第四章:CONFLICT

第30話



 明日香の家庭は規則に厳しかった。

 特に顕著なのが門限だ。小学生時代では午後五時、中学生時代では午後六時、高校生時代では午後八時。少しでも遅れると、長いお説教が待ち受けていた。

 そのせいか、小学校高学年頃から猛烈な第二次反抗期を迎えた。

 中学二年生になった明日香は援助交際、現代で言うパパ活を始めた。春を売る背徳感と足りない小遣いの足し、そして気持ち良いの三拍子揃った悪事である。


「ホント、男ってチョロいよね~。明日はもっと稼いじゃおっと♪」


 だが、予想外の事態が発生する。

 高校一年生の夏、隣町の男と一発いくらで遊んだ帰りのこと。利用していた電車が人身事故で急停車。運悪く車内で長時間の待機を余儀なくされる。再出発したものの、家に辿り着いたのは午後九時過ぎ。門限はとうの昔に越えていた。

 これではおしかり確定だ。

 電車が遅れたから、と言い訳も可能だが、学校から徒歩で直帰している設定である。何故電車に乗っていたという追求は免れず、援助交際が露呈すれば一巻の終わり。説教だけでは済まなくなる。

 生涯最大のピンチだ。少なくとも当時の明日香はそう思った。

 そこで起死回生の一手として打ったのが、


「ママ。あたし、クラスの男子に襲われたの……」


 強姦ごうかんのでっち上げだった。

 学校の帰り道で連れ去られ、近くの廃工場で代わる代わる犯された。そのせいで門限に間に合わなかった。犯人はクラスメイトの不良生徒数人。ろくに学校に通わない連中なので、濡れ衣を着せるのに躊躇ためらいはなかった。

 我ながら完璧な言い訳だ。このまま穏便に済ませたい。

 しかし、事態はあさっての方角へと突き進む。

 規律に厳格な明日香の母親が犯罪行為、しかも娘を汚した相手を見逃すはずもなく、警察に被害届を出してしまったのだ。

 大事にしてほしくない。明日香は「恥ずかしいから」「思い出したくない」と被害者を装い必死に止めるのだが、「泣き寝入りは駄目」「他の女性のためにも」と押しのけられてしまう。

 不良達はあっという間に逮捕された。

 事件は報道、そして裁判沙汰へ。

 こうなったらやけっぱちだ。明日香は嘘を貫き通すことを決意する。


「その時間、オレ達は他のダチと遊んでいたんだ。絶対にやってねーぞ!?」


 不良生徒達の反論は至極しごく真っ当。何故ならばっちりアリバイがあったからだ。

 明日香が襲われたと証言した時刻、彼らは他校の生徒と共に近所の大型遊戯施設にいた。友人達の証言もある。

 当初、明日香はその証言を「不良の言うことは信用出来ない」「口裏を合わせている」としたが、監視カメラの映像が証拠として提出されると一転、自分の証言には一部誤りがあったと訂正した。


「襲われたのは、本当は違う時間だったんです」


 強姦のショックで前後の記憶が曖昧あいまいで、襲われた時刻を誤認していた。本当は彼らが遊戯施設を後にした時間でした、と。不良生徒達のアリバイを知った上で、事件の根底たる最初の証言を覆したのだ。

 本来であればその場しのぎの弁解に過ぎない。被告にされた少年達や弁護士は勿論もちろん反論した。世間も「冤罪えんざいでは」と不審に思った。明日香自身も苦し紛れだと自覚していた。

 が、ここで運良く追い風が吹いた。

 当時担当していた裁判長は、明日香の後出しを全面的に受け入れたのだ。何故その判断に至ったのか、その理由は定かではない。裁判長が女性だったので肩入れしたとか、不良が嫌いで不利な状況に追い込んだとか。まことしやかにささやかれているものの、そのどれもが憶測の域を出ていない。

 ともかく、後出しジャンケンはおとがめなし。不良生徒達は懲役三年の実刑判決。無実である彼らは控訴するも敢えなく棄却。裁判は終結した。

 この成功体験こそ、明日香の認識が醜く歪んだ最大の要因である。

 女性なら矛盾した証言で男共を罪人に仕立て上げられる。すなわち、女性は男よりも優先されるべき、という思想が形作られたのだ。

 力尽くで男社会を築かれたせいで、女性は生まれながらにハンデを背負わされる。それは全て男の責任であり、平等に釣り合うよう改善し、優遇措置を取らなければならない。

 当初、その思想を心の内に留める程度だったが、歳を重ねて男に相手されなくなってからは鞍替くらがえ。愚痴ぐち混じりでSNSに投稿し布教するようになった。思いのほか負け組の女性層が食いつき、面白いほどに共感してくれた。明日香はこれまで十分にモテて、性を金稼ぎの道具に利用していたのに、である。

 無論、賛同者ばかりではなかった。


『弱い立場と装うのは卑怯だ』

『あなたの発言は女尊男卑です』

『平等と言いながら優遇を求めるのは矛盾している』


 男女問わず反対意見が押し寄せた。割合で言えば七割強が敵対心き出しの文言である。

 明日香はそれらに対し、


『あたしの意見に反する人は全員差別主義者ですよ?』


 とレッテルを貼って反論を封殺。残り三割弱の賛同者が、反対派を責め立ててくれるのが痛快だった。それでもしつこい相手には『性被害者を責める人間は生きる価値なし』『あなたのせいで心的外傷後ストレス障害PTSDになった』と人格否定と病名の虚偽申告で徹底的に対処。ついでに片っ端からブロック。

 おかげで周囲にたしなめる者はいなくなり、イエスマンだけで構成された、閉じた界隈かいわいの先導者となったのだ。

 明日香の自称“運の悪い人生”は怒濤どとうの快進撃。

 しかし、その裏で多くの無辜むこの民が涙した。

 その一。冤罪の疑いを残す――事実濡れ衣である――事件を引き起こし、逆に本当の被害者まで虚偽であると色眼鏡で見られる風潮を築いたこと。

 その二。性被害の温床であるとして、肌露出の多い女性や男と接触の多い職業を執拗しつように責め立て、幾人いくにんもの女性の権利をないがしろにしたこと。

 その三。論理が破綻はたんする度に病名を安売りしたせいで、実際に苦しむ患者の名誉を傷つけ、「病気は甘え」という偏見を助長したこと。

 その四。「女性のため」という大義名分をにしき御旗みはた傍若無人ぼうじゃくぶじんな権利の主張をした結果、男女間のみぞが深まり不寛容な分断を引き起こしたこと。

 そのどれもが、明日香の自分勝手な行いのせいで起きた二次被害、三次被害。

 しかし、本人は何処どこ吹く風と見て見ぬ振り。

 自分さえ良ければいい。富と名声さえ手に入れば、誰が苦しもうと気に留めない。

 目障りな物は端微塵ぱみじんに滅ぼしてやればいいのだ。 


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