第一話 黄金の世界 後編

 馬鹿な。あの体勢から火球を躱して、ボクの背後に回り込んだとでもいうのか。いくらなんでも速過ぎる。こいつはまだ、の筈なのに!

「……此処は何処だ。今回はソロモンの奴ではなさそうだな。貴様が乃公を呼んだのか?」王は物珍し気に周囲を見回している。

「ボクの名前はアルカお前の家臣です。お前、ですか。名前は何ていうんです?」

 尋ねると、王は不快そうに整った顔を歪ませる。

「名だと? 乃公にそんなものがある筈なかろう。乃公には大王ベルという、唯一無二の称号がある。名などというものは有象無象の人間共が、矮小な自分達を見分ける為の貧相な記号に過ぎんのだからな」

 何だか尊大な奴だ。端的に言えば、自分以外の人間を見下している。これから付き合っていく上で、あまり好ましい事ではないと言えよう。

「……お前、人間の事を何だと思ってるんです」

「フン、面白い冗談だ。人間が、人間の何たるかを問うと申すか。貴様はソロモンと違って物を知らんな。人間など、乃公の為に働く牛馬と同等の存在に過ぎん。である乃公に対し、感謝と忠誠を捧げて大地を耕しておればよいのだ」

 成程……。これは重症だ。こいつは所謂、暴君という奴らしい。

「それにしてもアルカとやらよ、貴様は随分と奇怪な姿をしておるな。ヘラクレスの双角に、アキレウスの白い肌。オジマンディアスの貴き紫髪は……少し薄いようだが」

「んぐぐ……。お前、デリカシー無さ過ぎです! 少しはボクの気持ちを尊重してください!」

「何故乃公が人間風情を尊重してやる必要がある? 貴様は阿呆なのか?」

 駄目だ。会話が噛み合わない。この価値観の差異は、良好な関係性を築いていきたいボクにとって凶兆である。

「……そうですね。少し礼儀を失したかもしれません。一先ずは、敬意ともてなしで王を迎えるとしましょう」少し投げやりに場を収める為の言葉を吐く。

 ボクは入り口の鉄扉を開けると、キザイアが壁に寄りかかりながら笑みを浮かべてボクを待っていた。

「随分と手荒なお出迎えだったみたいだね。ギルドをぶっ潰す気かと思ったよ」彼女はそう言って、ボクの後ろに続く王を見る。「ふーん、随分とイイ男だねぇ。何処の王だい?」

「人間相手に名乗る名前はないそうです。見たところ祖人種アダムシアですから、バビロニアの王なんでしょうけど」

「もう喧嘩かい? こりゃ前途多難だねぇ」

 楽し気なキザイアを王は気味悪そうに見下ろしながら、窮屈な扉を潜る。「此処の人間はどいつも不気味な服を着ているのだな。どんな獣を狩ればそんなに毒々しい毛皮が手に入るのだ?」

「毛皮じゃありませんよ。人工皮革っていうんです。そういえば、王は錬金術を知らないんでしたね」

 この世界に人工皮革やプラスチックのような錬金術由来の物質が誕生したのは、双角王ズルカルナインイスカンダルによってイスカンダルの燈がもたらされて以降。つまり王にとって錬金術とは未知の技術に他ならない。呪い扱いもする訳だ。

 ボクは地下食堂へ続く二枚扉を開いて、奥から差し込む光と共に王へと振り返った。静寂に満ちていた廊下に王を迎える職人達の喝采が押し寄せ、現代的な光が容赦なく王の全身を照らす。

「な……何だこれは……! 乃公はまだ夢を見ているのか……?」その顔は驚愕を通り越して、呆然と固まっていた。

「エヴァーライフへようこそ。現代の王立鉄学園リュケイオンが、お前の最果てへの旅路を祝福しますよ」

 王はキザイアに腰を押され、戸惑いながらも食堂へと足を踏み入れた。先程から紫の光に照らされた自分の身体を見ては、不安そうにしている。巨大な生物の胃袋へ放り込まれたかのようだ。

「この紫の火は何だ……? こんな風に浴びても大丈夫なものなのか?」

「光の波長を変えてあるだけですよ。要は無害って事です。それより奥のVIPルームに行きますよ」

 地下食堂には先程の扉とは別方向にもう一つの扉があり、その奥は客人をもてなす際に使用するVIPルームが存在する。普段は産業庁からの役人や他のギルドから出向してきた親方マイスター等の特別な来客を接待したり、極秘の商談を行ったりする場所だ。食堂は王をもてなすには騒がし過ぎる。

 扉を潜った先には短い廊下が続いており、更にスライド式の扉が待ち構えている。内部は四方の壁を黒い革張りのソファで囲まれており、中央の机には先程バーカウンターに預けた料理に加えて、籠に入った炭酸水の瓶や果物が用意されていた。

 王を奥へと座らせ、ボクとキザイアも王の斜め前へと腰掛ける。

「お前が色々と聞きたいのは分かりますけど、先ずは腹ごしらえにしましょう。お前、何か食べられない物はありますか? 好き嫌いの他に宗教上の理由で食べられないだとか」

「特には無いが。……シュウキョウとは何だ」王は自分の知らない言葉に眉を顰める。

「宗教っていうのは……。人間が神を信じる為の教え、ですかね。ボクもあまり詳しくはありませんけど」

「どうして神を信じる必要がある? あれは疑うようなものではなかろう」

「そうですか? 尤もらしい教えでもなければ、寧ろ信じる方が難しいと思いますけど。普通に生きてて、神の存在を実感する事なんてありますか?」

 ボクがそう返すと、王は再び不安げな表情になる。宗教絡みの話題はデリケートだ。やもすれば、王に此方への不信感を抱かせるかもしれない。だからこそ、この場で互いの認識齟齬は埋めておいた方がいい。

「まさか、この世界には太陽が存在しないのか?」王の質問は意外なものだった。

「へ? 太陽ならちゃんとありますけど……」

「何だ、脅かしおって。ならば神の存在を普段から感じておるのではないか。太陽も、風も、大地も、全ては神の働きなのだぞ」

 成程、この世界で主流の唯一神を掲げる宗教観とは違って、世界の万物に神の存在を見出す多神教的な価値観な訳か。それならば、錬金術の思想には通じるものがある。錬金術による探究の目指す所は世界の万象から共通の法則を抽出し、巨大な根源的法則を知る事にあるのだから。それはこの世の万物に神という大いなる意志が宿っていると考える事に近いのではなかろうか。

「すみませんね。つい一般的な宗教論を語ってしまいました。ボク達術師は普段神という言葉を使いませんが、超越的な存在に対する価値観はお前と同じです。……何しろ、錬金術はバビロニアから伝播したものですからね」

「ほう、乃公の国がアルカの使った妙な術の源流だというのか」王の表情は少し穏やかなものになる。親しみが湧いたのかもしれない。

「そうです。それにボクにも少し、祖人種アダマイトの血が流れているんですよ。要はお前の子孫という訳です」

 ボクは白衣の袖を捲り、腕に浮かび上がる生名エメギルを見せる。ボクの身体に刻まれた象形文字が表すのは、星と波だ。

「子孫……? 貴様が乃公の子孫だと……? バビロニアの人間は皆こんな風になってしまったのか?」

「こんな風ってどういう意味ですかお前。それに今の時代じゃ混血なんて珍しい事でもないですよ。マケドニアの大陸覇行によって、国境や人種の境なんて無くなったも同然ですからね」

「何だと? ではバビロニアはどうなったのだ。今も残っておるのか?」

「一応残ってはいますよ。マケドニアの属国としてですけどね」

「何という事だ……。それに、マケドニアとは何だ? そんな国、八大国家の中には存在しなかったであろう」

 八大国家。『神殿の国:シオン』『星見の国:バビロニア』『拝火の国:ペルシア』『地底の国:アガルタ』『戦士の国:北ギリシア』『学術の国:南ギリシア』『狩猟の国:ブリタニア』『再生の国:ケメト』の八つの大国は、それぞれが八人の半神デミゴッドによって作られた原初の国家である。

「マケドニアは人間の王であるイスカンダルが、北ギリシアを滅ぼして建てた国です。南ギリシアは今は単にギリシアと呼ばれていますし、『混血の国:トロイア』なんて新しい国家も誕生していますからね」

「人間が国を建てただと……? 乃公が死んでから、一体どれだけの月日が流れたというのだ……!」

「お前がいつ死んだのかは知りませんが、お前がさっき名前を出していたソロモン王が死んでから一〇八四年経っていますよ。今は太陽暦二〇一五年。お前が生きていた時代よりも、遥か未来です」

 話しながらボクは、次々に出来合い料理の蓋を開けていく。買ってきたのはボックスカップに入った辛味焼きそばと、真っ赤なソースに漬け込まれたフライドチキンは大陸最南端の小国:カンで若い世代を中心に流行している珍しい料理で、最近のマイブームなのだ。

「これは何だ。獣の毛か? こっちの赤いのは血か……?」王は若干憐みの籠った眼差しを向けてくる。

「違いますよ。現代の料理です。変な物は使ってませんから、とにかく食べてみてください」

 促すと、王はまだ薄く湯気の立つ麺を何の躊躇いも無く素手で鷲掴みにした。ボクの喉から「ヒュッ……」と声が漏れる。

「お、おおおお前何してるんですか! 素手でいくな! 麺を食べる時はちゃんと箸を使ってください!」

「ハシ? ハシとは何だ。此処の人間は足で物を食う習慣でもあるのか?」

 隣ではキザイアが爆笑している。何て事だ。まさか異文化の壁がここまで厚いとは思わなかった。否、世界には素手で物を食べる文化があるのは理解している。地底の国:アガルタの食文化がそうだ。だがアガルタの人々も、素手で食べるのは自国の料理だけである。

「お前の前に小さい金属の棒が二本置いてあるでしょう」ボクは自分の箸を手に持ち、使い方を王に見せてやる。「こうやって使うんですよ。こうすれば熱い物を直接持たなくて済みますし、衛生的にもいいんです。慣れれば手で掴むのと同じぐらい器用に食べ物を取れますよ」

「現代の発明という訳か……どれ、こうか?」王はボクの手本を少し見ただけで箸を巧みに操り、危なげなく焼きそばを口に運んだ。「うむ。確かにこれは便利だ」

「ふーん。中々センスがありますね、お前」

 やはり王の身体能力には目を見張らせるものがある。

「この程度は容易よ。身体の使い方もだいぶ分かってきた故な」

「箸使えたぐらいでそんなにイキらないでもらえますかね……。で、どうです? 現代の味は」

 王はそばを飲み込み、静かに思索を巡らせる。「これは……パンに似た物だな。小麦の味が僅かにした。して、この纏わりついている物は何だ? 口の中が痺れてかなわんわ」

「んー、唐辛子に、胡椒とかですかね。後はニンニクに味噌とか?」

「ま、待て! これ全部が香辛料だと? 出鱈目な事を言うでないわ!」王は今にも立ち上がらん勢いだ。

「何をそんなに焦ってるんですか」ボクは指先でソースをとって舐める。「そんな高級品でもあるまいし」

「ぬおおおお! 勿体ない事をするな! アルカが今舐めた分だけで黄金一掴みの価値があるのだぞ!」王ははっと事情を察した顔つきになる。「……さては現代の王族か?」

「んな訳ないでしょ。現代では香辛料なんて一山幾らの値段ですよ。ここにある量なら銅貨で買えます」

「俄かには信じられん……。そんなにも肥沃な大地なのか?」

「この国じゃもう誰も農耕なんてしていませんよ。食べ物は全部錬金術で作るんです」

 目の前の香辛料に気兼ねする必要が無いと気付いたからなのか、王の目は一心に料理へと注がれる。彼はフライドチキンを箸で掴むと、一気にがぷりと食らいついた。豪快に歯で肉を毟り取り、若干の混乱さえ見受けられる面持ちで味に集中している。

「驚いた。こっちは鶏の脚か。信じられん程に太っておるわ」王は口の端に付いたソースを指で拭い、舐める。「この痺れる味はまだ慣れんが……。認めよう、美味であったと」

 王は満悦。掴みは上々だ。ボクは「それはよかった」と立ち上がり、彼の傍まで身体を寄せる。

「どうです。この世界は気に入りましたか?」

「まぁ、偶然迷い込んだにしては上出来だ。まだまだ面白い事もありそうだしな」

「そうですか」ボクは吐息交じりに呟いて王の胸にそっと指を這わせた。「ねえお前。この世界が欲しくはありませんか?」

「……どういう意味だ」王は怪訝な顔を浮かべる。

「深い意味はありませんよ。この世界の全てを手中に収める気はないか、と聞いたんです。ボクならお前をこの世界の王にしてやれますよ」

 ボクは唐突に本題を切り出した。王との間に結ばれる――戴冠の契約へと移る為に。

「世界の王か……大層な肩書きだな」王はボクの言葉をまるで本気にしていない。「そんな曖昧なものを望む程、乃公が愚昧に見えたか?」

「勘違いしているみたいですけど、ボクは冗談を言っているんじゃありませんよ。一切の比喩無しに、世界の全てを手にいれる方法があるんです」

 相変わらず疑わしげな表情を向ける王の眼前で、ボクは両手を組んで印を結ぶ。全てを包む風から原初へと続く火へ。世界を巡る水から永久に崩れぬ土へ。虚空に刻まれた黄金の円は、その軌跡に黄金の炎を宿し燃え上がった。

「これがイスカンダルの燈。双角の王ズルカルナインイスカンダルが最果てから持ち帰った、人の願いを叶える力です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る