第四話 紅き水の聖地 後編

「オケアノスはホタテの名産地だと聞いてましたけど、ここまで立派なんですね」

 ボクの掌よりも大きな貝は当然自然界の産物ではなく、錬金術によって作られたものだ。錬金術による食材の錬成が容易になった今、態々危険な海へ出て天然物を採ろうなんて人間はいなくなってしまった。代わりに各地域では優れた職人の技術が継承され、その地域に根付いた名産品として他地域との貿易材料や、観光客の誘致材料になっているのである。

「ホタテだけじゃなく、このソースも此処の名産品を使ってるんす。オケアノスのウイスキーといったら、大陸でも三本の指に入る一級品っすよ!」そう言って少女はキッチンの中から、缶に入った琥珀色のソースを見せてくれる。「ウイスキーにガーリックとバター、それから塩コショウをブレンドしてあるっす。加熱してアルコールを飛ばせば、バターとガーリックの旨味にウイスキー特有の樽の香りが合わさって高級感のある味わいになる。タンニンの僅かな渋みと塩気はホタテの淡白な味によく合って、絶品すよ」

 ここまで豪語されては買わない訳にはいかない。「今出してある分、全部下さい。お釣りは結構ですので」

 そう言ってボクは二金ドラグマ約一二八〇〇円の金貨を差し出した。――二金ドラグマ金貨は、一般的な手工業者一日分の給金である。

「ちょっとちょっと、そこまで高くないっすよ? 天然物じゃあるまいし」少女は困り顔で金貨の受け取りを拒む。

「チップも入ってますから。……ボク、少し貴女とお話したくなっちゃいまして」

 そう返していたずらっぽく笑うと、少女の方も二金ドラグマ金貨の意味に気付いたのか、満更でもなさそうに頬を緩めた。

「ふーん、可愛らしい顔の割には積極的っすねぇ。後ろのお姉さんも、このコに落とされちゃった感じっすか?」

「たわけ。乃公がこんな小娘にどうこうされる筈がなかろうが」ベルは素で反応する。もう少しなりきって欲しいものだ。

 少女は店の奥から丸椅子を持ってくると、屋台の裏に座る場所を作ってくれた。「座っていいスよ。その方が話しやすいでしょ?」

 彼女は鉄板の方へ戻ると、印を結んで熱されたホタテの貝殻に手を伸ばす。素手で触れば本来火傷は必須だが、指が殻に触れた瞬間ぶわっと燈が登り、平然と貝殻を持ち上げた。

 貝殻が保有する熱エネルギーを取り除き、皿として使えるようにしているのだろう。水の元素をベースに火の元素を混ぜる事で、物質が帯びる熱や光・電磁的なエネルギーに干渉する事ができる術式アルス影響術パルスと呼ばれるものだ。

「熱くないっすよ」と言いながら少女は貝殻をボク達に手渡してくれる。「私はハルフィ。すぐ近くの移民街に住んでるんす。で、何を聞きたいんすか? お二人さん」

「そうですね……その前に、折角なので頂いてからにしましょうか」

 ボクは貝の出汁と樽の香りが混ざり合った素晴らしい湯気で胸を満たし、肉厚なホタテの身を箸で持ち上げて口に運ぶ。術式アルスで最適な温度に保たれた貝の肉は長時間加熱されても縮む事無く、柔らかくなるのに充分な加熱と熱による劣化の狭間で、素材が持つ最上の食感を引き出されている。

「んー! 美味しい。これだけでも此処に来た甲斐がありました」

 『錬金術は台所で育った』なんて言葉もあるように、錬金術の技術が最も早く進歩したのは料理の分野だ。食材を最適な状態へと変化させる化学反応を探し当てる為に、熱の加え方や栄養素の組み合わせなどの試行錯誤が数多く行われ、現代における食糧錬成の基礎が育まれてきた。ベルがキングスランドの食事を気に入ったのも単に嗜好が合っただけではなく、大陸一の美食の片鱗を味わったからに他ならない。

「なんと新鮮な貝だ……。信じられん。臭みも殆ど無いではないか」当のベルはボクの横で、三個目のホタテを一心に食らっていた。

「またまた。アマゾン海の牡蠣といえば世界に名立たる逸品じゃないすか。アマゾンじゃ、おやつ感覚で食べられてるんでしょ?」

 ハルフィの指摘にボクとベルは目を丸くする。失念していた。混人種アマゾネスの故郷であるトロイア北部の海岸地帯:アマゾンは世界でも有数の貝の名産地なのだ。おまけに混人種アマゾネスの乳は牡蠣の味がするなんて言われる程、牡蠣が栄養源として日常的に食べられているのだという。

 ベルの述べた感想は、混人種アマゾネスとして些か不自然だった。

「でも褒められると悪い気はしないっすね。職人冥利に尽きるっす!」

 ハルフィが気のいい性格で助かった。変装をする際には、人種的なバックボーンにも気を付けなくては。

「さてと……そろそろ本題に入りましょうか。ボクは考古学者のアルカ。こっちの大きいのは傭兵のベルです。ボクは祭りの儀式について研究してまして、此処には生誕祭へ参加する為にやってきたんです」

 錬金術以外の学問を研究している学者というのは、聖地において便利な身分だ。騎士からも人畜無害な存在として扱われやすいし、職人を目の敵にしている商人とのいざこざも回避できる。

「学者さんっすかぁ。先に言っとくけど、私はシオン修道会の教えには詳しくないっすよ? まだ洗礼も受けてないし」

「その点は問題ありません。ハルフィさんにお願いしたいのは、この街の案内なんです。ボク達は新参者ですから、粗相をして追い出されないように現地をよく知る案内人が欲しいんですよ」

「案内っすか……。まあ、此処に住み始めて二年にもなるし、それぐらいならできるかな」事前に充分な代金を渡しておいたのが功を奏し、ハルフィの返事は快い。

「ありがとうございます! ちなみになんですけど、生誕祭っていうのは誰でも参加可能なんですか?」

「ポイニクス大公園での出し物とか、軍事演習なら誰でも見れる筈っすけど……。確か、天上羅針ヘヴンコンパスで行われる聖水の儀式は招待状を受け取った市民以外は参加できないんじゃなかったかな。すぐ近くにあるオケアノス基地のバルタザール子爵中隊が天上羅針ヘヴンコンパスへの道を完全に閉鎖しちゃうから、当日は地元の信徒でも儀式の様子を投影放送で見る事になるそうっすよ」

「バルタザール子爵……聞かない名ですね」

 生誕祭は法国の威信を示す重要な式典である。当日には軍事演習も行われ、現場の警備を務める指揮官も名立たる貴族が選抜される。貴族は法国の行事において重要な役目を担っている為、ボクはその全員を顔と名前を記憶している。先日エヴァ―ライフを襲撃してきたフランチェスカも、名家であるメディチ家の若手として存在を把握していた。だがバルタザールという人物は、これまで一度も見聞きした記憶が無い。

「そりゃそうっすよ。此処に赴任してきたのはつい半年程前ですし、何より名誉貴族っすから」

「名誉貴族……? 何ですかそれは」

「伯爵位以上の貴族が任命した、臨時の貴族階級っす。基本的に世襲制の貴族社会に外部からの才能を引き入れて、自軍の増強を図る為の制度なんすよ。バルタザール子爵は、このオケアノスの政治を牛耳るメディチ家のお気に入りらしいんす」

 成程。ここでメディチ家が繋がったか。フランチェスカの襲撃は、レイテの総督府直々の命令であった可能性が高い。つまりは此方の行動が、既にオケアノス政府側にバレているという意味である。

 バルタザール子爵が血統ではなく、実力で採用されたという事実。そしてここ半年の間に急遽配置が決まったのを鑑みるに、ボク達への対抗馬として用意された戦力であると見ていい。……要警戒だ。

「そうだ、折角だし私達のギルドに来ないっすか? 図書館もあるし、アルカちゃんが知りたい情報ももっと集まるっすよ」

「え、聖地にギルドがあるんですか!」

 まさかウィッチドリーム以外に聖地のギルドがあろうとは。藪をつついて竜が出た気分だ。

「当然、非公認の闇ギルドっすけどね。うちの親方マイスターなら修道会との取引もやってるから、もっと詳しい話が聞けるかもしれないっすよ」

「いいんですか? 余所者のボク達を招いてもらうなんて」

「うちは『来るもの拒まず、去るもの追わず』がモットーなんす。みんな、流れゆく船みたいなものっすから!」

 現地の移民コミュニティ。騎士の目を掻い潜りながら情報を得るのにこれ以上無い場所なのは間違いないが、乗り込むには少し不安もある。

「行くぞ。この娘のに興味が出てきた」意外にも、背中を押してくれたのはベルだった。

「……分かりました。案内してください!」

 王はいつだって気まぐれだ。ボクにはまだ、その胸の内が分からない。


 ◇


 オケアノスは水上の交通網が発達した土地だ 。陸の道と水路が入り組んだこの地形は、元々海の一部だった場所に錬金術で石の道を建造して作られたもので、言わば計画的に生み出された水上都市なのである。この水路のお陰で陸上は歩行者の楽園と化し、今日の屋台文化と美しい景観を育んだのだ。

 水辺の景色で特に印象的なのは、あらゆる岸から伸びている船着場だろう。数歩の間隔で設置された船着場は、最早脇に立ち並ぶ建物の数よりも多く、街の何処からでも船にアクセスできるようになっている。

 ボク達はハルフィに案内され、近くの船着場へとやってきた。富裕層の中には自前のボートを持っている者もいるが、出稼ぎの職人や旅行客は定期便を使う事になる。祖人種アダムシアの運転手の隣に乗り込んだ彼女に続いて、ボク達も船の後部座席に乗せて貰った。船の座席は四人乗りだったが、それでもベルの巨体には少し窮屈だ。

「大丈夫ですか。苦しくありません?」

「構わんが……まさかこれも独りでに動くのではなかろうな?」

「は? 動きますが」

 閑静な水上都市を、モーター式ボートが水を掻き分ける音と、ベルの絶叫が走り抜けていく。どうやらベルはあまり機動式の乗り物が得意でないらしい。

「こんなもの、転覆せぬと思う方がおかしいだろう!」とは彼の談だ。

 目的地の移民街へは、ものの数分で辿り着いた。ハルフィと運転手の青年は、ベルの痴態にげらげらと笑い転げている。

「お堅そうな人だと思ったら、随分と愉快っすね! こんなに新鮮な反応をしてくれる観光客は生まれて初めてっす!」

 この短い時間で、ベルはかなりハルフィに気に入られたようだ。そしてベルの方も、不思議と自身の扱いに対し不満を漏らさないのだった。それどころか、自分からハルフィの後ろに付いて歩くようになっている。

「此処が移民街とやらか。……随分と質素な所だな」

 ベルの言うように、オケアノスの街並みを整然と彩る白く清潔感のある建築物とは異なり、移民街を構成する雑多な家屋はトタンや打ちっぱなしのコンクリートで建てられた簡素な物と言わざるを得ない。配線なども剥き出しになって地面に這わせており、景観などと言う概念とは程遠い場所だ。

 その理由は、船着場から続く裏口から建物の内部に回り込むとすぐに分かった。高い天井の屋内では幾つもの小型船がぶら下がっており、職人の手でメンテナンスを施されている。この建物は工房なのだ。

「此処はオケアノスの政府から移民に提供された居住区なんす。居住区全体が一個のギルドになってて、政府からの造船とメンテナンスの依頼を請け負ってるんすよ。時にはプレゲトン港まで出張して、法国の軍艦の整備だってやってるんす」

 プレゲトン港はオケアノス海に面する、海の玄関口だ。その北には軍事演習にも使われるというポイニクス公園と、レイテに存在するオケアノス基地が海岸線沿いに続いており、オケアノスにおける船舶の見本市とも言える地帯になっている。そういった大口の仕事や民間からも寄せられる小型船舶の依頼で、移民達は生計を立てているようだ。

「成程。じゃあ屋台での仕事はお小遣い稼ぎって事ですね」

「ん……。まあそんな感じっす。私は船を作れないっすから」

 ハルフィは工房の内部を真っ直ぐ通り抜けて、正門から大通りへと案内してくれる。その先で彼女は大通りの中心に建てられた柱状のモニュメントへと歩いていき、此方へ振り返った。

「ようこそ、私達のギルド:ボラードハウスへ!」

 ボラードとは、船をロープで繋いでおく為の杭の事だ。ボラードハウスを意訳するならば、『流れ船の我が家』といったところだろうか。

「早速だけど、親方マイスターの所に案内するっすよ。今は多分執務棟にいると思うっすから」ハルフィは大通りの突き当りへと再び先導を始める。

 ボラードハウスは一本道の大通りを中心とし、その周囲にぐるっと一周分建物を配置した造りで、外周は殆どが水路に面している。幾つもの工房に混じって住人達の共同生活棟が立てられているが、商店らしきものは一つも存在せず、生活物資は全て外部から仕入れているようだ。

 エヴァ―ライフにも集合居住スペースは存在したが、そこで営まれていたのはあくまで個々人の生活で、共同生活ではなかった。ボラードハウスの様子を見ていると、個人の自由が失われているのではないかと感じてしまう。それはマケドニアの若い価値観からすれば不幸な事だ。個人の願望を大事に考える職人からすれば、特に。

 こんな状況を生み出したのも、マケドニアだというのがまたやるせない。

「此処がボラードハウスの親方執務棟っす!」

 大通りの先はロータリーになっており、その最奥に構えられた平屋がボラードハウスの本部施設だった。エヴァ―ライフの荘厳な造りとは違い、外観はごく普通の民家である。

 門の奥に続く中庭を通って内部に入ると、壁面を本で囲まれた執務室の中央に敷かれた絨毯で、一人の女性がくつろいでいた。

 腰を下ろしている姿勢でも分かる程、身長の大きな女性だ。全身は細く引き締まっているが、衣服代わりに身体に巻かれた黒い包帯の奥から覗く身体は筋肉がくっきりと浮かび上がる戦士のそれである。彼女も祖人種アダムシアであると思われるが、肌の色は周囲の祖人種アダムシアやベルと比べて黒味が目立つ。ケメトに近い地域に住む祖人種アダムシアによく見られる特徴だ。ボブカットにされた艶やかな黒髪にも、貝紫色の箇所が幾房か見受けられる。黒い肌には、さそりと涙の生名エメギルが刻まれていた。

 此方に気付いて顔を上げた女性の顔は整って美しく、壮年一歩手前といった所だろうか。

 インナーは金色の象形文字が記された黒包帯を纏わせたのみである。運動術キネスで重力に逆らう首周りの包帯は、竜巻のように口元を隠して神秘的な印象を形作っていた。それは大きく張った胸も相まって、衣服としての役目を果たすにはかなり不安な状態になっている。上から術師の象徴である白衣を羽織っているのが救いだろうか。

「……客人か。珍しいのう」女性は立ち上がり、気怠そうに髪を掻き上げる。「儂の名はシナン。ボラードハウスの親方マイスターじゃ」

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