第二章 神秘の炉

第四話 紅き水の聖地 前編

 眠るのはあまり好きじゃない。いつも同じ夢を見るから。

 眠りにつくと、ボクはいつの間にか冷たい寝台に横たわっている。身体は全く動かせない。夢だからではなく、肉体がもう殆ど死んでいるからだ。意識は全身の高熱に沸かされ、辛うじて行われる呼吸の苦しさが死への実感となって降り積もる。

 頬を伝う涙が自分の身体との温度差に冷たく、そして悲しい。絶望的な孤独の内に、ボクは毎晩死んでいく。

 もう十数年と繰り返してきた。それでも、一向に慣れはしない。ボクに死の恐怖を決して忘れさせない為だと言わんばかりに、その悪夢は襲って来る。

 ……それでも、


 ボクは、揺れる車内で目を覚ます。

 列車内だ。周囲には荷物が並べられており、ボク達以外の乗客は見当たらない。

 一連の事情を共有した後、ボク達はキザイアの勧めですぐにエヴァ―ライフを発った。目指すは聖地オケアノス。キングスランドに築かれた、シオン修道会の仮想聖地だ。

 大戦の終結後、神殿騎士団はマケドニアの目と鼻の先にある長靴型の半島に神聖シオン法国という国家を樹立した。そして自らを盟主に、世界平和を目的として隣保同盟と呼ばれる国際連合組織を結成したのだ。

 大戦に関わった国の全てが加盟するこの同盟内では平和実現の為の国際条約が締結されており、その一つとして各国に領土の一部を提供させ、仮想聖地を設置する事を定めている。

 仮想聖地とは神殿騎士団の庇護の下に、神への信仰を保証された治外法権区だ。聖地内には信仰に必要な祭祀場の他に行政区と信徒用の居住区も用意されており、完全に一個の街として機能している。また神殿騎士団の大隊が現地の総督府として法国より派遣されており、千人もの騎士達が警備にあたっているのだ。

 この仮想聖地によって、職人は徹底的な監視を受けている。世界の最果てエルシオンを目指そうなどという馬鹿な気を起こさないように。故に騎士達は、天上羅針ヘヴンコンパスのあるオケアノスを仮想聖地に選んだのだ。そこはかつてイスカンダルが大陸覇行の末に到達し、世界の最果てエルシオンを目指して旅立った始まりの地であったのだから。

 自分の頭が固い何かに触れている事に気付いて顔を起こすと、隣にはベルが胡坐をかいて座っていた。彼はボクが目を覚ました事など気にも留めず、周囲に視線を配っている。

「……見張っててくれたんですか」いつの間にか眠ってしまっていた事に罪悪感を感じ、声を掛ける。

「アルカ、よくこんな状況で眠れるものだな」

 ベルを怒らせてしまっただろうか。

「見ろ、大地が唸っているぞ。土の星が乱れておるのやもしれん。怪物の腹の中にいるようで生きた心地がせんわ」

 どうやら、列車に驚いているだけらしい。ベルの無知さは、付き合いの中で助けになる事が多い。

「大地が動いてるんじゃなくて、この部屋全体が大地の上を移動してるんですよ。列車っていう現代の乗り物です」

「馬鹿な。鉄の塊が大地を駆けるものか。……さては、獣に引かせておるのだな。先刻の蛇もそうだが、この時代の獣はみなあんな風に巨大なのか?」

 相変わらず新鮮な反応を返してくれるベルに、ボクは思わず頬が緩む。

「列車を動かしてるのは獣じゃなく、錬金術によって発明された科学の力なんです。人間は錬金術を通じて世界の法則を解き明かし、自然に秘められた大きな力を利用できるようになったんですよ」

「人間が自然を克服する……か。大したものだな。錬金術というやつは」

 目の前で金を錬ってみせた時もそうだが、ベルは錬金術に興味がありそうだった。案外、ここから攻めた方が互いの距離を縮められるかもしれない。それに、錬金術の話ならボクの十八番だ。

「ねえお前、ボク達の錬金術はバビロニアの占星術が由来だって説明したのを憶えてますか?」

「ああ。……乃公が知っている星見の術とは少し違う気もするがな」

「正確には、バビロニアから受け継いだのは錬金術のだからです。錬金術は、バビロニアの占星術とケメトの召喚術が合わさって生まれた術なんですよ」

 占星術とは、空に浮かぶ八つの星から力を借りる技術だ。

 バビロニアには古来より星見と呼ばれる占いが存在した。この世界に満ちる全ての力は『風・天・火・雷・水・沢・土・山』の名を冠する八つの星から生まれており、その力を占う(上手く配分する)事で望む運命へと辿り着けるのだという。

 この思想をベースに、四大元素を抽出して自然の力を利用できるようにしたのが占星術である。

 錬金術はこの占星術を発展させ、風・火・水・土の循環を以て任意の現象や物質を生み出す手法を確立した。それに神秘の国:ケメトで行われていた死者蘇生の召喚術を組み合わせて生まれたのが、王を復活させ、王に全てを捧げる錬金術という訳だ。

「占星術は半神デミゴッドである乃公だからこそ使える技術の筈だったのだがな。まさか人間が使えるようになっていようとは」

「何言ってんですか。お前が原初の火ビッグ・バーンを神から盗んで人間に与えたから、人間も自然を操れるようになったんですよ。言わば、お前は錬金術の父というわけです」

 気を利かせた言葉のつもりだったのだが、ベルはボクを怪訝な顔で見ている。

「乃公が原初の火ビッグ・バーンを神から盗んだだと……? それも人間共の為にか。下らん冗談はよせ」

「へ……? あ……。ごめんなさい」

 考えてみれば、ベルのような人格破綻者(半神デミゴッドだが)が、人間の為に神へ反目するとは到底思えなかった。人間達が自分の事を、どう呼んでいるのかさえ知らなかった程だ。生前も、人間との関わりは殆ど無かったのかもしれない。

 ベルと心の距離を詰めるのは、一筋縄ではいかなさそうだ。第一、ボクは彼の事を知らなすぎる。

「……ねえ、お前ってどんな神様だったんですか?」

 尋ねると、ベルは面倒そうに唸りながら立ち上がる。

「フン、よかろう。どうもこの時代の人間は乃公の事を誤解しているようだからな。この機会にしっかりと教えておいてやる」

「あ、あの……。どうして立ち上がってるんです? 別に座りながらゆっくり話してくれても……」

「笑止! 神話を語るのは、人間の無意味な語らいとは訳が違うのだぞ。天からの神託だと思って、心して聞くがいい!」

 ベルは印を結び、右の手に風と火を。左の手に水と土を生む。四つの元素を同時に出現させるなど、両手小足の指でペンを掴んで別々の文章を書く程の神業だ。彼は四つの元素を、空中で周回円上に泳がせる。

「よいか、神とは星の事だ。故に神とは天上に座し、人間の魂は地下へと眠る。乃公は神であった頃、天極星シリウスと呼ばれる星であった」

 天極星シリウス。全天で太陽に次いで明るい星。天空の中心に位置し、動く事無い不動の星。その特性から、古来より船乗り達の目印とされ、灯台の星とも呼ばれてきた。

「神として最後に生まれた乃公は、巨人達の祈りを束ねて肉体を作られた。そして八柱の神々から八つの瞳を与えられ、天与の恵みを授かったのだ。風の星からは雄々しさを。天の星からは加護を。火の星からは美しさを。雷の星からは強き意思を。水の星からは叡智を。沢の星からは無双の力を。土の星からは自由を。山の星からは気高き魂を。そして王権は、自らの手で勝ち取った」

 ベルの頭上に円環が咲き、王冠クラウンが起動する。彼は巨大な蛇に姿を変えたかと思うと、その背中より現れて蛇の頸を圧し折った。

「旧き神と新世代の神が争った時、乃公は旧き神の頭領を打ち倒して大地を作った。それが今、人間達の住んでいるこの大地よ。その後旧き神の仇を討つべく戦いを挑んできた巨人共を殺す為、大地と海水を混ぜて人間を作り、乃公自身も半神デミゴッドへと転生して奴等を迎え打ったのだ」

 ベルは元の姿に戻ると、背後の荷物を玉座代わりにどかりと座る。

「その後は戦場であったバビロニアの地に国を築き、人間達の王になった。そこからは大して長くも生きておらん。美食を貪り国中の女を好きにした後に、天から降り注いだ斧に脳天を割られて死んだのよ」

「途中までかっこよかったのに……。でもまあ、結構英雄的な神様だったんですね。鉄学者の伝承では人間に力を与えて戦争を起こさせた悪者のように書かれてましたから、随分と見方が変わりました」

「フン。少し賢くなれてよかったではないか。その調子で真理を手に入れられるように励むがいい」

 相変わらず嫌味な物言いだが、表情は少し和らいでいる。

 その後も適当な話をしている内に、列車は目的地であるオケアノス唯一の駅:終点アケローン駅に到着した。

 オケアノスは、キングスランドの北に広がる大海:オケアノス海に面する海岸の街である。土地の全容は脳と形容され、オケアノス海から注ぎ込むステュクス河が無数に分岐し、脳漿の如く陸地と絡み合って、迷路のように複雑な地形を生み出している。

 最北端の突き出した半島部は脳幹のようになっており、その先端に存在するのが、オケアノスのランドマークである天上羅針ヘヴンコンパスである。

 オケアノスはステュクス河の支流によって四つの区域に分けられる。南から、駅のある玄関口のアケローン。前頭葉の位置に当たる、大陸との接地点だ。次に居住区のコキュートス。頭頂葉に当たる部分で、此方も大陸と繋がっている。側頭葉に当たるのはプレゲトンという港で、周囲には商業施設が広がり、交易の中心地となっている場所である。

 そして最後の後頭葉に当たる区域が、オケアノスの仮想聖地総督府があるレイテ。オケアノスの駐屯基地もこの場所に位置しており、イスカンダル伝説を封印した天上羅針ヘヴンコンパスへの道を固く閉ざしているのだ。

 再び荷物に扮したボク達は現地の運送業者の手で大きな幌付き自動車の中へと積み込まれていく。この業者はウィッチドリームというギルドの一員で、世間ではとして有名なのである。だがその実、親方マイスターのギルマンという男はキザイアと旧知の仲であり、法国からの絶大な信頼を隠れ蓑にこうして最果てを目指す鉄学者の支援を行っているのである。

 車に二分程揺られ、停車したロータリーで業者の男が車の幌を開けてくれる。そこから姿を現したのは、巡礼者風の格好に着替えたボクと、体躯はそのままで女の姿に化けたベルだった。

 ボクは術師の象徴である白衣を脱ぎ、マケドニアの古風衣装である白の貫頭衣の上から薔薇色のマントを羽織っている。マントには巡礼者の象徴であるホタテの貝殻飾りを付け、さり気なく旅行客である事をアピールしておいた。特徴的な紫の髪は、念の為に薔薇色のウィンプルという頭巾で見えにくくしてある。

 一方のベルは褐色の身体と上全身を包む筋肉はそのままに、すれ違う人々が息を呑む程大きな胸が付いている。下半身の肉付きや骨格も女性らしく変えてあり、尾骨の辺りでは長く白い毛に包まれた尻尾がふりふりと揺れていた。また、白い髪の上には獣人種ベルセルクに似た副耳が伸びている。これらの特徴はマケドニアの属国が一つ:トロイアの北方に住む女系狩猟民族:混人種アマゾネスを再現したものだ。混人種アマゾネスは様々な民族の血を引いている為、ベルの身体能力をなるべく残したまま変装するのに都合が良かったのである。女の身体である以上、上半身が裸のままでは色々とまずいので、混人種アマゾネスの伝統的な衣装であるビキニに似た衣服を着用させている。

「おいアルカ。流石にこれは乃公に対して無礼ではないのか?」

 男のままの声でベルは唸る。獣人種アマゾネスは男女問わず女の身体を持つ特異な種族であるが、声帯だけは男女で分かれているのだ。故に、声を変える必要は無い。

「写真が向こうの手に渡ってるんですから、変装するのは当然です。それに、何かあった際にも街中でお前の変身を衆目に晒す訳にはいきませんから、戦闘能力も最低限保持しておかなくてはいけません。その上でこの変装は最適解です。それに、女の姿も案外似合ってますよ? お前って顔はかなりの美形ですし」

「……碌な死に方をせんぞ」

「そうならないようにお前がいるんでしょ、おバカ」

 潜入は完璧だ。周囲からの注目も無い。ボクはウィッチドリームの業者に五銀ドラクマ約二○○○円のチップを大小二枚の銀貨で渡すと、観光客を装って街中へと繰り出した。

「先ずは情報収集から始めましょう。生誕祭に乗り込む為の手順と、具体的なスケジュールが必要ですから。ついでに腹ごしらえも済ませちゃいましょうか」

「それはいい。丁度腹も空いてきた所だ」現代の食事が余程気に入ったのか、ベルは機嫌がよくなった。

 オケアノスの街並みは日射しに強い白石の建物と、幅の広い通路に立ち並ぶ露店が特徴的だ。観光と貿易業に特化した街並みに住居は存在せず、立ち並ぶ建築物は殆どが貿易商社の事務所か観光客向けの店舗である。車での通行が制限された道路の脇には雑多な業種の露店が乱立しており、これらは店舗を持てるだけの財力が無い人々が、レイテの総督府に許可を得て商売を行っているものだ。

 というのも、聖地にはギルドが殆ど存在しないのである。頻繁に出入りしているのなんて、それこそウィッチドリームぐらいである。

 此処の地形は陸路と水路が脳と脳漿のように絡み合った造りをしており、水路による運送網が発達している反面、土地が少ない。故に土地代が高くなり、店舗を持つ事ができるのは上澄みの上流階級に限られている。

 そういった事情もあって、露店を営んでいるのは多くが王国の属国民達だ。彼等は王国の民ではあるものの、マケドニアの築いてきた繁栄の恩恵に与る対価として角人種ズルカリアよりも多くの税が課されている。

 侵略した周辺属国に多重の税を課し、本国を潤すやり方は侵略国家の常套手段である。

 ボクも角人種ズルカリアとして意図せずとも彼等を搾取する立場にある以上、哀れむ事はしない。だがせめて、少しでも彼等の生活を支る為にお金を落とそうとボクは思った。

 若い祖人種アダマイトの女性が営んでいる露店から香ってくる匂いにつられて足を伸ばすと、保温用の鉄板の上では肉厚のホタテが開いた貝殻の中でぶちゅぶちゅと煮立っている。

「お二人さん、観光客っすか?」

 祖人種アダマイトの特徴である黒髪の先端を、鮮やかなオレンジに染めた若い女性が話しかけてくる。ボクと同い年位だろうか。彼女はバビロニアの伝統的な民族服である貫頭衣を着ており、エキゾチックな意匠が目に楽しい。貫頭衣は膝の辺りまであり、横には大きなスリットが入っている。また、七分丈のズボンも合わせて履くのが一般的だ。笑顔が似合う可愛らしい顔つきも相まって、彼女の魅力にボクも自然と笑顔になる。

「ええ。日頃から巡礼に行く程熱心な信徒でもないんですけど、今回は近かったので祭りを見に来てみたんです」

「あはは、最近はそういうミーハーな人も多いっすよね。まぁ祭りなんだから、堅苦しくせずに楽しんだ方がいいっすよ、うん!」

 少女が腕を振るうと、鉄板からじゅわっと蒸気が上がる。目の前でホタテを包み琥珀色に泡立つソースと、堪らなく食欲をそそる香気に、ボクとベルは釘付けになった。

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