第28話



 ようやく角まで追い詰めて、春明目掛けて振り下ろした金属バット。

 はえ蜘蛛くもの勝負。蠅取り蜘蛛の名の如く、自分の勝利が決定する瞬間。

 金属バットが捉えたのは明日香の方だ。額から血の花びらを散らせてくずおれていく。

 絶好のチャンスで、何故明日香を殴ってしまったのか。

 その答えは至って単純、そして理解し難い理由。

 春明が肉の盾として利用したからである。


「て、てめー、何やってンだよ……」

「見ての通りわかるしませんでしたか?」

「そいつは仲間じゃなかったのかって聞いてンだよ!」

「そう見えるでしたなら、ワタシの狙いうまくいったですね」


 女を身代わりにしたのに悪びれる様子は微塵みじんもなく。春明はくっくと含み笑いを漏らしている。

 共に行動していたので仲間と思っていたが、全部自分の勘違いだったようだ。流石さすが前科者、他者を利用する狡猾こうかつな男だったらしい。

 実際、意表を突かれてしまった。姫を守る騎士が、突然姫を盾にすると誰が予想出来る。きっと明日香自身も想定外、何故殴られたかわからなかっただろう。


「でもいいのかよ。怒るンじゃねーのか、そいつ?」

「ああ、そうですね。ワタシ雇うの体売る条件言うしてましたから」


 見た目通り、明日香は淫売いんばいの類いだったのか。と、納得する一方。それなら、男はケダモノとわめいたのは何だったのか。と、反論もしたくなる。自己矛盾の塊である。

 だが、明日香の芯のなさも吹き飛ぶような、衝撃の告白が飛び出す。


「それにワタシ、女嫌いですからね」

「は?」

「美しい男の体は触るたいですけど」


 片言の日本語で要領を得ないが、要するに女が苦手で男が好き。故に明日香を裏切ったそうだ。淫売の身売りに気分を害するのも頷ける。


「ってことはアレか、最近話題のLGBTとか言うやつか」


 同性愛や肉体と精神の不一致など、性にまつわるものを包括ほうかつした概念だ。アルファベットが並び小難しく、守はベーコンレタストマトバーガーの一種かと誤解していたくらいだ。

 春明は男性だが、性的に好きな対象も男ということで良いのだろうか。知識の浅い守では、その程度の理解が限界だった。

 そして別の意味で身の危険が迫っていると感づく。

 守は己の尻を庇うように一歩後ずさるのだが、


「あなたの尻穴ワタシ全然興味ないですね。安心するいいですよ」


 そちらの心配はないらしい。

 が、依然いぜんとして殺し合う関係に変わりない。

 構えた金属バットはそのまま、いつでも振り回せるよう臨戦態勢を維持する。


「でも、はもぎ取るさせてもらいます」


 春明はバタフライナイフを華麗に回してグリップを閉じると、囚人服の胸ポケットへ。代わりに明日香の握る手斧を奪い取る。

 右手に手斧、左手には鎌。二刀流の殺意が先程よりも数段増している。


「取られンのはてめーの方だっ!」


 先手必勝。二刀流の構えが整う前に攻め切る。

 守は剣道の“面”を打ち込むように金属バットを振り下ろす――も、春明は不安定な体勢から余裕の回避。打撃はリノリウムの床を叩くだけだ。

 早く体勢を立て直さないと。

 しかし、それより早く手斧がうなる。曲線を描く刃部分で金属バットをすくい上げると、ゴルフのショットよろしく打ち上げてしまう。

 守の手を離れた金属バットは空中で高速回転。残像で円形に見えるそれは、天井のシャンデリアを模した蛍光灯へと飛翔していく。


「なっ!?」


 ――ガシャンッ。

 すっぽ抜けた金属バットが蛍光灯を粉微塵こなみじんに砕く。

 激突の直後、硝子ガラスの雨がざっと降り注ぐ。一粒一粒が小さな刃だ。触れてはいけない。しかし、拡散して降るそれは避けられそうにない。せめて急所の目だけは保護しないと。

 守は咄嗟とっさに両手で顔面を覆って――しまった、と気付いた。

 殺し合いの最中に自ら視界を塞ぐとはなんたる愚策。ただの自殺行為だ。

 慌てて両手を顔から離し、敵を見据えようとするも時既に遅し。眼前には春明、一気に肉薄して鎌の横一文字斬り。守のビール腹にざっくり刃が食い込み、脂肪をき分けてから抜けていく。更に追い打ちの回し蹴り。春明の土足が切れ込みを踏みつけて、歪んだ傷口より血と脂肪の赤と黄色が飛び散った。

 カランッ。春明の脇に金属バットが落ちて跳ねた。

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