第26話



 “書天堂”の正反対、フードコート方面より雄叫おたけびが木霊こだます。

 守が本格的に動き始めた。狙われたのは若年層コンビの安路と恵流。どうやら応戦しているらしい。


「もう、どうして男ってこうなのよぉ」


 レジカウンターに身を隠し、明日香は溜息のように呟く。

 

「ワタシも男、同類扱いですか?」

「は、春明さんは特別ですよぉ」


 しまった、失言だった。慌てて訂正する。

 色気を武器に男の力を借りているのだ。不機嫌にさせてはいけない。

 豚もおだてりゃ木に登る、男もおだてりゃ身を挺する。

 生き残るためにもうまく立ち回らないと。


「風向き変わるしたみたいですよ」

「うわっ、マジ!? こっちに来てるじゃん」


 店舗外の様子をうかがうと、通路の先からやってくる人影。二人三脚で肩を組む安路と恵流だ。背後からは血濡れの守が迫る。

 恐らく守の勝利で終わるだろう。

 頭を引っ込め、嵐が過ぎ去るのを待とうとした。

 直後、安路と恵流が書店に転がり込んできた。

 何故こっちに来る。

 盛大にクレームを入れたくなった。争いに巻き込まないでほしい。

 内なる文句も虚しく、追跡者の守も荒々しく入店。距離は残り僅か、金属バットが届く範囲まで迫っている。

 だが、恵流は悪足掻わるあがきを続ける。新刊本を床に崩して侵攻を妨害したのだ。守は本を踏んづけて、ずるりと滑ってすってんころりん。喜劇のバナナ芸も驚きな滑り方で後頭部を強打していた。


「ぷっ」


 思わず吹き出してしまった。

 本を粗末に扱った罰だろう。暴力に対する知力の反抗なのかもしれない。


「あン、誰だ笑ったのは?」


 しかし、不意打ちの面白味が逆境を呼び込んでしまう。

 デスゲームで笑いはつつしむべき。敵に居所を知られてしまうからである。

 明日香は「やらかした」と、自身の口を押さえてみるみる青ざめていく。


「いるんだろ、オイ」

「……っ」

「オレを笑いやがった奴、早く出てこいっつってンだろーが」

「……っ」


 笑い声の主を探し、守は本棚の隙間を確認していく。獲物を探す眼光は段々と、明日香と春明が身を隠すレジカウンターへ迫ってくる。

 大丈夫だ、見つからないはず。たとえ目に映ったとしても、暗所で闇に溶けて判別出来ないだろう。案ずることはない。


「あー、そこにいンのは明日香だな」


 だが、守はピンポイントで名指ししてきた。


「地雷系だか量産型だか知らねーけど、目立つンだよその髪の毛」


 守がホームラン予告のように金属バットを構える。その先端は真っ直ぐ明日香を、レジカウンターからはみ出たピンク色を指し示していた。

 ――ゴシャッ。

 金属バットが台を粉砕し、木の破片がぱっと散る。

 明日香の脳天を狙った一撃だったが寸前で回避。脇目も振らずレジカウンターから抜け出し、慌てて退店する。


「戦場で笑ういけないです。自殺する考えるならワタシ嫌ですよ」


 先に逃げ出していた春明が苦言を呈してくる。


「うっさいわね、あたしだって無意識だったのよ!」


 酷い失態だと自覚はしている。

 だが、女性の失敗をカバーするのが男の、春明の役目ではないか。


「待、て、や、ゴルゥアッ!」


 振り返ると、書店の入り口より、守がスライディングで飛び出してくる。

 どんどん距離を詰められていく。猛獣がすぐそこまでやってきている。

 中年とはいえ肉体労働者、脚力に自信があるようだ。対する明日香の体力は一般人並、しかもハイヒールのパンプスで走りづらい。

 春明が急に左折。直角に“Gene Do”へと入店だ。明日香もそれにならい後に続く。一方の守は勢いを殺し切れず、通路を行き過ぎ引き返してから追ってくる。

 書店と同等の広さを誇る衣料品店には、ハンガーラックがずらりと並んでいる。その高さは百三十センチメートル程度。身を隠すには丁度良く、バリケードとしての役目も果たしてくれそうだ。

 服が絡みつくので、不用意に金属バットを振り回せない。いくら脳味噌のうみそ筋肉でも、不利になる攻撃は躊躇ちゅうちょするはず。


「ウルァアッ!」


 だが、あくまでそれは、明日香の思う脳味噌筋肉の思考である。本物とはかけ離れている。

 守は無心でフルスイング。ハンガーラックを次々ぎ倒していく。服が絡んでも力尽くで振りほどくだけである。


「ちょっと春明、あの馬鹿の相手してよ!」

「斧貸すしてくれるなら、ワルツかジルバ踊るしても良いですけど?」

「はぁ!? 嫌よ、これがないとあたし無防備じゃん!」


 気取ったB級洋画みたいな台詞を吐いて。こちらはか弱い女子なのだ。武器を手放せとは無責任なことを言う。

 と、逃げてばかりの春明に辟易へきえきしていると、


「ひゃっ!?」


 明日香はつまづき盛大につんのめる。

 痛い。左の足首がズキズキする。ハイヒールで走ったせいでくじいてしまったらしい。


「いつつ……っ」


 痛みに顔をしかめ身を起こそうとして、視界の左端に赤が映る。試着室の一つ、そこだけが異様に赤く染まっている。床もカーテンも、トマトを投げ合う祭りをした後のよう。

 血だ。飛び散った血。その中心には玲美亜だった肉塊が転がっていた。

 ごつり、と背後で足音が止まる。

 守が真後ろにいる。

 風切り音。鉄槌てっついが迫る。

 嫌だ。あんな風になりたくない。死にたくない。

 あとはもう反射だった。

 明日香は右斜め前方へ、ハンガーラックを押し倒し、うさぎのような跳躍で、間一髪鉄槌を免れた。


「はぁ、はぁ」


 肩で息をする、鼓動の早鐘が収まらない。

 少しでもタイミングが遅れていたら、明日香は玲美亜の二の舞。手足のへし折れた血まみれマネキンになっていただろう。

 ――ひやり。

 服に埋もれた指先に、鋭い冷たさが突き刺さった。

 明日香は咄嗟に服を振り払い、その物体に驚き、「ひっ」と小さな悲鳴を漏らしてしまう。

 何故、こんな物が服の中に。

 理由も理屈もわからない。

 だが、確かにそれは存在する。


「ほら、これあげるから、戦ってよ春明!」


 服の中にあった物――一本のかまを明日香は拾い上げ、パートナーに手渡す。

 降って湧いた武器なら抵抗はない。それに足を挫いた以上、守から逃げ続けるのは無理がある。ならば春明に戦ってもらうのが一番のはず。

 そんな打算から、明日香は鎌を譲った。

 春明はものの数秒で決心。臨戦態勢に入り、受け取った鎌は左手に、右手でバタフライナイフをはためかせた。


「これでダンスの時間始める出来ますね」


 余談ではあるが、危機に応じて出現したこの鎌、奇跡でも何でもなく、単なる偶然で出てきた物である。

 明日香が押し倒したハンガーラックには、白か黒のTシャツばかり掛けられていた。だが、その中に二着だけ赤いTシャツが紛れていた。その二着の間に鎌が挟まっていたのだ。

 もっとも、この場にいる三人とも、その事実に気付いていないのだが。

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