第一章 哲学の卵
第一話 黄金の世界 前編
太陽暦二〇一五年。八番目の月:
白い薄手のノースリーブシャツに黒の半ズボン。お気に入りの服の上から白衣を纏った姿は、ボクのトレードマークである。肩を剥き出しにするのも、美少女の作法だ。露出の多い服装からすらりと伸びたボクの手足を包む白い肌は、永遠の
キングスランドの主要都市が一つ:ブレイズベルの経済特区と居住区を二分する広大なブレイズベル河の水面が、ガラス粒を散らしたように陽光を弾く様を眼下に眺めながら、ボクは速足で河川の畔に整備された白いコンクリートの歩道を歩いていた。
行先はストリートビーチ前の定期市場。この国で
渇いた空気に貫けていく風が、水面から運んでくる爽やかさを感じながら、エスニックな雰囲気の漂う菜園の傍を歩く事数分。植物のアーチで飾られた通路の先に、十字路で開かれている市場へと辿り着く。
産業庁の認可を得て各々に割り振られた敷地には所狭しと食料雑貨を問わぬ品々が並んでおり、流石は
キングスランド。現王:ゴルディアス六三世が統治する世界最大の軍事国家:マケドニア王国唯一の植民地であり、約七四三年前に起きたとある事件がきっかけで、大勢の職人達がマケドニア本国から移り住んできたのを起源とする土地だ。
名目上はマケドニア王国の領土であるが、その土地面積と人口は他の大国にも匹敵する。また、ゴルディアスの王子が事実上の統治者として君臨している事からも、一個の国と認識して左程問題は無い。
そういった背景を持つこの地は、義務教育を終えた国民の大半が職人としての素養を持っている。
職人とは――端的に言えば、流通を担う商人から独立した手工業者の事だ。手工業者は
錬金術。鉄を金に変える事を目的とした術。一般に術師と呼ばれる錬金術の使い手は、
無論、能力には個人差がある。あらゆる物を作り出せるとは言っても、一つの物を作れるにまでなるには相応の努力を必要とするし、生まれ持った才能だって関係してくる。故に、市場に並ぶ品々はみな個人の人生の結晶とも言える。小さくありふれた白パン一つにさえ、職人の生きた証が詰まっているという訳だ。
こんな気持ちで軒先を歩けばつい物欲が刺激されてしまうが、ボクの目的は専ら出来合い料理の調達にあった。蓋の隙間から湯気の匂い立つ紙のボックスカップと、辛みのある香気が零れる白い箱を贔屓の店で買い、ボクは
この国では四という数字が昔から特別な意味を持っていて、四進法に近い価値観が生活に根付いている。金銀銅貨を問わず最も多く流通しているのは四ドラグマ硬貨であるし、一年だって四つの月を三回の周期で数える。一週間は四日。隣の国では一週間が七日だと聞いた時は驚いたものだ。こんな文化が根付いたのも、錬金術において四大元素が世界の構築要素だとされているからに他ならない。生活の隅々にまで錬金術の価値観が染み付いてしまっている。
ボクは商品を受け取ると、再び急ぎ足で白い道に向かって駆け出した。今日は特別な日だ。四の付く日よりも、ずっと。
歩道に出ると、傍の道路に見覚えのある自動車が停まっていた。白地のオープンカーには、経済特区の郊外によくある壁の落書きに似たパンクな塗装が、色とりどりの原色塗料で施されている。
その運転席に座る若い女性もまた、派手な桃色に染めた髪に、大きなサングラスから覗くエメラルドの瞳が目に眩しい。額の真っ赤な角は、ボクと同じくマケドニア王国の主要人種である
そんな彼女だから運転席から煙管を持った手を振ってボクに誘いかける姿は、傍から見ればナンパの現場そのものだろう。
「やっほーアルカ。お使いご苦労様だね。よかったら乗っていくかい?」
女性はハスキーな声で、若者らしいような、それでいて年寄り臭いような不思議な喋り方をする。彼女が実際に何歳なのか、ボクは知らない。
「ありがとうございます、キザイアさん。丁度ギルドに帰る所だったので助かります」
「あたしもつい今しがた産業庁の支部から戻ってきた所さね。もうすぐオケアノスで例の祭りがあるってんで法国からの監視が厳しいのさ。ま、お役所の方々は
ボクが助手席に乗り込みシートベルトを着けると、キザイアは煙管を咥えて静かに車を走らせる。
キザイア=メイスン。ブレイズベルでは名の知れた職人で、ボクにとっては上司であり、母親代わりでもあり、年の離れた姉のようでもある。かれこれ十年以上になる付き合いだ。ボクがたった一人でギルドに転がり込んで以来、ずっと世話を焼いてくれている。
ギルドというのは職人の互助組織で、商会に属さないフリーランスの術師に仕事を斡旋したり、流通ルートの提供を行っている。産業庁直轄の機関である為政府とも取引を行っており、ギルドの
彼女の運営するギルド:エヴァーライフで、ボクは住み込みの術師として働いている。
「……すみません。キザイアさんにまで迷惑かけちゃって」恩人の横顔を見ていると、思わず言葉が漏れた。
「なんだい、らしくないねぇ」キザイアはあくまであっけらかんとした態度だ。「別にアルカの事で産業庁に呼ばれた訳じゃないんだよ? 単なる月初の定例会議さね。それに、アルカの夢を後押ししてやりたいってのはギルドの総意だ。多少迷惑がかかった所で文句を言う奴なんてうちにはいないよ」
「知ってます。だからボク、絶対にやり遂げますから」
頬を撫でる風につられて外を眺めると、ブレイズベル河の穏やかな流れを交通用の大型フェリーが突っ切っていくのが見える。この辺りは昔から船舶の往来で発展した土地で、水上に建てられたスクラップ仕立てのつがいペリカン像も、過去に活躍した船舶の部品から作られたものだ。内陸部の大半が乾燥した気候による砂漠地帯という極端な気候から、キングスランドの都市群は古来より海岸周辺に密集している。
流れる景色を見ている内に、車は目的地であるギルド:エヴァーライフに着いてしまった。「先、降りていいよ」と言うキザイアの言葉に甘えてボクは下車し、ガレージへと向かう彼女を背にギルドの正面入口へと歩く。
ギルドの建物はリバヴィウス式と呼ばれる伝統的な石造りの建築方式で、入り口と裏口に聳え立つ二本の尖塔が大きな特徴だ。天へと向かう建築物は下から上へと昇る錬金術の理念を象徴している。入口の塔は天体観測に使われ、裏口の塔は煙突が設置されて実験室として使われるのが通例である。エヴァーライフも例に漏れない。
内部へ進めば広いエントランスホールへと繋がっている。正面の受付カウンターの左右からは廊下へと出る事ができ、壁沿いにギルドの従業員達が各々の仕事をする事務所が幾つも連なっている。また廊下から入れるカウンターの裏側:所謂一階の中央に位置する広いスペースには長い机の並ぶ開放研究室が存在し、職人達はそこに集って互いに語り合い、知を深めるのだ。
開放研究室からは奥に続く実験室と、入口の扉近くに設置された階段が存在し、階段からは四階に亘って重なる階上フロアと地下のフロアに続いている。階上へ進めば住み込みで働いている職人の居住スペースへが連なっており、ボクの部屋もそこにあるのだが、今用があるのは地下の方だった。
冷たくごつごつした壁を触りながら階段を下りれば、薄暗い闇の奥から次第に目に眩しい紫のネオンライトが視界へと差し込んでくる。荘厳で格式高い地上部分と違って、地下は仄かな淫靡ささえ感じる娯楽の空間だ。目に眩しい鮮やかな光と薄暗い闇が同居するこの地下食堂には、昼間にも関わらず大勢の職人が酒や料理を手に堅苦しい知性の不要な会話へと興じており、仕事や勉学の疲れを癒していた。
その光景の奥に、ボクは手を振るキザイアの姿を見つける。手に持った荷物を部屋の中央にあるバーカウンターへと預け、彼女の元へと駆け寄っていく。
「やっほー」彼女の顔はまるで駆けっこに勝った少年のそれだ。「遅かったねアルカ。話に花でも咲いたかい?」
「キザイアさんが早過ぎるんですよ。……というか、ズルしただけでしょう」
空間跳躍。それがキザイアの能力だ。“
以前彼女を『空間跳躍ババア』と呼んだ間抜けな商人は、一時間毎に背中から水滴を垂らされるという報復を受け、車で逃走を図る最中に車内で背中に水を垂らされ事故を起こして入院したという。身体は全治数週間、心は全治数か月の大怪我を負って。
そんな腹黒い一面など感じさせない爽やかな笑顔で、キザイアは奥の扉を指し示す。
「彼、もう起きてるみたいだよ。まだ寝惚けてるらしいがね」
「そうですか」ボクは緊張にきゅっと息を呑む。「大丈夫です。準備は出来てますから」
キザイアに先導されて両開きの厚い扉を潜る。奥に伸びる暗い廊下は地下牢を彷彿とさせる重々しい雰囲気で、普段は誰も近付かない場所だ。背後で扉が閉まると騒がしい音も完全に遮断され、去来した静けさが緊張を更に搔き立てる。壁の小さな電灯だけが照らす闇の中をキザイアの背について進み、ボクらは小さな鉄扉の前で立ち止まった。
「ここから先は独りだ。覚悟はいいかい?」
ボクは小さく深呼吸をし、「はい。任せてください」と返す。そして、奥の見えない鉄扉を自分の手でぎいと開いた。古い石造りの部屋が廊下からの薄い光に照らされ、ボクはその中へと進み出していく。内部は松明で照らされており、古びた丸石の壁は地下牢どころか墳墓の奥だ。天井の低い部屋の奥には石の玉座が置かれていた。
そこに座っていた半裸の男こそが、ボクの待ち人に他ならない。彼はまだ眠っているかのようだ。頭は垂れ、双眸も真っ白な前髪で隠れて窺い知れない。
背後で扉が閉まり、ボクは男と二人きりになる。目の前で微動だにしないその身体をよく観察してみれば、男の肉体は現代人と比べて異常な程に全身の筋肉が発達していた。筋肉一つ一つの大きさが、鍛え抜かれた王国の軍人と比べても桁違いだ。遠目に見れば鎧を着込んでいると錯覚しうる程の筋肉には一片の贅肉も無く、筋肉の彫りも彫像顔負けに深い。全身を包む肌はこの国で太陽色と表現される美しい褐色で、身体の至る所に象形文字を模った模様が浮かび上がっている。これは
「……初めまして。お前がボクの王ですか」
呼びかけるも返事は無い。死体へ話しかけているみたいだ。そう思うと、背筋がぞっとする。昔から屍を見るのは苦手だった。
緊張と居心地の悪さが相まって、一切の反応を見せない相手にボクは焦りを覚え始める。もしかしたらボクは失敗したのではないか。……否、そんな筈は無い。ボクの腕前は天賦の才だ。凡百の敗北者とは実力も覚悟も違う。
そんな想いを嘲笑うように、目の前の男は沈黙を続けている。それがボクの余裕を失わせた。
「この……いつまで寝てる気ですか、でくのぼう!」
衝動的に両手が動き、胸の前で印を結んでいく。全てを包む風から原初へと続く火へ。横一文字の線を軸に描かれた四分の弧は眼前で光の粒となって弾け、収束した後にボクの頭部より一回りも大きい火球となって咲き誇った。真っ赤な光が部屋中を照らし、焼かれた風が轟々と唸る。
「“
詠唱と同時に放たれた紅蓮の火球は尾を引いて男の胸元へと飛んでいき、着弾と同時に大爆発を起こして玉座諸共に破砕と灼熱が渦を巻く。崩壊した玉座の破片がそこら中に散らばり、目の前で燃え盛る炎の中には椅子の輪郭さえ残ってはいない。――最悪だ。明らかにやり過ぎた。
自分の反射的な短慮に思わず泣きそうになった刹那、己の背後で空気が揺れたのを感じる。
振り返ったボクは、喉の奥から小さな悲鳴が零れた。後ろにはあの大男が無傷で立っていたからだ。立ち上がるとその背丈は
「……面白い小僧だ。今のは何だ?
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