第49話


「また、駄目なのか」


 だが、既に明日香は息をしていなかった。

 椅子に固定されたまま項垂うなだれており、膨れた唇から血をつぅと垂れ流している。胸元の刺し傷が致命傷だったのだろう。出血量からして心臓、あるいは動脈を傷つけてしまったらしい。腰を下ろす椅子まで赤黒く彩られている。どんなに急いだところで間に合う訳がなかったのだ。

 これで正真正銘二人だけ。生存者は安路と恵流だけになってしまった。


「くっ。もう、どうすればいいんだ……」


 癖で頭をこうとするが、肩の傷が痛むのでやめた。

 安路はコンクリートの壁にもたれかかると、そのままずるずる腰を下ろすとうつむいてしまう。


「体は大丈夫そう?」


 手負いの身を案じて、恵流がそっと覗き込んでくる。「平気だ」と強がろうとする気も起きず、安路は力なく一つ頷くだけ。

 無事ではない。心身共に限界間近だ。それに、投薬という明確なタイムリミットが、刻一刻と迫っている。かれこれこの場で六時間以上、拉致され運ばれる時間も含めたら半日以上だろうか。早く病院に戻らなくては。救助を悠長に待つ余裕はない。

 体力が残っているうちに、思いつく限りの脱出方法に挑戦したい。

 同じ思いだろう恵流は、


「このっ、このっ!」


 金属バットを打ち付けて、鉄色くろがねいろの門の破壊を試みている。

 金属同士がぶつかりきしむ耳障りな音が、狭い室内を反響する。しかし、門はびくともせず。女子高校生の腕力で壊せるのなら、とっくの昔に脱出出来ているはずである。


「はぁ、はぁ」


 肩で息する恵流。金属バットで繰り返し殴るも、何一つ成果は得られず。それでも彼女は諦めていない。


「安路はここで待ってて」


 ひたいより滴る汗をそでで拭うと、何かを決心したらしい、険しい表情を一層深くしてきびすを返す。ついていけず困惑する安路をそのままに、恵流は足早にショッピングモールへと消えていく。

 一発逆転の秘策でも思いついたのだろうか。

 完璧に閉ざされた空間。七人が何度も探索したのに、隙間一つ見つからなかった密室。

 手詰まりの現状を打破する方法なんて、主催者すら見逃したあり一穴いっけつでもあるというのか。


「……遅いな」


 恵流は中々帰ってこない。

 出ていってから一時間、それとも二時間以上か。時計がないので正確には不明だが、体感でも随分時が過ぎたとわかる。

 残りの参加者は自分達だけ。つまり、道中何者かに襲われる事態はあり得ない。トラップの類いもなかった。となると、参加者以外の人物が接触してきたのだろうか。現状、殺し合わぬ穏健派だけになりゲームは停滞。そのため主催者かその関係者が介入してきた、という可能性もあるだろう。

 だが、それなら何故ルール説明をまともにしなかったのか、という疑問が湧いてくる。織兵衛の事故死以降殺し合いに発展したから良いものの、モニターの文章や武器が見つかった程度で人は理性を失わないはず。

 デスゲームのはずなのに、その趣旨が今一つ掴めないのだ。意味深な文章を掲げただけで、後は参加者の解釈に丸投げ。それなのに都合が悪くなってから「ちゃんと殺し合って下さい」と言い直す。行き当たりばったり。運営する側として杜撰ずさん過ぎやしないか。

 介入という行為の危険性も気になるところである。拉致監禁されたおかげで、参加者は全員堪忍袋の緒が切れる寸前。主催者達に復讐ふくしゅうする場合もあり得るし、実際正義のために打ち倒したいと考えている。なのに、危険を冒してまで会いに来るだろうか。伝言があるならモニター越しで十分だろう。あるいは用済みになったので始末、動かないこまは処分という方針だろうか。だとしたら、真っ先に狙われるのは負傷した安路のはず。仮に恵流から襲われたとしても、騒ぎの一つも聞こえないとなると、主催者側からの介入という説には疑問が残る。

 などと、あれこれ思考を巡らせていると――「はぁ、はぁ」と、荒い息遣いがする。

 恵流が戻ってきたらしい。


「無事でよかった……」


 安堵し胸をで下ろす。彼女は健在、全て杞憂きゆうだった。

 しかし、やけに息苦しそうである。力を込めてから脱力、また力を込めて脱力。その繰り返しのような吐息が聞こえてくる。

 出迎えようとしたのだが、血が足りないせいか、立ち上がる気力が起きない。ずぼらなことに、出入り口へ首を向けるだけ。光差す四角へ視線を注ぐ。


「はぁはぁ……んっ、ふぅ、くぅっ」


 ゆっくりと、ゆっくりと。

 少し進んだら立ち止まり、息を整えてからまた前進している。

 戻ってきた彼女は何故か中腰、しかも後ろ向きだ。ずるずると、何か重い物体を引きずっている。どうやらそれを運んでいたため、帰りが遅くなったらしい。


「遅れて悪いわね、安路」


 恵流は搬入を続けている。運ぶのが重労働だったのか、顔には玉のような汗が浮いており、赤い色をしていた。

 どうして、赤い汗を垂らしているのだろう。河馬かばじゃあるまいし。人間の汗は透明のはずだ。

 不思議に感じて彼女の纏う制服へ視線を落とすと、そこにも赤い汗がべっとり。それどころか、通ってきた場所には見事なレッドカーペットが伸びている。


「恵流さん、君は何を……」


 視界に拡がる赤の正体に、ぞっと身の毛がよだつ。

 汗なんかじゃない。あれは全て、恵流が浴びた返り血だ。その証拠に、彼女が運んできたのは死体。頭部に穴の開いた春明の亡骸なきがらだ。しかも、その両手足はなくなっており、コンビーフのように毛羽立けばだった断面から、どす黒い血液が染み出している。四肢切断、俗に言う達磨だるま状態。恐らく女子一人でも運べるよう、余分な手足をぎ落として軽量化したのだ。


「だって、こうするしか、道はないでしょっ」


 ずるずると空席へ、織兵衛の向かいに位置する椅子の前に死体を置くと、息を切らせて恵流は言った。

 道、方法、死体を運んできた理由。

 散々惨劇をの当たりにしたのだ、逐一説明されなくてもわかるだろう。春明だった物を座らせて、“罪を悔い改めし者”としてカウントさせるのだ。それ以外の理由があるはずない。

 だとしても。

 普通の女の子が大男の体を――恐らく手斧で何度も斬りつけて――バラバラにして運んだなんて思いたくない。彼女の冷血な本性を知った今でも、眼前の恐ろしい光景を信じたくなかった。

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