第56話
垂れる鼻血を
内なる声、もう一人の自分が言うことは
――何を迷っている?
声が、はっきりと聞こえた。
自身の内側より溢れていたはずのそれが、鼓膜を震わせたのだ。
――自分の正義を信じるんじゃないのか?
もう一人の自分が
信じる正義を貫きたい。だがそれは、彼らを殺すことと同義ではないか。
あくまでも自分はただの人間。他人の
――何を言っている? お前は神に選ばれたんだ。誰を裁き誰を生かすか、決める権利持っている。悪を断罪するためには殺害もやむなしだろう?
神に選ばれた?
裁きを執行する権利がある?
――これは神託だ。かつてお前が実行した、聖なる
それなら、保育園の園児を殺害したというのも、神のお告げ通りにやった結果なのか。誰からも理解されず犯罪者扱いされたようだが、あの事件も正義のために必要な行為だったというのか。
――その通りだ。現世に生きる者は表面上の出来事でしか判断せず、大局的に物事を見ず裁きを下す愚行ばかり。だからお前を通して、真の正義を実行しなくてはならないのだ。
ああ、そういうことか。全てが腑に落ちた。
内なる声の正体は、もう一人の自分なんかではなかったのだ。
これは正義を司る神のお告げ。
幻聴じゃない、身勝手な正しさでもない。
たった一人の、神に祝福された者による聖戦なのだ。
――さぁ、目の前で正義を
怪しい投薬で抑えられていた神の声が、じんわりと体中に染み渡っていく。医者達のせいで封印された神との繋がりが、デスゲームによって図らずも取り戻せたのだ。主催者達には感謝しなくては。無論、見逃しはしない。神のために正義の
――銃を手に取れ。悪人の
――今だ、撃ち殺せ!
映画の早撃ちガンマンよろしく拳銃を引き抜き――ぱんっ、と破裂音がした。
「うあっ!?」
右手が熱い。焼けるように痛む。
引き金を引いていないのに銃声がして、安路の手の甲が
痛みに顔を歪めて見上げると、男の手には煙たゆたう黒光りする筒があった。
今し方落とした物と同一の
「武器を持っているって、監視カメラで丸わかりでしたよ」
デスゲーム終盤、門が開いた直後のやり取り。恵流から拳銃を受け継いだことは筒抜けだったのだ。それもそうだろう。彼らはずっと監視していた。どこの誰が武器を持っているか把握していて当然だろう。反撃の手段はとうの昔に看破されていたのだ。
「なんで、銃を持っているんだ!?」
「武器は全部、私達が用意した物ですし。同志の中には銃の調達が容易な者もいるんですよ」
施設内に武器を隠した張本人達だ、自衛のために持っていてもおかしくない。
だが、それ以上に聞き捨てならない言葉がある。
調達が容易な者。犯罪行為に用いられる銃火器といえば、反社会的組織が筆頭だろう。しかし、ニューナンブM六○となると話は変わってくる。
「まさか、警察内部にもいるのか?」
国内産で警察官が使用する拳銃。現在は新しいモデルが普及し始めているが、未だに現役で活躍中。普段は警察官が携行しているが、勤務が終われば管理部署で保管される。恐らくそこには、普段使用されていない物もあるだろう。幾つかくすねてきたのではないだろうか。となると、男の言う同志は警察官の中に混じっている可能性が高い。
「同志は
だが、真相は想像以上だった。
狂った正義を振りかざす者はそこかしこにいる。安路が必死に戻ろうとしていた病院にも、自分が憎くて仕方ない異常者がいるというのだ。
武器調達の容易さ、会場建設の資金面、張り巡らされた同志の人脈。
連中が行使出来る力はあらゆる面で
これ以上は無駄な抵抗でしかない。たとえ言論で戦おうにも多勢に無勢。ならば今は服従の姿勢を見せて油断させ、反撃の手段を
「わかった。降参だから、銃を下ろしてほしい。それに出血も酷いんだ。早く治療を――」
「その必要はないですね」
それなのに、男は銃口を向けたまま。引き金をいつでも引けるよう、白い指が次なる活躍を待ち望んでいる。
「いや、だって、僕はデスゲームで勝ち残った。だから、外に出る権利があるはずじゃないか」
「散々他人の人権を踏みにじったくせに、何食わぬ顔で自分の権利を主張するとは。大変残念に思いますよ」
最初に提示されたルール通り、六人の罪人が椅子に座って最後の一人が決まった。確かに譲り合いではなかったが、彼らのルールに則ってゲームクリアの条件を達成したはずなのに。
「ま、待ってよ。僕はお前達が望んだ最後の一人だ、解放されるのが筋じゃないのか!? それとも、ルールを作った側がそれを破るのか!?」
「私達は一度たりとも“門を潜れば外に出してあげる”なんて言っていませんが?」
「……は?」
何だそれは。
デスゲームを開催しておいて、気に入らない結果だから
そう勘ぐって、はたと思い至る。
“六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”
参加者達が最初に目にした主催者からのルール提示。
誰もがこれを、六人を犠牲に一人だけが脱出出来る、と読み解いたが、“光を臨める”を解放と捉えること自体間違いだったのではないか。光とはすなわち、主催者連中が自身を美化しただけの表現。クリア条件だと勝手に解釈したのは、こちら側の手落ちである。
生き残るための正解は、むしろ椅子に座った方だ。
彼ら曰く、安路達に相応の罰がなかったが故に開催されたデスゲーム。自身の命を省みず、自己犠牲に走る者こそ生き残る価値があると判断するだろう。だから椅子の仕掛けがベルトだけだったのだ。
つまり、自ら座る意志を示した参加者こそ真の勝者。
安路は選択を間違えたのだ。
「では、そろそろ質疑応答の時間も終了ということで」
「か、考え直してよ。私刑なんて絶対おかしい、暴力じゃ何も解決しないはずだって」
「いいえ、おかしくありません。誰かが問題を起こさないと、見て見ぬ振りをする世の中。それならたとえ
「じゃあせめて、公平な場で裁きを。それならどんな罰だって受けるから、ここで銃殺されるのだけは嫌なんだ」
「公平とされた裁きが市民とかけ離れていますからね。二度も三度も任せる方が間違っているんですよ。ですので、私達の判断は変わりません」
「それなら言葉で、言論で、平和的に改善していくべきじゃないか! 手段が暴力は間違っている!」
「言ってきましたよ、それこそ数えるのが嫌になるほどね。それでも無関心、自分の利益最優先の汚い人間ばかりだった。既に通った道なんです。だから私達は立ち上がった。法が守ってくれないのなら、武力で善良な市民の平和を守るしかない、とね」
「何度駄目だったとしても、諦めずに挑戦し続けたらいい! 生きている限り希望は消えない、道はいつか開けるはずだ!」
「あなたがそれを言いますか……」
銃口が額から離れて、願いが通じたかと思ったところで、銃声と共に
「気が変わりました。たっぷりと、恐怖を味わいながら死んでもらいましょう」
「い、やだ、たす、助け、て」
患者衣がみるみるうちに血の赤で染まっていく。動脈を傷つけてしまったのだろう。壊れた蛇口のように噴き出して止まりそうにない。
「殺された子供達も、きっと助けを求めていたはずです。生まれたばかりなのにどうして、と。さぞ無念だったでしょう。あなたは“生きている限り希望は消えない”と
「だ、だか、ら、それは神のおつ、お告げだか、ら」
「どこぞの神様がやれと言ったので無罪。だからこの仕打ちは的外れと?」
また――ぱんっ、と拳銃が火を噴いた。回転しながら腹部を
「ぼ、僕は、神に、えら、選ばれた者、なのに」
「でしたら、その神様に助けを
呆れたように鼻で笑われて、もう一発腹部を撃ち抜かれる。もはや体を起こす余力はなくなり、
神のお告げはもう聞こえない。男の言うように、神託ばかりで肝心な時に助けてくれない神だったのか。それとも死にゆく自分を神は見放したというのだろうか。
段々と景色がマーブル模様を描いていき、男の声がやけに遠くなっていく。頭もぼんやりしてきて、痛くて苦しい以外の気持ちが湧いてこない。
どうしてこんな目に遭っているのだろう。
わからない、わからない、わからない。
闇に溶けていく意識の中で、安路はずっと自問自答を繰り返す。
「さようなら。おかげで良い実験結果が得られましたよ」
火薬の爆ぜる音がしただろうか。
その真偽を確かめる
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