手紙代行、始めます!

折原さゆみ

第1話

「では、企画会議を始めたいと思います」


 有隣堂広報担当の渡邊郁(わたなべいく)が声をかける。書店の一角に集められた社員は、有隣堂のユーチューブでおなじみの社員たちだ。


「おかげさまで、ユーチューブ『有隣堂しか知らない世界』は登録者数20万人を超えて大盛況となっています。有隣堂としてはさらに今後の発展を求めて新たなことをしていきたいと考えています」


『この会議って、僕も必要なの?僕は有隣堂の社員じゃないんだけど』


 郁の言葉に文句を言い始めたのは、オレンジ色の派手な色合いのミミズクだった。有隣堂しか知らない世界でMCを担当しているR.B.ブッコローだ。ぎょろりとした目を郁に向ける。しかし、郁は気にすることなく話を進めていく。


「会議とはいっても、既に新たな企画は進行中です。今回は新たな企画の内容を詳しく決めていこうと思います」


『企画会議とは』


「うるさいですよ、ブッコロー。この企画はあなたにも関係するものです。最後までしっかりと話を聞いてください」


「新たな企画って、動画内で新たに始める『手紙の代行』ですよね?私、手紙を書くのって好きだからとても楽しみです」


「もしかして、その手紙とやらに私のイラストを載せようとか、考えていないですよね?有隣堂にはすでに絵本作家として活躍している沼能さんがいるので、そちらに頼んだ方が」


「その手紙、私が宛名を書いてもいいの?ポップとはいかないけど、結構うまくできる気がするよ」


 今まで静かに話を聞いていた有隣堂社員が郁に代わり、今回の企画について話し出す。最初に声を発したのは、文房具王になり損ねた女、岡崎弘子(おかざきひろこ)だ。ブッコローはそこで初めて新たな企画の内容を知ることになった。彼女は有隣堂しか知らない世界で文房具を紹介する際、ブッコロー宛に手紙を書いてきたことがある。結構凝ったものをくれたことがあるので、手紙を書くのが好きというのは本当だろう。


 次に発言したのは文房具の全権を握る男、問仁田亮治(まにたりょうじ)だ。この男は学生時代にマンガを描いていたことがあるらしく、動画内でもイラストを披露している。まあ、有隣堂社員の絵本作家、沼能茉紀(ぬまのうまき)に比べてしまったら可哀想だろう。沼能はこの会議には参加していない。


「落ち着いてください。皆さん、あくまで手紙を代行するのはブッコロー主体です。我々はそれをサポートすることに徹してください」


『わかりました』


 郁の言葉に素直に返事をする社員たち。


 ちなみに最後に発言したのは、頼れる姉御主任、大平雅代(おおひらまさよ)だ。ポップ作成の講師をしたことがあるらしい。手紙の宛名書きにポップ作成の技術は使えるのは不明だが、やる気はあるらしい。


(それにしても、僕以外どれだけやる気があるんだか)


 ブッコロー以外、ここに集まっている社員は既に新たな企画内容を知っているのだろう。知らされていないのは、当の本人なのが嫌らしい。


『これって、僕に拒否権ってないんでしょう?会議する意味あるの?』


「さっきも言ったはずです。これから企画の詳細を決めていくんです。ということで、まずは『手紙代行』の世界として、手紙代行の仕事を紹介していきたいと考えています。その後、ブッコローによる手紙代行のコーナーを動画内で取り上げるという感じです。うまくいけば、月に一回、それが無理なら二か月に一回ほどでもいいのでレギュラー企画としてやりたい」


 郁の顔は期待に満ちていた。これが成功したら、手紙の用紙に使った便せん、封筒、筆記具にインクの売り上げが増えると踏んでいた。今までも動画内で紹介した文具は動画終了後、かなりの売り上げを記録している。


(仕方ない、か)


動画を始めてから二年以上、ブッコローは文房具の魅力に憑りつかれつつあった。すでにガラスペンやインクの沼にはどっぷりつかってしまっている。そのため、手紙を書くという行為が少しだけ楽しみになっている自分がいた。


そんな自分が好きなインクを使って手紙を書くというのは案外、理にかなっているのかもしれない。ブッコローは知らず知らずのうちに有隣堂社員と同じような考えに染まっていた。




 手紙代行の世界は、ゆーりんちー(有隣堂しか知らない世界の視聴者)にとってかなりの人気回となった。実際に手紙代行として働いている人をゲストに呼んで収録した回だったが、動画内でのブッコローの言葉がゆーりんちーの心をつかんだようだ。動画の最初でブッコローは視聴者のコメントを紹介した。


【いつも、動画を楽しみにしています。ブッコローは話もうまいし、字もうまい。それを活かした『手紙代行』をしてみてはどうですか?手紙に使う用紙もペンも有隣堂で集められますし、その手紙に最適なものがそろえられると思います!ぜひ、ブッコローが書いた手紙をもらいたいです!】


『どうして、手紙なんか書かなくちゃいけないんだ……。僕は有隣堂しか知らない世界のただのMCだよ』


「そんなこと言わないでください。私は良いと思いますよ!」


『岡崎さんは楽しいかもしれないけど、僕は嫌だよ』


 視聴者のコメントが実現するなど思ってもみなかった。有隣堂の中で出たアイデアだと思っていたが、まさか視聴者からのコメントの発想を採用したとは。


 ブッコローを褒めるコメントは多い。MCとして話をすることは得意だし、動画内で書いている文字がうまいとほめられて嫌な気はしない。しかし、新たな企画となると話は別だ。MCのほかにさらに仕事が増えるのは面倒だ。そう思っていたのに。


「私は今からとってもワクワクしていますよ。依頼者から聞いた内容を手紙に書くのでしょう?紙やペン、インクを選ぶのが楽しみです」


 岡崎はすでに新たな企画で頭がいっぱいのようだ。企画に参加する気満々でやる気があるのは良いことだ。


『動画を取り始めたころのブッコローなら、絶対に承諾しなかったんだけどな』


 ブッコローは大きな溜息を吐きだす。


『とはいえ、やるからには上を目指したいので、今回はこちら!手紙代行のせかーい!ゲストはこちら……』




『今回はこちら。ブッコローの手紙代行のせかーい!」


「この前放送した『手紙代行』の世界でもお話しした企画が、実現することになりました!」


 結局、手紙代行をブッコローがする企画は実現した。今日は手紙代行の一回目の収録である。


「この企画を始めるにあたって、手紙の依頼をツイッターや動画内のコメントで募りました。そこから選ばれた手紙の依頼を実際に取り組んでいこうと思います」


 今日のゲストは有隣堂広報の郁だった。初回の手紙の依頼内容とは。


【有隣堂しか知らない世界のファンの一人です。いつも面白くてためになる動画をありがとうございます。ブッコローが手紙代行をしてくれるということで、さっそく、手紙の依頼です。私の両親に手紙を書いてほしいです。私は今、就職して親元を離れてひとり暮らしをしています。気軽に会える距離ではないのですが、今まで育ててくれた恩があります。両親はブッコローのファンなので、ぜひ、私の感謝の気持ちを一筆お願いします】


『僕のファンなんて嬉しいなあ。これって、僕が手紙の内容を考えるの?』


 郁が読み上げた内容にブッコローが対応する。郁は頷いてこの企画を再度説明する。


「そうです。手紙の内容はもちろん、手紙の用紙に封筒、筆記具、インクもブッコローの好きな物を使って構いませんよ」


『全部ブッコローに丸投げかよ。何か候補とかないの?一からとかさすがに大変なんだけど』


「そういうと思って、事前に候補をいくつか用意してあります」


 机の上に用意されたのは2枚の用紙と2種類のガラスペン。そして3色のインクの瓶だった。


「用紙の候補として、たましきと、しこくてんれい、封筒にはOKミューズキララ、NTラシャ、ガラスペンはこの二つ。使うインクですが、これは……」


『いやいや、紙からこだわっていたら、全然手紙書くまでに至らないよ。ああいやだ。この動画を始める前の僕だったら、まったく興味なかったんだけど、今だと結構気になるもの。OKミューズキララとかめっちゃ気になるし』


「インクの説明をすると、有隣堂オリジナルインク、空、海、港に、エルバンのカカオブラウン、……。あとは墨インクの檜ですかね」


 郁は次々と机に置かれた商品を説明していく。ブッコローとしてはまったく乗り気でないことを示したいが、いかんせん岡崎によってインクの沼に落ちてしまった彼にあらがう術はない。


『エルバンのインクなんて気になっちゃうじゃん!』


 最終的にブッコローはノリノリでこの収録を終えた。まさか、動画を始める前の自分がこんなに手紙の用紙や封筒、ペンにインクにこだわるとは思わなかった。それが良かったのか悪かったのかというと、ブッコロー的には良くない傾向だ。


 新たに企画された「手紙代行」は大反響を呼び、レギュラー企画となった。




「今日の依頼者は……。離婚する相手に送る手紙、だそうです。浮気した旦那に決別の手紙を依頼しますと書かれています」


『うわあ、そんなのに手紙を出す方がどうかしているよ。サッサと忘れたほうがいいのに』


 今日もブッコローの毒舌が健在だ。しかし、そんなことはお構いなしに収録は続けられていく。


『これ、インクは一つしかないよね?まえ、岡崎さんが紹介してくれた「血の色」インクとかどう?』


「私は血天井をイメージして作ってもらったんですけど」


 岡崎は嫌そうに手を振っているが、候補として挙げられた机の上にはブッコローの話したオリジナルインクが乗っていた。


 手紙代行コーナーは現在、二か月に一度ほど行われている。

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