第57話



 血と脂と汚物が渾然一体こんぜんいったいとなった悪臭が充満している。

 六脚の椅子に座する者達は、誰もが沈黙を貫き微動だにしない。

 ただ一人を除いて。


「……これでいいのよ」


 悪臭漂う会場における唯一の生存者、恵流。

 彼女は観念したかのように項垂うなだれているも、その口角はあやしく吊り上がっていた。

 それもそのはず。全て、彼女の計算通りに進んだのだから。


 デスゲーム系の創作物に触れてきた経験上、この催しの勝利条件は最後の一人になることだ、というのは序盤における推測だった。

 しかし、最初に違和感を覚えたのは、死者でも“罪を悔い改めし者”とカウントすると判明した時だ。老い先短い身で生に執着する醜態しゅうたいを晒した織兵衛。なのに、彼の死体を座らせると名前が消えた。おかげで殺し合いが勃発、死体量産のスプラッタムービーだ。最初のルールから完全に脱線していた。

 どうにも解せない。

 そこで新たなヒントになったのが、“あなたの隣にいる、罪を悔い改めぬ者達”という書籍だ。恵流が真っ先に発見して、都合が悪いので即刻捨てた。そして、春明が掘り起こしてしまった。参加者一同を糾弾する暴露本である。

 その中身は充実の一言。七名全員の過去と罪状がこと細かに記されていた。興味本位程度では辿り着けないプライベートな秘密までびっしりと。端的に言えば異常、ストーカーばりの執念だ。

 ちなみに、安路が起こした凄惨せいさんな事件についても記載されていたが、彼を利用するためえて触れずにいた。記憶喪失なのか知らないが、漆原家顔負けの「身に覚えがない」の一点張り。その迫真ぶりは演技に見えなかった。となると、下手に問い詰めて思い出されては厄介だ。それに、こちらも知られたくない過去が山積みである。彼が本を拾おうとした時は肝が冷えた。

 ともかく、その本こそ、主催者の狙いに気付くきっかけだった。

 異常な執念で罪人を糾弾する連中が主催したゲーム。クリア条件にわざわざ“罪を悔い改めし者”と表示するのだから、それが最重要項目と考えるのが自然な流れである。

 では、そんな主催者達が、他人を踏み台に生き残った奴を勝者と認めるだろうか。

 答えは高確率でノー。逆鱗げきりんに触れて殺される可能性もある。

 むしろ、試しているのだろう。

 参加者達がどんな選択をするのか、その決断を。


 “罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”


 この文章を読んで、自己犠牲の精神で悔い改める側となり、自ら椅子に座るか否か。

 つまり、このゲームの真のクリア方法とは、最後の一人になることでも謎解きをすることでもなく、身を捧げる覚悟で椅子に座ること。一見自殺行為の方こそ、自分達に求められている姿なのだ。

 そのため、恵流は最後の空席を埋めて、門の先へと旅立つ安路を見送った。

 内心「自分の勝ちだ」とほくそ笑みながら、最後の犠牲を強いたのだ。


「……遅いわね」


 とはいえ、ずっと死体に囲まれていると、気が変になりそうだ。どこを向いても血のオンパレード。目を閉じても悪臭が鼻腔びくうを侵食し、嫌でも意識せざるを得ない。

 主催者側から全く音沙汰おとさたがない。

 安路が出て行って一時間以上は経過しただろう。正誤を確かめるすべはなく、歯痒はがゆさに身じろぎするしかない。待つしかない現状にやきもきしてしまう。

 不安に奥歯を噛みしめた、丁度ちょうどその時。

 中央のモニターにノイズが走る。七種類の生物マークと“朝多安路”の名前だけが映された画面は真っ暗に。代わりに映るのは不気味な仮面。点々だけの簡素な無表情がそこにあった。


『おめでとう、漆原恵流さん』


 低い声からして男だろう、仮面は朗らかにそう告げる。


『君は私達が望む選択をとってくれた』


 それは、恵流が心待ちにしていた言葉だった。

 デスゲームの真の勝者だと、主催者の一人だろう男が宣言してくれたのだ。

 どれほどこの瞬間を期待していただろう。張り詰めていた気持ちがどっとほぐれ、凝り固まった不安が霧散していく。

 やはり最後に生き残るのは自分。

 下賎げせんな者達の犠牲になるはずがないのだ。


『あなたは自らの行いを悔いて、己を罰して犠牲になる道を選んだ。実に素晴らしい崇高な判断です』

「ええ、私は本当に酷い罪を犯しました。これから一生償っていく所存です」


 勝利の歓喜に内心小躍りしながらも、恵流は油断も隙も見せない。心を入れ替えた真人間を演じ、変わらぬ本心を気取られぬよう、心にもない美辞麗句びじれいくを並べていく。


『私達はあなたの決意を称賛します。よくぞ自分の罪と向き合いました』

「光栄です、本当に光栄ですわ」


 相手が気に入る相づちや返答をし、解放される瞬間を今か今かと待ち望む。形式的な賛美は早々に切り上げてほしい。改心した演技は疲れるし、口が腐ってしまいそうだ。

 しかし、男はしゃべり続けているばかり。一向に拘束を解除してくれない。手動で外すしかないにしても、スタッフの一人もやってこないのだ。


「あ、あの、このベルトなんですけど」


 さすがにしびれを切らしてしまい、恵流はそれとなく、解放してほしいむねを催促する。


『もちろん、外さないよ』


 しかし、男の反応はたったそれだけ。

 あっさりした回答に理解が及ばず、口をぽっかり開けてしまう。

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