第五話 流れ船の我が家 後編
目の前でベルが倒され、ボクはパニックに陥る。
キザイアが騎士に倒されそうになった時と同じだ。ボクは自分が独りになると、途端に前に進めなくなる。守ってくれる人が傍にいなければ、何もできない臆病者だ。
「ひぃ……。ま、待って。殺さないでください……!」気付けば、命乞いの言葉を口にしていた。
シナンは怯えるボクに、事務的で冷たい視線を向ける。「端から殺す気など無い。儂等の目的は、あくまでそなたらを生きたまま捕らえる事じゃからな。抵抗しないのならば、手荒な真似はせんと約束しよう」
ボクは必死に頷き、両手を上げる。近付いてくるシナンを前に、ボクはあまりにも短かった自分の冒険を脳内で巡らせた。
結局ボクはエヴァ―ライフを出た時から何も変わっていない。自分を守ってくれる強い誰かの傍で、一人前になったのだと勘違いしていただけだ。
……ボクもベルみたいに、自分を変えられればよかったのに。
「ベル……。そうだ。ベルはもう、死んじゃったんですか……?」自然と呟いてしまう。
「動けないようにしているだけじゃ。そなたらは二人共、計画に必要じゃからな」
「そうですか……。よかった」
ベルはもう動かなくなってしまった。あんなにも強かった彼が、どうしてそんな風になってしまったんだろう。シナンに怒りを向けられた時、ベルが悲しい顔をした風に見えたのは、ボクの気のせいなんだろうか。
結局最後の最後まで、王の心は何一つ分からないままだ。それは少し、嫌だと感じた。胸の中がどくんと跳ねる程に。
「お前の心に触れるには……。少し距離が遠すぎますね」
ボクは、静かに印を結ぶ。全てを包む風から原初へと続く火へ。世界を巡る水から永久に崩れぬ土へ。そして、魂を呼び起こす黄金の円環へ。
「“
ボクの足元から湧き上がった大量の水が背後で渦を巻き、女性の形を成して収束する。“
「ぐ……! この期に及んで無駄な抵抗を……!」
“
「シナン様、今助けるっす!」ハルフィが印を結んで足を踏みしめ、足元から氷の壁で水流を割って逃れようとする。
「“
歩きながら印を結び、ハルフィ達の方に向けて放った燈は、土の元素を抽出する基本術だ。組み上がっていく岩石は、鼻の大きな髭面の男を模して身体を起こしていく。
「“
ようやく開けた道を歩き、ボクはベルの傍に立った。
「天に全てを与えられた英雄が、無様な姿になっちゃいましたね」
「……乃公を笑うか。小娘風情が」ベルは首だけを動かし、頭上のボクを睨みつける。
「臣下は王を笑ったりしませんよ。たとえ全裸で衆目を歩こうと、戦に負けて領土を失おうと、女にかまけて民に呆れられようとも」ボクはしゃがんで、ベルに目線を近付ける。「ねぇお前。どうして王の英雄譚がどれもこれも煌びやかなのか知っていますか?」
ベルは答えない。人間の王の道理など、知った事ではないだろう。
「優れた家臣というのは、王の全てを描かないからです。王の美しい部分を抽出し、誰もが好む王へと仕立て上げる。時にはありもしない武勇を付け足し、美辞麗句を塗りたくる事さえ厭わない。……だから、ボクはお前を笑いませんよ。世界がお前を暗君だと
ボクはベルのように変わる事はできない。王の威を借りなければ、生きられない臆病者のままだ。だったら、家臣としての役割を貫けばいい。
ベルが自分の隣にいる未来を守る為なら、ボクの足は前に進んでくれる。
「ボクの王は世界で一番すごいんです。その事を、分からせてやりますから!」
全てを包む風から原初へと続く火へ。世界を巡る水から永久に崩れぬ土へ。そして、魂を呼び起こす黄金の円環へ。ボクはベルの背中に手を着き、練り上げた燈を炸裂させる。
その時背後で爆炎が上がり、“
「もう容赦はせんぞ……。臓腑の一つや二つは覚悟してもらわねばな」
シナンは静かに激高し、印を結んでいく。彼女はそのまま走り出して跳躍し、
ボクの頭部を捉えんとした蹴り足を、足元から伸びた太い腕が掴む。
「な……。馬鹿な!」シナンの顔からさっと血の気が引いた。
「王を地に伏せさせるとは過ぎた無礼だな。その罪、万死に値するぞ!」
ベルは掴んだシナンの足を膂力に任せて振り回し、入口とは反対の壁へと投げつける。敵は体制を整える事も敵わず、そのまま壁に叩き付けられ吐血する。
シナンは壁に寄りかかりながら、ふらふらと立ち上がった。「儂の
「見破ってなんていませんよ。まどろっこしいので、ベルを一から錬成し直しただけです」
ボクとベルは、戴冠の契約によって魂が繋がっている。であればベルの肉体を一度完全に分解しても、現世に呼び戻した魂まで離れてしまう事はない。つまるところ、王とは契約を結んだ鉄学者が死ぬまでは死なないのだ。
再錬成に際して相当量の燈を持っていかれる事になる為、無限に再生できる訳ではないが。
「……つまりはそなたから仕留める必要があるという訳か。むしろ好都合じゃな」シナンは包帯を繰り、背後のハルフィを助け起こす。「ハルフィ、儂はあの王の相手をする。そなたは鉄学者の方を捕獲せよ」
「……了解っす。星の巡り合わせがありますように」
ハルフィはボクに向き直ると、印を結んで黄金の円環を刻む。
「“
噴き上がる燈の中から、横幅にして
相対するボクは、白衣の中からアゾット剣を出して構える。「ベル、そっちは任せます。ボクはハルフィを片付けたら直ぐに加勢しますから」
「フン、余計な心配だな。乃公がアルカより手こずる筈が無かろう」
相変わらず嫌味な返事だが、どうやら戦意は取り戻したようだ。
「余所見してる暇は無いっすよ!」
“
「“
ボクは氷塊をアゾット剣で弾きながら、攻撃の隙を見て手に持った剣を投擲した。
刃は硬質の殻に刺さらず弾かれたが、その衝撃で柄が回転して爆炎を上げる。
ハルフィは「うおわわっ!」と叫びながら体制を崩し、自分の
「いっでーっ! 何するんすか!」ハルフィは起き上がり、きーきーと喚く。
「お前ね……。自分から仕掛けといてよくそんな態度が取れますね」
「そ、そりゃそーっすけど! 何も撃ち落とす事はないでしょ!」
どうにもやり辛い相手だ。だが、お互いにもう心を許し合う事はできない。ボクは印を結び、次の攻撃へと燈を加速させる。
「“
水流を身に纏って体術を補助し、アゾット剣を回転させながら手の内で捌く。相手が再び空を飛ぶのを牽制しながら、ボクはハルフィに距離を詰められないように警戒する。
シナンがベルの動きを止めるのに使った
一方で生物に対し影響を与える際には、非常に強力な燈を練り上げる必要がある。
これは、生き物に生存本能という防御が備わっている為だ。イスカンダルの燈とは人の願いを叶える力。そして、生存本能とは人の持つ願いの中でも最も大きなものである。故に術師の身体には、自分の生命を脅かす錬金術に対する、精神的な防御力が働いている。
要するに、術師の生命を脅かすような影響を錬金術で直接与える事は、極めて難しいという事だ。
『相手を殺す』効果を持った
そして生物に影響を与える
相手を問答無用で行動不能にする
ふとボクは、隣で戦っているベルの様子が気になる。
ハルフィと充分に距離を取りつつ目を向けると、二人は真っ向から拳と蹴りを交わし合う肉弾戦の真っ最中だった。
「えええええ! 思いっきり触ってるじゃないですか、お前!」
拳のやり取りは、ボクが目にしただけでも十数発に及んでいたが、ベルが再びシナンの
同じ対象には一度しか使えないような条件があるのか、それとも単に接触する事は発動の条件ではないのか。
「アルカ、腹の中だ!」戦いながら、ベルが叫ぶ。「さっき此奴等から出された物を食べたであろう。あれが毒に転じるのだ!」
成程。ベルは一度攻撃を受けた時に、その感覚を体験で理解したのか。
ベルの胃の中身は先程錬成し直した時に古い身体と一緒に分解されているから、シナンに接触されても
「ならっ……!」ボクは印を結び、自分のお腹に手を当てて燈を流し込む。
そして、接近してきたハルフィと拳を交えた。数発の拳打を経て自分の仮説が確信に至ったボクは、水流を腕に纏ってハルフィをガードごと殴り飛ばす。
「よし、これなら戦えます!」
ベルの助言によりようやく勝機が見えてきたボクは、一気にハルフィへ止めを刺しに掛かる。
「舐……めるなァ!」ハルフィの全身から、激しい燈が噴き出した。「せめて傷付けずに捕まえてあげたかったのに……。“
彼女は印を結び、黄金の円環を作り出す。
「“
ハルフィの
「その術……。神殿騎士団の……!」間違いない。フランチェスカが“
貝殻が開き、内側の肉が無くなった殻の中から異形の影が出てくる。
ハルフィの本体は左程変化していないが、彼女の両肩に開いた貝殻からは赤い触手が腕にまとわりつき、真っ赤な二本の巨腕を形成している。
変身に際して破れた着衣の下からは、鍛え抜かれた筋肉に包まれた身体が覗いていた。
「私の
肩の貝殻から水が噴射され、更に
ボクは“
背中から細胞の隙間に電流の如き痛みが奔り、ボクの身体がべしゃりと床に崩れ落ちる。
視界の奥では“
「アルカちゃんの
「うるさい.....。ボクの前でその名前を出すな.....!」
腹の底から湧いてくる衝動的な怒りに痛みを忘れ、ボクは身体を起こす。
そして、ボクは黄金に変色した双眸を開いた。同時に自分の燈が変質し、髪の色が金色に変わっていくのが分かる。
「な.....。何なんすかその変化.....!」
狼狽えるハルフィの前で、ボクの髪は完全に黄金へと染まった。目を閉じながら印を結び、ボクは黄金の円環を紡いでいく。
「天と地を隔つはデデキント切断。
一つ、“
二つ、“
三つ、“
四つ、“
それは即ち、
「
ボクは開眼し、黄金の双眸を世界に晒す。
「
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