第48話


「恵流さん、それは……」


 両肩に左のてのひら、刺し傷が痛む体にむちを打って立ち上がる。

 恵流は硝煙しょうえん漂わせる拳銃を握ったまま、生まれたての子鹿こじかのようにがくがく震えていた。


「ご、ごめんなさい。私、本屋でコレ、見つけてから、ずっと隠し持っていて……」


 歯の根が噛み合わずガチガチ鳴らしながらも、彼女は訥々とつとつと話す。

 予想通り、この拳銃も主催者が用意した物の一つらしい。懸命に脱出のヒントを探っている間、彼女は発見を報告せず武器をくすねていたのだ。


「だって、こんなの持っているってバレたら、う、奪われて酷い目に遭うかも、だったし、いざって時に役立つかなって思って。それに私、悪い子だから、自分で自分の身を守らなきゃって!」


 言い訳しながら段々感情が制御出来なくなったのか、その双眸そうぼうからせきを切ったように大粒の涙がこぼれていく。ひざからがくりと崩れ落ち、可愛らしい顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている。

 拳銃を隠し持っていたと知られたこと、過去に犯した非道な罪を暴かれたこと、そして自らの手で人をあやめてしまったこと。矢継ぎ早に押し寄せたショックで、幼い感情がない交ぜになってしまったのだろう。


「……っ」


 かける言葉が見つからない。慰めるべきか、それとも罪を糾弾するべきか。そのどちらも、今の安路には選べなかった。

 気まずそうに視線を落とすと、春明だった肉塊が目に飛び込んできた。端整な顔立ちに二つ穴が開けられており、裂けた入り口よりにごった血を撒き散らしている。トンネルは後頭部まで貫通しており、溢れる赤には桃色の柔らかい欠片が入り混じっていた。朧豆腐おぼろどうふのように崩れたそれは、恐らく脳味噌なのだろう。欠片一つ一つにうっすらと毛細血管が浮き出ていた。最期の瞬間は恐怖と苦痛に満ちていたのか、残る左の目はこぼれ落ちんばかりに見開かれている。

 まじまじ見ていると吐き気が込み上げくる。損傷した亡骸なきがらは汚い。デスゲームの場で今更だが、精神衛生上よろしくないだろう。

 生々しい物を視界に入れぬよう更に目を伏せると、足元に一冊の本が、うつ伏せになって転がっていた。

 題名は“あなたの隣にいる、罪を悔い改めぬ者達”。参加者七人の過去が記されている暴露本だ。この中のどこかに、安路の背負う罪も載っているはず。

 社会のお荷物でしかない事実、向き合わなくてはならない十字架。

 真摯に受け止めるためにも、主催者の言い分に目を通すべきだろう。そう決心して拾い上げようとしたのだが、直前でばっと持ち去られてしまう。


「見ないで……私の罪を、これ以上見ないで!」


 恵流だった。

 彼女は権力に物言わせて“いじめ”を指示し、最後は自殺に追い込んだ。しかしそれはあくまでも一部だけ。より詳細に克明に、所狭ところせましと書き連ねられているのだろう。これ以上知られたら心が持たないと判断したが故の防衛反応だ。

 取り返そうと手を伸ばしたが、やめた。

 これ以上の詮索は無用、お互い胸糞悪くなるだけだ。それに詳細を知ったところで何か変わる訳でもない。犯した罪は永遠に消えないし、なかったことにしてはいけないのだから。


「わかった、読まないよ」


 なのでその代わりに、


「でも、君のやったことは許されない。誰も裁かなかったとしても、それを良しとしてはいけないんだ。正義は絶対。ここを出たら、しかるべき方法で罪を償うと約束してほしい」


 語気を強くして、そう告げた。


「ええ、無事に出られたら、必ず……」


 彼女の返答は望み通りだったが、どうも歯切れが悪い。言い終わると口を真一文字に結び押し黙ってしまう。

 致し方のないことだ。

 残る参加者は安路と恵流の二人だけ。デスゲームは未だに終わる気配がない。脱出方法を探ろうにも、散りばめられた謎は全く解けていないのだ。

 生きて帰れる希望は、限りなくゼロに等しいだろう。


「痛っ!」


 ずきりと両肩が痛み、目眩めまいと共にひざをついてしまう。患者衣の肩部分は真っ赤、出血量から貧血なのは明らかだ。刺し傷はそれなりに深い。太い動脈が切れていないのは不幸中の幸いだが、放置すれば命に関わるのは確実。せめて止血しなくては。


「じっとしていて」


 恵流はしゃがみ込むと目配せする。何事かと体を強張らせていると、患者衣のすそを掴み、おもむろにナイフで引き裂き始める。更にもう一度刃を通し、細長いリボンが二本出来上がった。


「痛たたたっ!?」

「動かないでってば」


 両肩の傷口にきつくリボンを巻き付けて、包帯代わりに簡易的な止血をしてくれる。痛みは据え置きむしろ増した気もするが、少しでも出血を抑えるには仕方ない。


「ほら、手を出して。こっちにも巻くから」


 続けて左の掌を貫通する刺し傷だ。こちらにはレースをあしらった白いハンカチが巻きつけられる。恵流の私物らしい。全く躊躇ためらわず止血に用いている。純白に赤い染みが日の丸となって現れると、みるみる内に全体が真っ赤になっていく。


「あ、ありがとう、恵流さん。応急処置が出来るなんて凄いね」

「別に。これもデスゲームもので得た知識の、見様見真似みようみまねに過ぎないし」


 感謝されて恥ずかしくなったのか、恵流はぷいとそっぽを向いてしまう。悪人とわかってなお何故褒めてくれるのか、と戸惑っているのかもしれない。

 正直なところ、恵流の悪辣あくらつさを許せずにいる。罰をまともに受けずのうのうと生きていては正義に反するのだ。

 しかし、もし彼女がいなかったら、きっと安路は殺されていただろう。それ故に、義憤と謝恩が混在しているのが現状だ。

 ならば、気持ちをフラットに、受けた応急処置に対して、素直に喜びの意を示すのが妥当だろう。過去や未来ではなく、現在何をしてくれたか。余計なしがらみに囚われていては前に進めないのだから。


「あ、しまった」


 処置のおかげで、とても大事なことを思い出した。

 中央の部屋で、明日香が放置されたままだ。顔面は青紫色にれ上がり、指は数本切り落とされ、挙げ句の果てにナイフも刺されていた。

 まだ間に合うかもしれない、と希望を胸に、安路は傷だらけの体を引きずり中央の部屋へ急行した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る