第46話



「恵流さんが……嘘だ、そんなこと」


 淡々と語られる真実に、安路は愕然がくぜんとしてしまう。

 春明が読み聞かせてくれた一部分。恵流の犯した罪の記述からは、吐き気を催すような邪悪さがにじみ出ていた。

 とらの威を借るきつねならぬ親の威を借る娘。自身の地位を利用した傲慢ごうまんさもさることながら、罪の自覚すらない生粋きっすいの悪人。ろくに罰を受けていないのも外道さに拍車をかけている。


「現実見る大事ですよ。ワタシと明日香さんの記述全部真実です。ですから、彼女も同じ真実考える普通でしょう」


 主催者達がわざわざ印刷した告発本だ。犯した罪が詳細なのも合点がいく。

 ありのままの事実こそ最大の効果。下手に嘘を記述すれば齟齬そごが生じ、逆に参加者同士の結束を誘発しかねない。それに春明達の過去と一致する記述がある以上、本の内容全てが真実である可能性は極めて高い。

 わかっている、頭では理解出来ている。

 だが、心がそれを拒んでいるのだ。必死に守ろうとした恵流が、自分の忌み嫌う悪に染まりし卑しい権力者だなんて認めたくない。


「恵流さんも、どうぞ釈明するいいですよ」

「き、記憶にないわ」


 水を向けられた恵流だったが、ぷいと目を逸らす。その仕草だけで、全て本当なのだと物語っている。


「ノーコメントする、それ肯定と変わるないでしょう。政治家とても健忘症聞くますが、娘も似るするは日本の未来先行き不安ですね」

「うるさいわね、外国人の癖に! あんたには関係ない話でしょ。嫌ならさっさと国に帰りなさい!」

「まぁワタシ強制送還予定ですから、帰るするしかないですけど」


 春明は意にも介さず飄々ひょうひょうとした姿勢を崩さない。怒り狂う恵流を観察して楽しんでいるようにも見える。


「私が悪いみたいな書き方しているけどね、全部悪意ある世論誘導、怒り憎しみが湧くよう仕向けられた本なのよ。“いじめ”の主犯だとか自殺教唆きょうさなんて言うけど、そもそも抵抗しない方が悪いのよ。そのせいで加減がわからなくて歯止めが効かない訳だし。あの条件だって冗談のつもりだったのに、言われた通り自殺するなんて本人の責任でしょ。自分を殺せる勇気があるのなら、私と刺し違えるつもりで挑戦すれば良かったのに。ホント、命の無駄遣いでしかないわ!」


 冷静沈着で芯のある子だと信じていたのに。聞くに堪えぬ自己保身の言い訳ばかり。今では影も形もない別人にすり替わっている。

 心の奥底から「恵流は悪の権化」「救う価値のない命だ」と、どす黒い言葉がじわじわと湧き出てくる。深い場所に眠る誰かの声が、もう一人の自分が、「正義のために彼女を断罪しろ」とささやいてくる。

 確かに彼女の所業は徹頭徹尾許されない。周囲の大人達も揃って人間のくずだ。

 しかし、だからと言って、私刑で裁いてはいけない。それこそ守や春明と同類。殺し合いに手を貸してしまえば主催者達の思うつぼである。

 それに、彼女を殺したところで、一体何が残るのだろう。過去の罪は取り返しがつかないが、救えるはずの命を見捨てれば新たな罪が増えるだけ。「復讐ふくしゅうは何も生まない」という加害者擁護の言葉を肯定する気はないが、だからと言って、感情に任せて殺すのも無意味ではないだろうか。

 自分勝手な詭弁きべんかもしれない。これまでの努力をどぶに捨てたくないだけかもしれない。

 だが、たとえ見栄えの良い偽善に過ぎなくても、いかなる命でも救おうとすることこそ、真の正義だと思いたい。


「恵流さんが最低の人間だからって、殺していい理由にはならないはずですっ!」


 内より込み上げる悪意を飲み込んで、安路は割れんばかりの声で叫んだ。


「もうやめましょう、瀬部さん。これ以上、僕達が争ったところで意味がない。ただ血が流れるだけじゃないですか」


 構えたクロスボウはそのままに、改めて停戦を促そうとする。

 お互い憎しみを押し付け合っても、その先にあるのは誰かの死。仕掛け人だけが得をする、命を奪う無益な遊戯でしかないのだ。

 怒りや憎しみ。負の感情と決別し、気持ちを一つに脱出する。そして悪魔のような主催者達を打ち負かすのだ。それこそ本当の正義が成すべき道だと信じたい。


「とても聞こえる良いこと言うますね。でも、安路さんも人のこと、言えるないんじゃないですか?」


 しかし、春明は一切聞く耳を持とうとしない。


「これ見るとあなたの罪、わかるですよ」


 ぶんっ、と天井に向けて何かが投げられた。

 放物線を描くそれは、各々の罪がつづられた本。殺し合いを誘発させるための、趣味の悪い起爆剤。自分の犯した罪、迷惑ばかりの穀潰しの半生。それが詳細に掲載されているだろう告発文書。

 ほんの一瞬だが、安路の視線は本だけを捉えていた。すなわち、襲撃者たる春明から目を離したということ。

 急いで前方を確認すると、黒い光が高速回転して迫っていた。


「うわっ!?」


 咄嗟とっさにクロスボウを振り、飛来する物体を叩き落とす。からん、と心地良い金属音を奏でたそれは鎌だ。農作業用の道具が、草の代わりに首をり取ろうとしていたのだ。

 それは戦闘再開の合図。

 春明は手斧の刃をぎらつかせ、一気に肉薄してきた。

 無我夢中でクロスボウの引き金を引く。しかし初体験で上手に撃てるはずなく、急所を外すつもりが、矢は春明の頭部へ直進する。

 しまった、と全身の毛穴が開いた。

 手違いで人を殺し、怠惰以外の罪状が加わってしまう。

 思考が真っ暗闇になりかけたが杞憂きゆう。春明は軽々と矢を避ける。首を数十度傾けて、紙一重でやり過ごしたのだ。

 安堵あんどしたのも束の間。今度は自分の命が危険に晒される番だ。彼はもはや殺人鬼、その手に握られた刃が眼前で閃く。


「油断大敵言うですね」


 手斧が振り下ろされる。

 防ぐ手段はただ一つ、矢を失ったクロスボウだけ。

 無用の長物と化した銃身で斬撃を受け止める。がつり、と刃がボディに食い込むも、幸いへし折れず侵攻の手が止まる。げんが切れて武器として死んだも同然だが、防具として最低限の仕事をしてくれた。


「使うやり方違うですよ。物ボケする楽しいですか?」


 春明は右手に力を込めて、刃を更に押し進めようとする。


「ワタシ、まだあなた殺すたくない。死ぬない程度にぶつ切りして、ちょっと大人しいしてほしい。わかるますか?」

「わかりませんよ……!」


 クロスボウがみしみし悲鳴を上げている。寿命はあとわずか、いつ折れてもおかしくない。

 これを失えば抵抗手段はゼロ。後はされるがまま。春明になぶられて、用が済めば無残に殺されてしまうだろう。

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