第三章 流転の杯

第七話 闇の戦線 前編

 日の入り前から続いた宴も終わり、ボク達はシナンと今後の作戦を立てる事になった。

 周囲の目を考慮し、執務棟に会議の席を設けてもらう。アサシン教団の構成員達は各々が船のドックに入り、出航の準備を進めている。

 ボク達二人とシナン・ハルフィは執務室の絨毯に座り、大きな羊皮紙の地図を開く。オケアノス全域の地図だ。

「儂等がいるボラードハウスは、居住区であるコキュートスにある。ここから目的地の天上羅針ヘヴンコンパスへは、北へ進んでオケアノス海まで出た後、海岸沿いを西へ大通り沿いに進めば辿り着ける。問題はその天上羅針ヘヴンコンパスへと続く道が、オケアノス基地の本隊とコキュートス基地に挟まれておる事じゃ」

 シナンは土地勘の無いボク達にも分かるように、地図を指でなぞって説明してくれる。

「コキュートス基地はオケアノスとキングスランドの境界線を監視する前哨基地でな。メディチ家の現当主であるコジモ=メディチ伯爵の第一子:ピエロ=メディチ子爵の一個中隊が駐屯しておる。ピエロ本人は親の七光りで地位を得た無能じゃが、配属された兵士はキングスランドの駐屯騎士の中でも選りすぐりの精鋭揃いじゃ。兵力は二五〇。儂等の八倍近くはあるぞ」

 此方の兵力は、アサシン教団の戦闘員達を合わせても三〇に満たない。ベルやシナンが如何に強いとはいっても、基地に籠城する相手を攻め落とすのは中々に骨だろう。

「レイテの本隊は、バルタザール子爵の中隊とコジモ伯爵の近衛中隊で構成されておる。コジモの近衛中隊はメディチ家宗家の若い衆によって構成された、いわば私兵じゃ。故に大した戦力ではない。じゃが問題はバルタザールの中隊でな。アサシン教団の戦士と騎士の混成部隊であるこの中隊には、儂と双璧を成すもう一人の大伝道師アルキルバル:ラシイドがいる。儂と同じ第五元素エウレカ:『毒』の使い手であり、怪力無双の大男じゃ。奴には儂か、そなた達のどちらかでなければ相手にならんじゃろう」

 説明を聞きながら、ボクは違和感を覚えていた。

「不思議なんですけど……。どうして神殿騎士とアサシン教団が手を組んでいるんですか? 歴史的に見れば、二つの組織は仇敵同士でしょう」

 古来、アサシン教団とはバビロニアに侵攻してくる神殿騎士と戦ってきた軍事組織だった。当時既にマケドニア軍の属国であったバビロニアは神殿騎士のマケドニア侵攻時に激しい攻撃を受け、遺跡の破壊や書物の焚書という憂いに遭ったのである。

 それに奮起した祖人種アダムシアをハサンという男がまとめ、独自に生み出した暗殺術で神殿騎士の要人を暗殺していったのがアサシン教団の象徴である『山の老人アルジェバル』伝説の起源とされている。

「尤もな疑問じゃな。法国側の人間も、同じ事を思うじゃろう。だからこそ、本来シオン修道会にとって不倶戴天の敵である儂等が聖地に潜伏する事ができたのじゃ。『アサシン教団を引き込むような背信者がいる筈がない』とな」

「つまり……。異常なのはメディチ家という事ですか」

「如何にも。メディチ家とは、アサシン教団の開祖であるハサンがシオンの商人を誑かして作らせた、親バビロニアの一族なのじゃよ。アサシン教団は、かつて特殊な薬効の術式アルスによって若者達を狂戦士に仕立て上げ、命を捨てて騎士を狩る恐ろしい集団じゃった。ハサンはその薬効の知識を餌に、当時名も無い平民であったメディチ家の当主に取引を持ち掛けたのじゃ。『莫大な富と永遠の命を引き換えに、バビロニアへと忠誠を誓え』とな」

 永遠の命。その言葉にボクの胸が高鳴る。

「メディチ家はハサンから授かった知識で薬師を営み、莫大な富を築いて成り上がりの貴族となった。その後アサシン教団が南方の騎馬民族による襲撃を受けて本拠地を失って壊滅してからも、彼等はハサンとのもう一つの約束である永遠の命を授かる為にある霊薬を作ろうとし続けてきたのじゃ。それがアクア初体。ハサンの求め続けた、世界を完全なものにすると伝わる霊薬じゃよ」

「アクア初体……。まさか、本当に存在するなんて……!」

「そなた、アクア初体を求めておったのか? アクア初体とは一体何なのじゃ」

「ボクにも詳しい事は分かりません。ただ、死んだイスカンダルの大灯明を復活させるのに必要なのが、アクア初体であるらしいんです」

「それが真実だとすれば、ハサンはイスカンダルの遺志を継ぐ為に動いていたという事か……? いや待て。イスカンダルの大灯明が神殿騎士によって消されたのは、アサシン教団が壊滅してから一七年も後じゃぞ。それではまるで、ハサンが未来の出来事を知っていたかのようではないか」

 確かにそうだ。情報の矛盾に、ボクの脳内も混乱してくる。

「アクア初体の何たるかは、その山の老人アルジェバルという奴に聞けばよかろう。当面の問題は、どうやって敵の布陣を突破するかだ」ベルが脱線し掛けた話の筋を戻してくれた。

「ボクに一つ、コキュートスの兵を抑え込む秘策があります」ボクはシナンにそう告げて、袖の中から手の平へと茶色い影を這わせる。それは、キザイアの錬成した茶色いネズミだった。

「ネズミ……そなたの能力か?」

「ボクのじゃありませんよ。こいつの能力を使うので、皆少し離れてスペースを確保してください」

 他の三人を背後に下がらせ、ボクは地面にネズミを放つ。するとネズミは燈を纏い、虚空へと飛び込んで丸い空間の歪みを作り出した。

 次いで、トンネルから寝間着姿のキザイアが飛び出してくる。「アルカ、無事かい!」

「大丈夫ですよ、キザイアさん。手を借りたくて呼んだだけですので」

「あ、そう……? てっきり何かあったのかと思ったよ」キザイアは視線を動かし、ベルを一瞬視界に収める。

 このネズミは、エヴァーライフを出発する前にキザイアが託してくれたものだ。キザイアの“ネズミ穴ブラウン・ジェンキン”は二匹のネズミを錬成し、一匹はキザイアの手元に残る。そしてもう一匹が自分の脚か、任意の手段で移動した先でトンネルを作り、空間を歪曲させてキザイアの手元にいるネズミが作ったトンネルと繋ぎ合わせるのだ。

 キザイアがこれをボクに預けた理由は、万が一ベルが再びボクを裏切った際に、空間を跳躍して助けに入る為であった。

「しばらくぶりだな。乃公の機嫌でも取りに来たか?」

 ベルは嫌味な言葉を吐いたが、以前のように目の前の相手を馬鹿にするような態度ではなくなっていた。キザイアもその変化に気付いたらしい。

「王様の機嫌は悪くなさそうだね。……で、そこのお二方は?」キザイアはシナン達に視線を移す

「儂は闇ギルド:ボラードハウスの親方マイスターをしておる、シナンという者じゃ。アサシン教団の大伝道師アルキルバルも務めておる。いや、むしろそっちが本業じゃな」

「ご丁寧にどうも。あたしはエヴァーライフの親方マイスター:キザイア・メイスン。この子の保護者みたいなもんさね」キザイアはつんつんとボクの頭を指でつつく。「にしてもアサシン教団とは……。また凄い方達とお友達になったもんだねぇ、アルカは」

「お友達だなんて……。えへへっす」ハルフィはなんだか嬉しそうだ。

「神殿騎士団からアクア初体を奪う為に、手を組む事になりました。これから騎士の基地に奇襲を仕掛けるんですが、その際にどうしても兵力が必要なんです」

「成程。それなら確かにあたしの出番さね」キザイアは自分が通ってきたトンネルへと戻っていく。

 数分後、いつものスカジャンに着替えた彼女に続いてぞろぞろと、武装したエヴァーライフの職人達がボラードハウスの地へと現着した。

「エヴァーライフ全構成員、百四名。これよりボラードハウスと同盟を結び、作戦に協力するとしよう!」

 やる気満々のキザイア達だが、シナンは冷静に手を挙げた。

「待たれよ。此度の作戦は明確な法国への叛逆じゃぞ。加担すれば、作戦の成否に関わらず、法国からの手配は免れん。エヴァーライフ程に名の知れたギルドが参戦するには、リスクが大き過ぎるのではないか?」

「問題無いさね。あたしら鉄学者には、最果てを目指す強い意志がある。その夢の先を見る為だったら、地位も命も惜しみはしないよ!」

 キザイアに続いて歓声を上げる職人達の熱に当てられ、シナンもふっと笑みを浮かべる。

「そなたらは角人種ズルカリアじゃが……。祖人種アダマイトにも通じる星の輝きを感じるのう。エヴァーライフよ、儂等と共に歩んでくれる事に感謝する。願わくば、星の巡り合わせが有らん事を」

 二人の親方マイスターが手を取り合う。

「役者は揃ったと言いたいところだが……。まだ少し足りんな」不意に、ベルが会話に割って入る。

 そして、頭上の王冠クラウンが開いた。ベルの左腕は巨大な蛙へと変貌し、喉の奥から粘液に包まれた何かを吐き出す。よく見ると、それは人の形をしていた。

「さっさと起きろ。あまり乃公を待たせるなよ」

 ベルの声に反応し、粘液を割って震える身体が起き上がる。その正体は、ベルに呑まれて死んだと思われていたフランチェスカだった。一糸纏わぬ姿で出てきた彼女は、見上げた先に立つベルに怯え切っている。

「ひぃ……! しょ、小生は死ん……。死んぅ……!」

「生き返れてよかったではないか。……それとも、もう一度あの場所に戻りたいか?」

「やだっ! もうやだぁっ! 戻りたくない! お願いであります、何でもしますから助けてください!」

 喉が裂けんばかりに絶叫するフランチェスカに、ベルはにやりと笑う。

「それは殊勝な心掛けだ。乃公は献身的な忠義を好むぞ。……貴様には、メディチ家に反旗を翻してもらう」

「は、反旗……?」

「貴様はメディチ家の反乱分子として乃公達の兵隊を率い、奴等を討ち滅ぼすのだ。貴様にその気があれば、メディチ家を乗っ取っても構わんぞ? その後は、この地にのに協力してもらうがな」

 用は体よくフランチェスカを叛逆行為の首謀者に仕立て上げようという事なのだろうが、メディチ家を乗っ取るという甘い言葉にフランチェスカは媚びた笑みを浮かべる。

「や、やります。貴方にお仕えするのであります! この地は貴方様が治めるに相応しいでありますれば!」

「よし。これで戦後の憂いもあるまい。アクア初体のみと言わず、この地の全てを乃公達の手に収めるとしようではないか」

 ベルは相変わらず豪快なお気楽さだが、今はそれが何とも頼もしかった。


 ◇


 月が昇り、波が静かに砕けるオケアノス海。その傍に設けられた人工の高台に、コキュートス基地は存在する。独自の軍港を保有し、多くの軍用車を擁するこの基地の機動力はオケアノス随一だ。オケアノス基地に異変があれば、すぐさま陸路と海路の両方からボク達を機械化中隊で包囲できるだろう。

 その敷地内に、黒の装束で全身を包んだ暗殺者達が突入した。守衛は報告を上げる間もなく、投擲された麻酔刃の餌食になり、侵入を許す。その先頭には、以前の服装に身を包んだフランチェスカがメディチ家分家の旗を掲げて走っている。

「自動車を破壊しなさい!」彼女の命令に続き、暗殺者達は神秘の炉バーンマで次々と自動車を焼き始めた。そこに、ようやく騒ぎに気付いたコキュートスの騎士達が出てくる。

「き、貴様等何をやっている! これは騎士団への叛逆行為だぞ!」

「小生等は法国本国に任を受けた粛清軍であります! アサシン教団は既に、今回の件に対する恩赦を条件に此方の側へと付きました。異教の徒を誑かし、法国に隠れて邪な計画を企む不信の輩は即刻破門でありますぞ。速やかに投降しなければ、黙示録の獣テリオンを使わせていただくであります!」

黙示録の獣テリオンだと。そんなハッタリが通用すると思うか! 分家の女如きに使用許可が下りる訳が――」

 コキュートス兵が叫んだ瞬間、フランチェスカは印を結び、地面に手を着く。

 そして大地が鳴動し、アスファルトの地面が裂けた。大きく割れた割れ目から伸び上がった双角の大蛇は、巨体をもたげて基地の壁へと張り付く。そして、喉の奥から雷のような恐ろしい音を鳴らし、爆炎を吐き出した。炎は砂糖菓子のように壁石を崩壊させ、建物の内部へと雪崩込んでいく。

「う、嘘だろ……。本物の黙示録の獣テリオンだぁぁ!」

 騎士達は混乱し、我先にと逃げ始める。如何に精鋭揃いといえど、黙示録の獣テリオンを前には雑兵も同じである。

 無論、本物であればの話だが。この“石眼の大蛇アンドロマリウス”は、ベルが変身したものだ。彼は予め“石眼の大蛇アンドロマリウス”に化けて遠くで待機し、暗殺者の一人に扮したキザイアの“ネズミ穴ブラウン・ジェンキン”で敷地内へと突入したのだ。

 結果コキュートスの兵士達は戦意を喪失し、我が身可愛さに次々と逃げ出していく。その中には、基地を預かる中隊長:ピエロの姿もあった。

 キザイアは道化師のような派手な恰好をした彼に追い縋り、背中から地面へと組み伏せてしまう。

「ひぃー! 命だけは助けてくれい……! 私は父上に頼まれて此処へ来ただけなんだ。あの人の計画になんて関与しておらん!」

「ふん、大した忠誠心だねぇ」キザイアは暗殺者の一人に扮しているボクの方を向き、手をオケアノス基地の方へと伸ばす。後は任せろという合図だ。

 ボクは“石眼の大蛇アンドロマリウス”の脚を叩いて合図を出し、降りてきた彼と共に“ネズミ穴ブラウン・ジェンキン”を通って移動する。抜け出た先には、オケアノス基地の前でアサシン教団の面々が待機していた。

 ハルフィが赤い紐の家ウォール・オブ・エリコで幻影を作り出し、コキュートス基地の異変を隠蔽してくれていたのだ。

 ベルは変身を解き、ボクも黒装束を消して自分の勝負服に身を包む。

「これでコキュートス基地はこっちの手に落ちました。ピエロを人質に取っていますから、逃げ出した兵達も下手な真似はできないでしょう。後は、騒ぎが大きくなる前に暗殺を遂行するのみです」

「よし、オケアノス基地に突入するぞ。儂等の仲間が雑兵の相手をしている隙に、そなたらと儂で分担してバルタザールとラシイドを探し出す。その後はアクア初体とその情報を手に入れ、敵を殺害するのみじゃ。……互いに、星の巡り合わせがあらん事を」

 各員が頷き、ボク達は夜闇の中を走り出した。

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