄越せ」

 策という程ではないが、対処法は既にボクの脳内にあった。

「ベル、王笏セプターを使ってください」

 ボクは黄金の円環を練り上げ、ベルへと放り投げる。彼がそれを掴んだ時、手にした虚空から滑り出るように黄金の塊が錬成されていく。

 それはベルの腕に馴染む大きさをした、一本の手斧だった。柄の部分と同じ長さの刃が、護拳を思わせる形で平行に付いており、一般的な斧とは少し異なる形状だ。その形状を目にしたベルは、今までになく嬉しそうに破顔する。

「これは……。乃公を殺したあの斧か!」

「へ? 殺した……?」

「動く部屋の中で話したであろう。星降る夜に、天より飛来して乃公の頭蓋をかち割った斧よ。それが乃公の手に渡るとは、数奇なものよな!」

 ベルは古い友人に会ったかのような晴れやかな表情で斧を回し、再びシナンの前に立つ。

 王笏セプターとは、王冠クラウンに並ぶ王の力の一つ。王冠クラウンが王の特権を再現するのに対し、王笏セプターは国の支配者としての力を裏付ける、軍権の象徴である。故に純粋な武器としての形状を持つ、戦闘特化の能力として発現する。

 だがいずれも、王の持つこの世の法則から絶対化された権利:絶対王権レガリアという概念の下に成立している力という点では変わりなく、同じく概念である第五元素エウレカとは性質が近い。

 元より第五元素エウレカとは、鉄学者達が王と同じ力を手にする為に研究されてきたものなのだから。

 だが如何に王笏セプターとはいえ、その刀身のみでシナンの毒を切り裂く事は敵わないだろう。秘められた概念が毒をも切り裂く力を持っているのに、期待する他は無い。

 ベルが斧を回すと刃の軌跡が黄金の円環になり、金色の光輝が炎の如く立ち昇っていく。

「フン、祭りの道具には映えそうだな」

 彼は上機嫌に光輝の輪を作り、「ハァ!」と車輪を投げるようにシナンへと飛ばす。

「戯れを……。そんな虚仮脅しが通じると思うか!」彼女は自分の視線を右腕に向け、毒でコーティングしていく。

「“第五元素エウレカ地獄暗殺手ザッハトルテ”!」

 毒の塊は鋭い爪を持った巨大な手を形成し、跳躍と共に光輪へと掴み掛かる。まるで粘液生物の頭部が獲物を捕食するように光輪を包み込むと、そのまま漆黒の内に沈めてしまう。

「駄目ですか……!」と思わず諦めの声が漏れた刹那、猛毒の手の甲から薄く光が漏れた。

 光輪は“地獄暗殺手ザッハトルテ”を貫き、シナンの胸へと命中する。そして光輝が炸裂し、シナンの身体を悲鳴と共に後方へと吹き飛ばした。彼女は側面の壁に背中から衝突し、崩壊する壁材と共に床で動かなくなる。

「駄目なものか。乃公に不可能など無いわ」

 ベルは実に器用に、斧を代わる代わる両手で回転させ、光輝が噴き出す様を楽しんでいる。

「上手くいったからって調子の良い事言って……。そもそもその光は何なんですか。炎と違って熱も出てないみたいですし……」

「これは星の光だ。名付けるなら、“人界拓く星炎の剣リットゥ”といったところか。アルカよ、天に浮かぶ星の正体を知っているか?」

「星の正体……? 学説では、星は物理法則を構築する、エネルギーの塊だなんて言われてますけど……」

「それは違うな。天地創造の際、神は天と地を二つに分けた。天とは物質やエネルギーで構成された事象の存在しない、神々の住まう世界。そして地が、事象で構築されたこの世界の事だ。星が天にある以上、エネルギーの塊である事はありえん」

 まさかベルの口からこんな話が聞けるなんて思いもしなかった。まるで勉強を教わっている気分だ。

「物質もエネルギーも存在しないって……。じゃあ星の正体は何なんですか」

「星とは巨大な概念よ。いうなれば、世界の設計図のようなものだ。その設計図は、『風・天・火・雷・水・沢・土・山』という八つの概念で構築されている。人間達は、その八つの概念を神と呼び、そして星と呼んでおるのだ。星見の術とはそこから基本となる四大元素を抽出し、それらを掛け合わせて万物の設計図を作り出す、世界創造の流用だ。形を持たないものに形を与える事こそが、星見の本質であると知れ」

 ベルは斧の軌跡から“人界拓く星炎の剣リットゥ”を噴き上げ、宙へと浮かべる。

「この斧が切り裂くのは、人間の世界に非ず。人界を構築する、神の世界の概念だ。乃公は人間ではなく、旧き神や巨人と戦って国土を勝ち取った王なのだからな」

 事象としての『毒』ではなく、『毒』を構築する概念そのものを破壊する。故に上位存在の絡む力であれば、あらゆる物理的特性を無視して破壊する事が可能という事か。

 その攻撃をまともに受けたシナンは吹っ飛びこそしたものの、身体に斬撃の跡は一切残っていなかった。

「何故……。儂を生かす。今の一撃、そなたがその気になれば、儂を両断するなど造作も無かったじゃろう」

 ベルはシナンの方へ歩いていき、彼女の視界で影を落とす。

「……何故だろうな。乃公にも分からん」ベルは数秒言葉に悩み、渇いた口を言葉で濡らそうとするように口を開く。「だが乃公は如何なる時も、誰かを不幸にしたいと思った事は無い。旧き神に弓を引いた時も、人間を作った時も、人界の王として享楽を貪っていた時もだ。……貴様が乃公の所為でこの世界を憎み、絶望と共に冥界へ沈んでいくのは悲しいではないか」

 その言葉を聞いてボクは気付いた。ベルは今、初めて人間を知ったのだ。自らの被造物である人間とまともに交わらなかった孤高の王は、傲慢にも『人間は幸福だ』と思い続けてきたのだろう。彼は人類に命を与え、美しい世界を与えたのだから。

 彼の中での王としての責務は、そこで既に終わっていたのかもしれない。

「生きろ。そして幸せになれ。その為に乃公は戦い、この世界を築いたのだ」

 シナンはベルの言葉に目を見開き、口を震わせながら開く。「そなたの……。そなたの旧き名前は……!」

「旧き名はマルドゥック。貴様達が待ち続けた、バビロニアの王だ」

「あぁ……!」シナンは倒れたまま泣き崩れる。

 ベルは踵を返すと、建物の入口へ向かって歩き出す。ボクはその後ろに付いて、彼と共に外へと出た。空は既に夕日で赤く染まり、うっすらと星が見え始めている。

「貴様達の家族は無事だ。中に入って手当をしてやれ」

 ベルは入口の傍にいた、祖人種アダムシアの戦士達に声を掛ける。彼等もベルとシナンの会話を聞いていたのか、嗚咽を溢しながら平伏していた。

 ボクとベルは人気の少なくなったボラードハウスの大広場まで歩き、ベルの方から足を止める。彼は、ゆっくりと此方を振り返った。

「アルカの願いは、永遠の命を得る事だったな。……死ぬのは、恐ろしいか?」

 一度答えを返した問いを、彼は今一度ボクに投げ掛ける。だが今回は、あの時のような息苦しさを感じない。

「……そうですね。死ぬのは恐ろしいです」

 ボクは思った。ベルはボクに『死ぬのが恐ろしくなった』と言ったが、あれは演技だったのだと。

「乃公にはその気持ちが分からん。半神デミゴッドとなり、人間と同じように死の運命を背負った筈なのにだ」彼はその事を認めるように呟く。「乃公には分からんのだ。自分がさえ」

 ベルがボクに吐露したのは、想像だにしなかった彼の心の内だった。

「最初に自分の終わりを感じたのは、天から斧が降ってきた時だった。だが乃公は、その後に目を覚ましたのだ。眠りにつき、朝日と共に目を覚ますかのように。目覚めた場所は、作りかけの白い神殿だ。そこで乃公は、ソロモンというガキと出会った」

「ソロモン……。その名前はボクも知っていますよ。今から約三〇〇〇年前に存在したとされる、シオンの伝説的な王です」

「そうか。奴の国がシオンか。乃公はソロモンが国の名前を決めるよりも前に黄金の円環へと閉じ込められたからな。国の名前は知らないままだった」

「黄金の円環……? ソロモンが黄金の円環を作ったんですか?」

 黄金の円環。上位存在の魂と人間の魂を結び付ける術式アルスであり、召喚術ネクロの根幹でもある。

「そうだ。奴は乃公の他にもどこかから連れてきたであろう人間達を使役し、神殿を作らせた。アルカ達が『王』と呼んでいるものは、おそらくソロモンが召喚して黄金の円環に閉じ込めた、人間や半神デミゴッド達だ」

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