第55話


「あなたの母親は、事件発生後すぐに行方をくらませました。親戚や交友関係を全て洗うも行き先は特定出来ず。自殺の線も浮上しましたが、今のところ形跡は一切見つからず。犯罪者に育てた責任を取ろうとしたのか、それともほとぼりが収まるまで逃げようとしたのか。その真意は測りかねますが」

「そ、そんなはずない。だってあの、真面目な母さんがいなくなるなんて」

「その真面目さこそ、全ての原因な気もしますがね」


 男は鼻で笑うとリモコンを操作し、モニターは一つの記事を映し出す。どこかのゴシップ誌だろうか。派手な見出しがあおるようにつづられている。


「この手のメディアはあまり信用出来ないのですが、資料として参考程度にはなるかと思いましてね」


 その記事は、事件の原因を母親に求め責め立てるものだった。どこから情報を仕入れたのか、“毎日勉強漬け!? 容疑者は遊びの時間すら与えられず”とか、“脅威のモンスターペアレント! 友人のゲーム機を無残に破壊”などと、私生活に関する内容が飛び交っている。


「学歴にコンプレックスがあった母親は、あなたに勉強ばかりさせていたようで、宿題に加えて独自の課題を山積みで与えていた。時間内に終わらないと罰として夕食なし、成績が少しでも落ちたら折檻せっかんが待ち受けている。息抜きも許さず、テレビの視聴は報道か教養の番組のみ。玩具おもちゃの類いは一切買い与えず、流行のゲームに至っては“学力低下の要因である悪しき道具”と吹き込む。それを不憫ふびんに思ったクラスメイトがゲーム機を貸してくれたのですが、隠れて遊んでいたところを見つけて母親は逆上。ゲーム機を叩き割り、ついでに友人宅へ乗り込み暴れて苦情の嵐。おかげで“関わらない方がいい”と知れ渡りクラスで孤立していった。妄想の発言や異常行動に走るのは、丁度この時期からだそうで。しきりに母親の言う“正しさ”を気にする様子だったそうですよ。ちなみにこの異常な教育方針、とある新興宗教の影響のようですが、こちらも病気同様禁忌タブーだったらしく、殆ど報道されなかったんですよね」

「じゃあ、母さんが原因だって言いたいのか?」

「全部がそうとは限りませんが、この異常さからして、一因になったのは確実でしょう。結局、バッシングを受ける前に行方不明になってしまい、母親本人がどう思っているかは知りませんが」


 明かされていく真実に、目の焦点が定まらない。呼吸が浅く乱れていく。

 病気も、仲間も、母親も。

 自分が本当だと信じてきたものは、全て頭の中で勝手に作り出した妄想の産物だと言うのか。都合良く記憶を改竄かいざんしてきただけなのか。

 頭が痛む。

 脳細胞があちこちで火花を散らし、経験してきた出来事の記録が入り乱れている。そのどれもが大事な思い出のはずなのに、ノイズがかかって鮮明に映し出せない。どれが本物でどれが偽物なのか、自身の記憶なのに真偽の判別がつかなかった。

 何一つ覚えていない。

 だが、事件の記事や報道はいくらでもある。

 言われてみると、子供達を刺した感触も蘇ってくる。

 彼の言う通り、自分は記憶喪失の殺人犯なのだろうか?


「も、もし仮に、ぼ、僕が本当に事件を起こしたとして、それは正義のためにやったことなんでしょ?」

「そうですよ。ただ実際のところ全て思い込み、自称神のお告げだそうで。襲われた子供達も保育園自体も、至って普通で何も非がなかったのですがね」

「神のお告げとか、そ、そんな幻聴聞いたことないし」

「でしょうね。担当医師の投薬治療で症状は治まっているようですし、関係も良好で“凶悪事件の犯人だなんて信じられないほど改善が見られた”と評されていますから」

「じゃあ――」

「だからといって、犠牲者や遺族の無念は消えないんですよ」


 男は言い訳を許さず、取り付く島もない。


「で、でも事件の原因は幻聴。病気で善悪の区別がつかなかったからじゃないか。思い込みで起きた不幸な出来事。確かに幼児を何人も殺すのはおかしいけど、それは全部病気のせいで――」

「病気だから、何をしてもいいということですか?」

「じ、実際に刑事責任は問えない。責任能力はないって判断されて措置入院になったんでしょ? だったらそれは許されたってことで、外野がとやかく口出しするのは――」

「そういう考えが、我々の理念を生み出したんですよっ!」


 だんっ、と男は床を思い切り踏みつける。

 ずっと朗々と話していたのに急転直下、突如烈火の如く憤った。


「あなた達は誰も彼もそうやって自己を正当化する! 病気だから女性だから子供だから弱者だから権力者の家系だから! そんな下らない理由で許されて、その陰で泣き寝入りするのはいつも善良な市民ばかり! どうして普通に生きているだけなのに、道を外れた者の煽りを受けなければならないのか! 間違っているのは正しくあろうとしない社会の方だ! なのに変えようとする者はいない。いや違う。いたとしても強大な圧力に踏み潰される一方なんだ! 故に私達は立ち上がった。真の正義を世に知らしめるために! これまでしいたげられた分、無辜むこの民こそ世界を変える権利があるのだから!」


 まるで選挙演説のように、自身の思想を伝播でんぱさせるように、男は正義感をがなり声でまくし立てる。

 言い切った後、わずかな静寂を挟み、割れんばかりの拍手が巻き起こった。スタンディングオベーション。能面顔の人々は立ち上がり、一心不乱に手を叩いている。

 異常だ。まるでカルト宗教。狂った正義を疑いなく振り回す者ばかりで埋め尽くされている。


「結局、お前達だって同じ穴のむじなじゃないか。事件を起こしたらしい当時の僕と同類。ありもしない正義を押し付けているだけだ!」


 常識が通じない空間に飲み込まれぬよう、安路は張りぼての正義に反論する。

 彼らのやっていることは、法に逆らう行為でしかない。いくら正義のためと喧伝けんでんしたところで、人権を無視した誘拐や殺人教唆きょうさなど、数々の犯罪を犯している。正しさは欠片もない。神の声に従い幼児を殺したらしい、当時の自分と何が違うと言うのだろうか。


「一緒にしないで下さい。そちらはありもしない幻聴、私達は思いを共有し合う同志なんですから」


 だが、矛盾点を指摘しても聞き入れようとしない。

 意見が真っ向から対立して、建設的な会話が成り立たないのだ。

 特定の思想に傾倒すると、自分こそ正しいと思い込み、他者の意見を全面的に拒否する。その典型的な例だ。


「結局お前達は、自分の意見が通らない世界が嫌で、単純にさ晴らしがしたいだけの、我儘わがままな集団なんだろ!?」


 追撃に叫ぶ。

 彼らの語る正義がいかに幼稚で世間とずれているか、糾弾する言葉を投げかける。


「……そう、ですね」


 その時、空気が変わった。

 白熱する論戦に相応ふさわしくない、不浄の気配が差し込んでくる。デスゲームの最中に何度も感じたそれは――殺気と表現するのが妥当だろう。


「あなたの言い分も、認めてあげますよ」

「ぐぶっ!?」


 ほほに衝撃が走り、視界に灯る光が総出で尾を引いた。

 次に見えたのはコンクリートの床。ひんやりとした平面に顔面から叩きつけられる。鼻の奥から生温かい液体がどろりとこぼれ出す。口の中に鉄の味が拡がった。

 殴られたのだ。

 男が暴力に訴えてきた。矛盾と本性を否定しきれず、苦し紛れに黙らせるつもりなのだ。

 やはり、彼らの正義とはこの程度のもの。善良と言いつつ最終的に暴力でしか解決出来ない。口先だけの異常者集団でしかないようだ。

 しかし、これは大問題。

 デスゲームの勝利も反故にして、殴り殺そうとしかねない。

 角突き合わせている場合ではないだろう。どうにか切り抜けて、別の抜け道を探すべきだ。出入り口は絶対にあるはず。希望はまだある。

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