第2話 羽の無い鳥

「へっ!今日もよくやったなこれでも食え」

べちょっと気持ちの悪い音ともに主人は料理を作った時に出た大根のヘタやりんごの芯、鶏肉の骨、そこに誰かが酒場で吐いたゲロを混ぜ合わせた異物を俺たちの前に落とした。

見ているだけで吐き気がする、だが俺たちにはこれくらいしか食べ物がない。味などどうでもいい、生きるためならこんなものでも食わなければならない。この残飯を食べるコツは暖かいシチューや美味しそうなパスタを想像しながら食べることだ、そうすると幾分かましな味になる気がするんだ。

「はっはっはっ!まじで汚ぇなお前ら!」

「がっ!」

地面に落ちた残飯を食べてるといつも横腹を蹴られる。まともに食事など出来たことがない。

「ほら!ほら!ちゃんと食えよお前ら!」

蹴られても蹴られても食べ続ける。生きるために、ただ生きるために、痛くても我慢して吐き気がするような食事をする。それが俺たちのいつもの日常だった。冷えきった俺の人生の一部だった。

「さてそろそろ冷えてきたな家に入るかあぁ後これも捨てとくかこれを処理しておけ」

主人は俺たちよりもあたたかそうな毛皮のコートを擦りながら家に入っていった。扉を閉じた時に感じる家の中の暖風が一日の中で唯一の熱源だった。残ったのは主人が読み飽きた本の数々、主人はいつもその本達の処理を俺たちに任せていた。

その本から文字が読める一番は多くの知識を蓄えていた。俺と三番は文字が全く読めなくてすぐに諦めた。

すると主人の家の中から話し声が聞こえてきた。多分話し相手はどこかの金持ちだろうな。

「東方の国で戦争の準備が始まっているらしいぞ」

「ふむ西側諸国にしかけるつもりなのか?」

「かもな、こっちには資源が沢山ある、狙う理由は十分だ」

「はっ!返り討ちにしてくれるわ!」

「お前のそのお腹じゃ無理だろ、たるんでるぞ」

「はっはっはっ!何いざ死にそうな時は奴隷を盾にすればいいだけの事よ」

「全く戦争が起きそうだと言うのにお前は呑気だな」

「いや呑気なのでは無い、楽しみなのだあちら側が戦争を仕掛けるのであれば守る我々の方が明らかに楽だからな、それに戦争に勝利すれば貰える金も多いだろう?」

「それもそうだ、はっはっはっ!」

家の中から聞こえる煩わしい笑い声に俺は嫌気がさした。毎日毎日自分だけ暖かい場所で談笑する、しょうがないと思いながらもやはり恨めしいと思ってしまう。

「どうしたの、大丈夫?」

「何がだ」

そんな時隣で雪の椅子の上で座っていた三番が話しかけてきた。つい尖った返事をしてしまう。

「なんか辛そうな顔してたから大丈夫かなって」

「大丈夫だ」

「ほんとにぃ?」

三番は俯いた俺の視界に覗き込むように入り込んできた。三番はボサボサした白髪に霞んだ青い瞳、土だらけの顔、どこにでもいる奴隷の姿だった。

「大丈夫だ、本当に」

「嘘つき」

「嘘じゃない」

「嘘だよ」

なんだこいつしつこいな!

「だから嘘じゃ!」

「じゃあなんで泣いてるの?」

「っ!」

思わず目に手を当てる、確かに汗が目から溢れ出ていた。その汗を止めるために必死に拭った。

「無理しないでね、辛い時は私に話してよ」

三番にコツンとおでこを当てられる、暖かい感覚がおでこから広がっていく。心の底から安心するような感覚だった。

「これで大丈夫だね」


あぁ大丈夫なんだ、本当に大丈夫なんだ、主人たちへの憎しみも今この瞬間だけは無い、なのになのに目から出る汗だけが止まらなかった。



「さて!今日はこの足に繋がれてる鎖が外される瞬間をまとめよう」

「おー!」

三番と一番が主人が寝静まったあとそのテンションとは裏腹な小さな声で喋りだした。

「お前ら、少し静かにしろよ」

「全くもう、二番が静か過ぎるんだよ」

「そうだぞ、もっとはしゃがないと楽しくならないぞ」

一番と三番が俺に詰め寄ってそんなことを言い出し始めた。三番に至っては壁に繋がれてる足枷に気付かずその場でこけやがった。下に積もっていた雪が三番の鼻に被り、赤くなっている。

「そんなこと言っても俺はこの足枷がどうにかできるとは思えないんだがな、俺たちが一番自由に動けるのは夜のこの時間帯、それも足枷の半径30センチ以内の範囲だけだ、昼は足枷が外されるけど重石がついているし労働をしている時は商人が見張ってる。それに足枷はなくとも手枷はつけられてる、そんな中でどうやって逃げ出すっていうんだよ」

「それだよ、二番」

俺が淡々と事実を伝えると三番はズビッと可愛らしく鼻をすすってから続ける。

「その足枷が外される瞬間を狙うんだ」

ニヤッと一番が笑った。不意に自分についている足枷を触る。冷たくて骨が当たる部分が痛い、生まれてからずっとつけられていた重荷、この重荷のせいでどれだけの自由を奪われたのだろうか、もし、もしもこの足枷が無くなったなら·····そう夢想する。

「その瞬間を狙ったとして、主人をどうやって巻くんだ、その手だてはあるのか?重石もついているのに」

俺が三番の言う机上の空論に対して無慈悲に問う。

「あるよ、二番に手伝って貰えればね」

「俺が?」

「うん、二番があのクソデブ商人の気を引いて貰えればその隙に私たちは逃げることができる、そうすれば管理室の中にある鍵を手に入れられる、あとはその鍵を持ってこの手枷と重しを外すことができるはずなんだ」

「大雑把過ぎる、そんなんじゃすぐに捕まっちゃうぜ三番」

一番は意気揚々と喋る三番を諌めるように言う。

「綿密に作戦を立てるんだ、どんな最悪な事態でも想定して、完璧で安心できるような作戦をな」

「えーでもそんなこと考えたってわかんないよー」

「バカっ、これは俺たちの人生をかけたものなんだ、そんな簡単に考えていいはずないだろ、考えるんだ」

「むぅ、じゃあ一番が考えて、私には無理だから」

「はっはっはっ、了解だ」

三番は赤く染まっている頬を膨らせてむんつけたように答える。そんな三番が可愛らしかったのか少し小馬鹿にしたように一番は笑った。

「で?お前はどうする?協力してくれるか?」

一番のその問いに言葉が詰まる。正直いって実行するよりかはリスクが少ない、そんな小さいリスクだけで脱走できるというのならやってみるのもいいのかもしれない。

「二番、お願い、私を信じてくれない?」

三番が俺の手を握った。俺はどうしたらいい、俺は、俺はどんな未来を描きたい?俺の願いはなんだ?

俺は、俺はこいつらと一緒にいたい、だから

「··········いいよ、じゃあその時になったら教えてちゃんと気を引くからさ」

自分でも卑怯だと思う。危険を犯さずにメリットだけを得ようとしているのだから、今俺が浮かべてる笑顔が薄ら寒いようにしか感じない。打算的な自分に嫌気がさす。

こいつらの人の良さが俺の心を締め付ける。けど、傲慢だと思いながらも俺はこいつらと一緒に生きていたいと思ってしまったんだ。

「よし!じゃあ決まりだね」

三番が少し高い声で言う。

「よーしそれじゃ、雪合戦だ!」

「ぶっ!」

「ばへっ!」

「あはははっ!」

三番はその小さい手に入るくらいの雪つかみ、俺と一番に投げつけてきた。雪が目に入ってツーンとする。

「やったな!」

「これでもくらえ!」

そこから始まるのは足枷の範囲半径30センチ以内で繰り広げられる雪合戦、避けることなどできるはずもなく、投げられた雪は全部体に当たる。

確かに冷たい、耳は本当にあるのかと疑いたくなるほど麻痺してるし、投げられた雪が体に当たると体温によって溶けていき、服の内側を冷たい液体がひた走る。

けど反対に暖かい。冷たいのに暖かい、すごく不思議な感覚だ。

あぁ、この瞬間がずっと続けば良いのにと思った。けど無理だから、今この瞬間を全力で楽しみたい。

「にしし!やったな!」

「これはどうだ!」

「うわっ!それは流石にデカすぎっぶへっ!」

「あはははっ!」

「バーカバーカ!」

その日は全力で雪合戦をした後疲れて雪合戦のせいで土が混じった雪の中で眠った。



そして数週間が経った後の主人が寝静まった夜のこと。

「よし!準備は完璧だね」

「あぁ、ここまで慎重に計画したんだ、きっと大丈夫さ」

「じゃあ決行は明日だね!」

「おう!」

一番と三番が結託して、腕を力強く交差させる、三番の息遣いは荒く気合い十分と言った感じだ。その気合いを見ていると本当に実現できるのではないかとさえ思えてくる。この二人ならきっと、きっとやってくれる。


一番も三番も俺も同時に買われた奴隷だった。奴隷商の売れ残りとして売られていた俺たち三人は隅っこの方で極貧の生活を強いられていた。飯なんて五日に一回、水も一日に一回一口しか飲ませてくれない。もちろんやせ細っていき、腕はもやしのようになっていた。そんな時、今の主人が安いからと俺たちを買っていった。買った順番で名前が決められた。最初は強いられる労働に嫌気が刺して逃げ出した時もあったけど、その度にキツいおしおきがあったから、その回数は次第に減っていった。

そんな環境でも俺たち三人のうち三番だけは健気に俺たちに話しかけてくれた。元気づけてくれた。”大丈夫、君はきっと大丈夫”ってずっと、ずっと励ましてくれていた。

それでも俺たちは下を向かずにはいられなかった。

きっかけは本当に些細な事だった。俺が主人が寝静まった後のほんの少しの自由な時間に白く染まる息を見てぼーっとしてた時、まるで鈍器に殴られたような強い衝撃が俺の頭の横に走った。まるで脳が揺らされたようなその感覚につい横を見ると三番が満面の笑みで雪玉を持っていた。「雪合戦をしよう!」と三番は言った。かっとなった俺は三番に投げ返し、一番が混ざってきて、その日は朝が来るまでずっとずっと雪合戦をし続けていた。楽しかった、本当に楽しくて暖かかったんだ。少しだけでも前を向こうって思うことができたんだ。


「懐かしいな」

「ん、何が?」

「いやなんでもない」

三番が気になったのか俺の顔を伺うように聞いてきたが軽く受け流す。

うん、明日、明日だ、明日きっと何かが変わる。俺はそんな予感を感じながら静かに雪のベッドに身を預けた。



朝、太陽が久しぶりに雲の間から覗いたそんな日に俺たちは計画を実行する。天候は最高、大丈夫きっとできる。

「んじゃあお前らの足枷外すぞ」

そうこの瞬間だ主人が壁に設置された足枷の鍵を外すその瞬間、そこを狙う。鍵は順番に外されていく、一番から始まり三番まで外された時、俺は口を開く。

「主人様、誠に申し訳ないのですがたった今大きい方の便がしたくなってしまって·····」

「あ?てめぇふざけんなよ!ああぁん?こら!死ねよ!ほら死ねよ!なんで俺の許可無く喋ったんだ!便なんて俺が起きる前に済ませとけって言ったよなぁァァァ!なぁァァァ!」

この商人は独占欲が強い、俺がこんな生意気なことを言えば俺を殴りつけたり蹴ったりすることで頭がいっぱいになるはずだ。そしてその予想は当たった。鈍い痛みが俺の頬、腹、あばら、体全体にいきわたる。俺がこんなに痛い思いしてるんだ、だから後は頼むぞお前ら。

(任された)

一番は三人の中で一番頭がいい。それは物理という学問を少し理解しているくらいに、そしてその一番の知識の一つであるてこの原理、これを利用する。

屋敷の近くにあった大岩の上に分厚い鉄の板が乗っている場所がある。屋敷の近くに鉄の板が傾いている方に一番が座り、三番が鉄の板の近くにあった生垣の階段を重石をなんとか引きずりながら上り、生垣の上から鉄の板を見下ろす位置に立つ。そして三番はそのまま飛び降りた。

三番の体重と重石、そして落下した時のエネルギーはてこの原理によって全て一番に伝わった。板は折れるのでは無いかと思うほどしなり、そして一番を屋敷の二階まではじき飛ばした。成功だ、今まで自由に動けなかったためイメージトレーニングでしか出来ていなかったが、なんとか紙一重で一番が壁にぶつからずに済んだ。

ガラス張りの窓を割られた激しい音がした。そのあまりのうるささにさしもの商人も振り返る。

だがそんなものは想定内

「貴様らっ!」

「ははっ、遅いぞこのデブ」

二階の窓を割ったすぐその先には管理室がある、そしてその管理室の扉は木造、重石をぶち当てれば壊すことが出来る、管理室のどこに鍵が置いてあるのかも地図に書いてあった、計算済みだ。

「三番!受け取れ!」

手枷と重石を外した一番は軽快な足取りで窓の外に乗り出し下にいる三番に向かって鍵を投げる。

「じゃあなクソデブ野郎」

重石と手枷を外した三番は俊敏に動き目の前に迫っていた商人の手をかいくぐる。重石などなければ太った大人が俊敏に動く子供を捕まえることなどできない。さらに言えば三番は三人の中で一番身体能力が高い。商人が目を離すといつの間にか三番は二番の所まで走っていた。


「二番!逃げよう!」

「あぁ!」

二番は三番に渡された鍵で手枷と重石を外す。そして走り出す。それを見た一番もまた廊下の上を全力で走る。

(よし大丈夫、ここまでは計画通り、あとは裏口で一番と合流出来れば·····ん?)

そこで二番はふと後ろの承認を見て、違和感を覚えた。

(笑ってる?)

商人の気持ち悪いその笑みに嫌な予感を感じたが、だがそんなものはきっと気のせいだと二番は頭を振ってその考えを捨てた。



「はぁ、はぁ、はぁ!」

「ほらほら二番遅いよー」

くっそ、まともな食事をしてなかったからすぐにばてそうになる。というかこいつすごいな!なんでまだバテて無いんだよ。

「おーい早くしろー」

「クソッタレ」

ようやく裏口への扉が見えてきた。扉の前で一番が手を振っている。

あぁようやくだ、ようやくこの暮らしとも·····

「え」

裏口の扉のドアノブに手をかけ開けると目の前には信じられない光景が広がっていた。

「がっはっはっはっ!見ろあの顔、絶望しておるぞ!」「バカねぇ、脱走できると信じていたのかしら?」「あっはっはっ!愉快愉快」

「は?なんで、なんで、裏庭への扉のはずじゃ·····え?」

そこに広がっていたのは裏庭などではなく小さい闘技場のような場所、丸い決闘場を中心として観客席が囲っている。そしてその観客席から多くの人間が俺たちを見下ろし、嘲笑っている。あまりにも異様な光景に思考が止まった。

「お前らは騙されたんだよ」

すると俺たちの正面にある階段のてっぺんに見えたのは俺たちの主人だった男、男は笑っていた。ふくよかな腹を存分に揺らし、俺たちを嘲笑っていた。

「バカだよなぁ、あんな便利な地図を俺が落とすと思うか?大事な管理室の扉を木造なんかにすると思うか?俺から逃げ切ったと思って安心したか?ざぁーんねんでした、全部俺が用意したイベントでしたァー」

商人はベロを突き出してヨダレを撒き散らす。え、あ、え?は?どうゆうこと、だ?

「逃げよう、まだ間に合う正門から逃げるんだ!」

三番に手を掴まれるが俺の体は驚愕で固まってしまって動かない。

「二番!動いて!」

「あぁちなみに逃げることはできないぞ、俺が飼っている鳥がいるからな」

ドンッという凄まじい衝撃音が俺たちの後ろから聞こえたと同時に背筋を悪寒が走る。嫌な感じを背中に受けながらも恐る恐る振り返る。

そして言葉を失った。

後ろには本来あったであろう大きな大きな翼が失われた俺の背丈の十倍はあるであろう大きな白い鳥がこちらを見ていた。その鳥の翼を失ってもなお堂々としたその立ち振る舞いに目を奪われる。

「二番逃げよう!」

ごめん三番、今は動かないんだ。ダメなんだ。怖くて足が動かないんだ。

「逃がすと思うか?」

「え?」

喋った?鳥が?

あまりにおどろおどろしくて身震いするような低い声に体が一瞬強ばってしまった。それが原因だった。

一瞬だ、本当に瞬きする間もなく一瞬でバクっとした生々しい音と共に隣で手を握っていた筈の一番の体が軽くなった。一番の手の感触はある。きっと、きっと隣を見れば一番がいるはず、そうだよ一番が死ぬはずなんて·····息を整え生唾を飲み込みゆっくりと隣にいるはずであろう一番の方を見る。

「あ、あぁ、あぁぁ」

そこに一番はいなかった。あったのは人の形をギリギリ保っているほどボロボロに傷ついた下半身だけ、腸が剥き出しになり飛び出ている。少し経つとその下半身は力なく倒れた。グチャっとした生々しい音に思わず目を瞑る。

「一番が、一番が·····」

顔をうつむけ、一番の下半身から流れる血だけをみて呆然とする。突然非情に突きつけられたその現実を受け入れられなかった。

怖い怖い怖い怖い怖い、死ぬのが怖い。

まだ手を繋いでいる三番もきっと同じ·····

「二番!ダメだ、下を向いちゃダメなんだ、一番は死んだ、その事実は変わらないけど私たちは生きてる、だったら生きなくちゃ!」

「三番·····」

三番は泣いている、強がりの涙だと見てすぐ分かった。唇を血が出るほど噛み締めていたから。

あぁお前はいつもそうやって俺たちを前に向かせてくれるよな。あの時、初めて会った筈の俺に話しかけてくれたのは雪合戦に誘ってくれたのは絶望し下を向いていた俺たちに前を向かせるためだろ、”まだ絶望する時間じゃない”ってそう思わせてくれた。そんなお前を俺はどこかで尊敬していたのかもな·····あぁそうだ、まだ諦める時間じゃない。

「前を向いて全力で生き残るぞ」

「うん!」

三番は俺の言葉に深く頷いた。



「おい一人殺したぞさっさと飯をよこせ」

「あ、あぁ」

ん、なんだ?さっきから攻撃してこないと思ったら、目の前の鳥は何かを待っている。その視線を追っていくとたどり着いたのはあの商人、あいつは手に抱えた木箱を木箱ごと鳥に向かって投げつけた。

「・・・・・・遅いぞノロマが」

その木箱を投げるのが少し遅かったのか鳥は不機嫌なように見えた。

そしてその鳥は投げられた木箱を木箱ごと噛み砕いた。木箱を破裂させた瞬間、鳥の横の口から豚肉のようなものがこぼれ落ちる。

あの木箱の中身は豚肉だったのか。

「二番聞いて、二番は私の合図で右に飛んで、私は左に飛ぶ、そうすればリスクは半分になる、逃げれる確率が高くなる」

「お前がまともなことを言うとはな、だがそれでいいのか?お前が死ぬかもしれないんだぞ」

「それは二番もでしょ?」

「はっそれもそうだな」

「えっ!に、二番?」

ぎゅっと三番の手を強く握る。大丈夫、暖かい。三番の顔を見ると少し赤に染まっているように見えた。

「なんでもない、願掛けみたいのものだ」

「そ、そう、ならいいんだけど·····」

前を向き直す。すると観客席側からガヤのようなものが聞こえてきた。

「おい!早く殺せ!」「もっと殺せ!」「殺せ!殺せ!殺せ!」「殺せ!殺せ!」「血を見せろ!見せてみろ!」

あいつらの怒号は俺たちへの直接的な暴言だった。

手を繋いだのは願掛けなんかじゃない、怖いからだ。決心がついたとしてもこの感情が消えるわけが無いんだ。

あぁダメだ、手が震えてくる。三番にこの動揺を伝えちゃダメなのに、止めようと頑張ってもどうしても震えてしまう。早く離さなきゃ·····

「··········、二番こっち向いて」

「えっ、うっ」

その言葉と共に俺は頭を鷲掴みにされ半ば強引に三番に顔を向けさせられると三番は俺の額に自分の額をコツンと優しく当ててきた。

「大丈夫だよ」

三番は優しく笑ってくれた。ほの暖かい手のひらが俺の頭を、いや全身を暖めてくれたような気がした。

「ありがとうな三番、もう大丈夫だ」

恐怖心はもう取れた。あとは天に祈るのみだ。

今度こそちゃんと白く強大な鳥の姿を瞳に入れる。

「ねぇ二番、私はもしかしたらこの瞬間のために生きてきたのかも·····」

「え?」

「ううん、なんでもない」

ボソッと言った三番の言葉は最後まで聞くことは出来なかった。

「うるさい害虫共だ、全くあんなデブの言うことを信じるんじゃなかった、こんな所に自由が転がっているはずないだろうが·····」

悪態をつくようにつぶやくその鳥は明らかに主人に敵対しているようであった。

「すまぬな少年らよ、我の自由のために死んでくれ」

「嫌だね、私は絶対に生きてやる」

「ふむまぁいい、では死ぬといい」

来た!俺は足に力をめいいっぱいに入れて思い切り右へと飛んだ。

だが俺には運が無かったのだろう。目の前の白い翼を無くした鳥は大きな口を開け俺の方へと飛んできていた。口内の上の歯と下の歯を繋ぐ唾液まで鮮明に見える。

あぁ俺、死ぬのかな·····刹那の瞬間であるはずなのに時はゆっくりと過ぎていくように感じた。だからと言って体は動かず鳥と顔を合わせ続けているだけなのだが·····

けど不思議と怖くなかった。死ぬのは怖い、もうちょっと生きていたいとは強く思うけどそれ以上に三番には生き残ってて欲しかったから、だからこれで終わっても·····。

「え?」

そう考えていた時、俺の肩を誰かが後ろから押した。

分かっていたその誰かが、この状況でそんなことできる人間など一人しかいないということなど分かっていた。けど信じたくなかった·····

「二番、今までありがとう」

刹那の瞬間、三番は頬を緩めながらそう言った気がした。いや言った、きっと言っていたはずだ·····そして俺に向かって何か紙のようなものを投げ出していた。

「さんばっ!」

俺が言葉を言おうとした次の瞬間、目の前をデカく白い物体が通り過ぎた。

気づくとそこには背骨が飛び出た下半身だけが残されていた。元々腹があったであろう場所からはぴゅーっと血が吹き出している。

その後力なくその下半身は前に倒れてしまった。


あぁなんで、どうして、どうして俺だけが残ってしまった。生き残りたいという願いが強かったのは俺じゃない三番だったはずだ。なのにどうして·····

「なんでだよ、三番っ!」

声を荒らげて地面に両の拳を叩きつける。側面から血が吹き出すが気にしない。気にしてなんかいられない。

分からない、なんで三番が俺を助けたのか、なんで俺とは反対方向に避けなかったのか、俺には何一つ分からない。

ただ一つだけ確かなのは三番は死んでしまったということだけだ。

「憐れな少女よな、奴隷として生まれ、そして死ぬなど·····」

「憐れだと思うのなら殺さなければ良かった、殺したのはお前だ、同情なんてするなその責任から逃れようとするな·····」

俺は無性に腹が立っている。今すぐにでも目の前の羽をなくしたこの鳥をなぶり殺しにしてやりたいくらいには煮えたぎっている。

「ギャハハっ!死んだ死んだぞ!」「無様に上半身が吹き飛びやがった!」「いいわぁすごくいいショーね」

観客席に座って安心しながら俺たちを見ているあいつらは何がそんなに面白いのだろうか?死んだんだ、三番が·····それのどこが!

きっ!と目を細め観客席を睨みつける。

「あははっ!小動物がこちらを見ておる!」「憐れよ、実に憐れよ」

あいつらは微動だにしなかった。それもそうだろうな俺は奴隷、だから·····けどそんなんで終わらせない、奴隷でも少しはやるんだぞってことを見せつけてやる。そのために目の前の鳥をどうにかしなくちゃいけないな。

「ふむ、それもそうだ同情はやめよう、それは死んでしまったあの少女に失礼というものだ」

「··········」

あぁ不思議と落ち着いている。心はマグマのように燃えているのに頭は銀世界のように冷静だ。目の前の鳥をどうやったら殺せるのか全力で考え続ける。ごめん三番、あの時お前が俺を助けてくれた時俺が走り続けてれば俺は今頃逃げ出すことができたかもしれない。けどこいつを殺すまでは、お前の仇をとるまでは俺の気がすまない。

「まぁ良い、おい、早く餌をよこせ」

「あ、あぁ」

命令されるがままに上の主人はもう一度木箱を投げた。

その木箱は見事なまでに綺麗な放物線を描き、鳥に向かって落ちていく。刹那、俺は木箱の端についている血を見た。なぜ見えたのかは分からないが、驚くほど鮮明に明確にそのほんの少しの血の情報だけが俺の脳に流れ込んできた。そしてその木箱を鳥は丸呑みした。

そして時は止まった。

これは比喩でもなんでもなく確実に止まっていた。飛び散る小石もホコリも紛うことなく微動だにせずに止まっていた。

「は?」

目の前の現状が受け入れられずに鳥を殺す方法を考えるのを止めた。

「仮契約か、あの木箱に血がついていたということだろうな」

「お前·····」

だがそんな止まった空間の中で一つだけ動いている鳥がいた。その鳥は白くきめ細やかな白い毛を小刻みに揺らし、少し愉快そうに笑う。

「はっはっはっ、そうか、これは運命とでもいうものなのだろうな、おい少年よ我と契約を結ぶがいい」

「あ?」

こいつは何を言って·····

「時間が無い、説明は契約後にしよう、さぁ選べここで死ぬか我と契約して生きるのかどちらかを」

「ふざっけんな、お前なんか今ここで俺がっ!」

「お前に何ができる?ん?」

「くっ、ぅ」

鳥の鉤爪が俺の腕に食い込む。締め付けられるような痛みが走る。鳥の全体重が俺の体にかかる。鋭い目が俺を真正面から貫く。

「動けっ」

「動けないだろう?お前には最早選択の余地はないぞ」

なんなんだ、なんでこんなっ、理不尽な·····嫌だ、嫌だ、まだあいつの仇もとってないのに。今痛感した、俺は弱いと、俺は奴隷だと·····

「·····どうだ?我と契約するか?」

「する以外に選択肢ないだろ」

「ふっそれもそうだな」

「する、死ぬくらいなら契約とやらをしてやるよ、そんでもっていつか絶対にお前を殺す!」

生きてれば、生きてさえいればこいつを殺せる。その日まで我慢しててくれ三番。

「なら我の血を飲めっていったぁぁぁぁ!」

鳥が差し出してきた足を有無を言わさず噛みちぎる。足から吹き出した血はだらっと地面に落ちる。

「貴様、よくもやってくれたな、だがこれで契約成立だ、お前は我と一緒に我の翼を集め、そして龍を探すのを手伝い、我はお前のために力を貸そう、ここに契約はかわされた、よろしく頼むぞ」

「いつか絶対に殺すからな」

「おー怖いのぉ、そんな顔をするんじゃないぞ、シワが増えるからな、ふっ、だがこれで時は動き出す」

鳥の言葉通り止まっていた時は突然なんの前触れもなく動き出した。それと同時に観客の歓声が耳障りになるほど聞こえてきた。あぁもうイラついてきたな。

「なぁ、早速で悪いが力を貸せ」

「ん?なんだ?」

「あそこで笑ってるムカつくあいつら全員殺してくれ」

「ふっ、はははははっ!そうだなあいつらはムカつくからな、いいだろう数十秒ほど待て」

鳥はそれだけ言い残して強靭な足の筋肉のみで空へと飛んだ。砂塵が俺の体全体を覆った。

鳥は縦横無尽に人を殺している、なんの遠慮もなく容赦なく首をはね飛ばしている。そんな鳥から人は無様に逃げている。豚のような家畜のように逃げ惑っている無様だ。馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め!そのまま無様に死んでいけ!

「ははっ」

ダメだ、乾いた笑いしか出てくれない、大笑いしたいのに、できない。

「これは」さっき三番が俺に渡してきたであろう紙切れに気付きそして広げる。

「あ、あぁ、あぁぁぁ」

言葉が出なかった、いや出せなかった。吐き出した息を吸い込むことが出来ない。力なくその場にへたり込む。


”大好きだよ”


その紙にはそれだけ書かれていた。それは震えたとても字で字を書き慣れていないように思えた。けど何回も何回も消しては書いている所を見るとその必死さが伝わってきた、何回も考えてくれたということを強く感じる、嬉しい。凄く嬉しいだけど俺はお前に何もしてない、何もしてない俺がお前に好かれる資格なんて·····

あぁくそダメだ三番との思い出が溢れて来るせいで涙が止まらない、この紙を濡らしたら文字が見えなくなるだろ、止まれよ、止まれ

「止まれって!」

「あ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

自分に対して声を荒らげる。紙がくしゃくしゃにならないように大切に抱き抱えながら大粒の涙を地面に垂らして泣いた。腕の皮膚に爪が食い込んで痛い、寒くて寒くて震えが止まらない、耳が取れそうだ、けどそんな痛みよりも三番がいなくなったという事実が何よりも辛い。それから俺は泣いて泣いて、泣き続けた。それでも涙は止まることなく流れ続けた

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十二支ん @rereretyutyuchiko

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