第31話


 頭が痛い。

 二日酔いとは違う、外部の刺激がもたらす痛みだ。


「……う」


 まぶたを持ち上げると、ぼやけた視界に春明が立っている。心強いイケメンボディガードだ。どうやらまたも読書中らしい。とすると、ここは書店だろうか。しかし周囲に本棚らしき物はない。それどころか灰色一色で薄暗い。


「ここって、確か」


 視界が段々と鮮明になっていく。

 灰色だったのはコンクリート打ちっ放しの壁だ。心許ない小さな光が、冷たい室内をぼんやり照らす。周りにはぽつぽつと、錆びた椅子が備え付けられている。

 ショッピングモールの中央に位置する部屋だ。

 しかし、記憶にある景色と少し違う。椅子に座っている人が増えている。左隣の織兵衛は元からだが、更に一つ左隣には金髪の男、その正面には黒い長髪の女性がいた。守と玲美亜だ。


「え?」


 そこで、この奇妙な状況に気付いた。

 ここは、六人が椅子に座ることで門が開く、という最も重要な場所。そして今、自分が座っているのは、歪で冷え切った錆び色の椅子。腹部には金属製のベルトが巻きつき、椅子から抜け出せぬようがっちり固定されている。

 まさか。

 恐る恐るモニターに目を移すと、そこにあったはずの名前が更に三つ消えている。

 上からへびの“丹波玲美亜”、蜘蛛くもの“満茂守”、そして最下部に位置するさそりの“申出明日香”。

 自分の名前が、ない。

 椅子に座ったせいで“罪を悔い改めし者”としてカウントされてしまったのだ。


「目が覚めるですか、明日香さん」


 本を閉じると、春明が胡散臭うさんくさい貼りついた笑顔を見せる。


「ねぇ、守は倒した……んだよね?」

「ご覧の通りですよ。ホルモンミンチ一人前出来ました」


 春明が指さす先、明日香の二つ隣に座る死体は、解体途中の豚のような見た目だ。何度も斬られた腹は幾重いくえにも赤い線が引かれており、潰れた裂け目よりはみ出る内臓もズタズタ。破れたチューブ状の臓器から、血にまみれた人糞じんぷんが顔を出している。


「守の生命力、とてもゴキブリ近いでした。おかげで殺す時間かかり過ぎるましたよ。それにここまで運ぶ大変で。ずっと寝るしたままの明日香さんが凄いです」


 襲い来る守を逆に殺し返し、玲美亜と一緒に錆び色の椅子に座らせた。既にあった織兵衛を合わせて死体は三つ。それはいい。

 問題なのは、何故生きている自分まで椅子に縛られているか、である。


「どうしてあたしを座らせたのよ!?」

「それは、気絶しているとても丁度よかったので」

「理由になってないわよ! いいからベルトを外しなさい!」


 締まったベルトはびくともしない。継ぎ接ぎの椅子は頑丈で、多少きしむ程度で壊れそうになかった。


「諦めるいいですよ。神様にお祈りするしてみては?」

「ふざけないでっ! どうしてあたしがこんな目に遭わないといけないのよ!」

「罪を犯した、みんなそれが理由違いますか?」

「一緒にしないでよ、あたしは別に……」


 と言いかけて、口をつぐんでしまう。

 冤罪事件を引き起こした元凶という意味では、罪人と言えなくもない。


「明日香さんは、政治家殺す大金星だいきんぼし決めるしたそうですね」

「ええそうね、あたしは……――は?」


 生返事で肯定してから、身に覚えのない罪状にほうけてしまう。目を白黒させるしかない。

 何の話をしているのだ。

 それこそ濡れ衣ではないか。

 大体、人の過去を知ったような口調で、一体何様のつもりなのか。


「この本に全て書いてあるますよ。明日香さんが悪いしてきたいっぱいの罪が」


 ずい、と一冊の本を突き出される。その題名は“あなたの隣にいる、罪を悔い改めぬ者達”。表紙に目立った絵や写真のない、簡素極まる平凡な書籍だ。

 春明はページをめくり該当箇所を開くと、流暢りゅうちょうな日本語で音読を始める。片言だったのが嘘のように、聞き取りやすい話し方だった。


「――……こうして、哀れな罪なき高校生達は、門限を破った言い訳のためだけに、強姦魔という汚名を着せられてしまったのだ。

 しかし、申出明日香の暴走は止まらない。

 彼女は裁判後も援助交際を続けていた。ただし、これまでと違う点が一つ。相手男性の外見が気に入らないと「売春は犯罪だ」「勤務先に告げ口してやる」とおどし、金だけ巻き上げるようになったのだ。買い手側にも非があるため、多額のお小遣いがもらえる。社会的地位が高いほど、それはより顕著だった。

 しかし二○××年、七月十五日。事件は起きた。

 その日の援助交際相手は、頭の禿げ上がった中年の男性だった。無論、彼女の趣味ではない。今回も金だけ頂戴ちょうだいしようと企んだ。

 ラブホテルに到着すると、中年男性に対して入浴を促し、その隙に彼の荷物を物色した。財布の中身は勿論のこと、名刺や免許証など個人や勤め先を特定出来る物が欲しい。この場限りではなく、後々何度も強請ゆすたかり続ける魂胆こんたんである。

 だが、漁り始めてすぐ、中年男性がバスルームから出てきた。その理由は不明だが、とにかく二人は鉢合はちあわせしてしまった。

 盗みの現場を見られた申出明日香は、手近な灰皿で頭部を殴りつけ、一目散にラブホテルから逃走。当然ホテル従業員の通報で事件は発覚。逃げ出す姿が監視カメラに映っていたためすぐ逮捕。殴られた中年男性は病院に搬送されるも、数時間後に死亡が確認された。

 人を殴り倒したので暴行、そして殺人罪の容疑がかかるはず。しかし彼女に適用されたのは売春の罪のみ。しかも補導処分として矯正施設行きだけで済み、わずか一年で社会復帰したのだ。

 何故、申出明日香の罪が不問に処されたのか。その理由は、中年男性の社会的地位が大いに関係している。

 なんと、被害者は国会議員だったのだ。無類の女好きとして有名で、度々「若い娘と遊びたくなるのは男の本能」「未成年でも性的に成熟しているなら合法」などの失言をしており、実際未成年との売春に及んでいた。

 所属政党としては、この事実が表沙汰になれば党の汚点で選挙に影響するとして、事件を念入りに隠蔽いんぺい。警察に手を回して事件の概要を改竄かいざん、現場をラブホテルから路上、凶器を灰皿からバールのような物に変更した。更に下手人を申出明日香から近隣住民の独身男性とし、通り魔的犯行と書き換えてしまった。

 独身男性は無実を訴えるも、近所からは「不気味な人」扱いで四面楚歌しめんそか。挙げ句警察の苛烈かれつな取り調べ、という名の茶番の末、虚偽の自白を強要させられた。動機について「人生に絶望していた。殺せるなら誰でも良かった」と言わされた後、独身男性は不審な自殺を遂げる。そして犯人死亡で不起訴となり、事件は幕を下ろすこととなった。

 しくも彼女のせいで、新たなる冤罪事件が発生していたのだ……――

 らしいですよ」

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