燈火のアルスマグナ:黄金の王と鉄学者

鯨鮫工房

序話 とある魔女の詩

 鉄屑を黄金へと変える。

 凡人を偉大な王へと至らせる。

 無知なる魂に世界の真理を理解させる。

 この世に存在する数多の願望を叶えるのが、錬金術だ。もし何でも一つ望みが叶うとしたら、人は何を願うのだろうか。


 望みには様々な形があるが、願望のあるべき姿とは『下から上に登るイメージ』だというのが、錬金術の根本思想だ。故にボク達は大鍋で鉄片を煮込んでいた時代から、天へと伸び上がるものに、望みを叶える大いなる力を想起してきた。

 今、ボクの目の前に聳える氷山もその一つだ。

 周囲は慟哭する風と、それに砕かれた雪の白い幕で包まれて、あらゆる輪郭が判然としない。雲に飲み込まれたような真っ白な光景の中で、天に向かって屹立する幾本もの氷塊だけが道標となり、辛うじて形として浮かび上がっている。

 ボクを包むフード付きの厚い防寒着も雪に浸食され、随分と周囲の景色に溶け込んでしまっていた。

 白い息を吐くと、口の中から魂まで凍ってしまいそうだ。ボクは冷たい空気を飲み込み、口の中を再び温め直す。そして、つんざく風の中で独り、詠い始めた。


原初の火ビッグ・バーンが盗まれた』


『神と人の子である半神デミゴッド:ギルガメシュは神々から奪った原初の火ビッグ・バーンを使い、人間を争いへと扇動して世界を混沌に包まんとした』

『ギルガメシュは原初の火ビッグ・バーンを器に注いで聖杯を作り、力を望む人々に分け与えた』

『聖杯を手にした人間達は王となり、残る半神デミゴッド達もギルガメシュの後を追って野望へと傾倒し、己が欲望を満たす為に世界へ戦乱の大火を広げる。やがて彼等の過ぎた驕りは神の怒りに触れ、大戦争の末に全ての半神デミゴッドと王は死に絶えた』

『こうして世界から火は失われ、人々は太陽の恩寵だけを頼りに、神へと祈りを捧げて生きるようになった』


『そんな中、一人の王が現れた』


双角の王ズルカルナイン:イスカンダル。双角の半神デミゴッド:ヘラクレスと、永遠の半神デミゴッド:アキレウスの血を引く偉大な王。雄々しき双角と、美しき白い肌を備えた若き勇者』

『彼は長い旅路の果てに世界の最果てエルシオンへと辿り着き、世界を救う生命の樹を求めて世界の外側へと旅立ったという』


『王が世界の最果てエルシオンで何を見たのかは、誰も知らない。確かなのは、人々に原初の火ビッグ・バーンに代わる恵みの炎:イスカンダルのが宿ったという事だ』

『人々は彼の偉業を追って、大いなる海へと船を出す』


『鉄学の冠ゾシモス』

『人を識るアガトダイモン』

『愛と黄金星のイシス』


『されど未だ真理へは至らず』

『世界の全てを知りたくば、イスカンダルの燈を紡げ』


 手袋で包まれた両手を胸の前で次々に組み、定められた印を結んでいく。全てを包む風から原初へと続く火へ。世界を巡る水から永久に崩れぬ土へ。そして、魂を呼び起こす黄金の円環へ。四つの元素は循環し、万物を構築する大いなる円を成す。

 循環と円こそが錬金術の基本骨子だ。紡がれて一つの円となったイスカンダルの燈を、ボクはゆっくりと眼前の氷肌へと沈み込ませる。

 天を衝く氷は黄金の炎に巻かれて恐ろしい唸りを上げ、やがて幾片もの氷塊となって崩壊していく。その内側から姿を現したのは、全身が炎で出来た巨大な戦士だった。

 ボクはその炎を解き、手繰り集め、手の内側で毛糸球を作るように束ねていく。そして収束した炎が白い光となって弾けた時、手の上には青い宝珠が浮かんでいた。


「はじめまして。――お前がボクの王ですね」


 ボク達『鉄学者』は、王の為にある。その存在は古来より王の傍に仕え、王の望みを叶えてきた。

 鉄から黄金を作り、王の頭上に座す冠を捧げる。王が宮殿を欲すれば大地を編み上げ、一晩で難攻不落にして荘厳美麗な城を築き上げる。王が不死の肉体を願えば海へ出て、数多の珍品から伝説の妙薬を錬り上げる。

 鉄学者は自らが仕えるべき王を冥界より呼び起こし、最果てを目指すのだ。そこには、今は失われしこの世の全てがあるのだから。


 ボクの名はアルカ。最果ての真理に願うは――不死の身体と永遠の魂。

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