第三章:INVASION

第21話



 “ヘルノデンタルクリニック”を退店した明日香は、向かいのトイレに寄った後、手斧を小脇に抱えて周囲を見回す。

 イケメンでセクシーな男、春明はどこにいるだろうか。

 彼をボディガードとして雇いたい。お代は女体、性を対価に肉の壁になってもらうのだ。

 全ては自分が生き残るために。


「あ、いるじゃん」


 春明は案外近くにいた。

 すぐ隣の“書天堂”内レジカウンターで読書中だ。余裕なのはお国柄か、それとも荒事に慣れているのか。どちらにしろ、頼り甲斐がありそうだ。


「ね~え、春明さぁん。ちょっといいかな?」


 注文客のようにひょっこりと。明日香は十代頃の猫なで声を再現する。両のわきを締めて胸の谷間をぎゅっと強調。ただでさえ豊満なそれは、よりたわわに実った果実だとアピールする。

 大抵の男はこれでくぎ付け。湧き上がる情欲を抑えられず、ある者は口説こうとし、またある者は前屈みにもじもじする。

 しかし春明は、


「ワタシ、暇に見えるか? 邪魔するよくないですよ」


 興味なさそうに読書を続けている。

 まさかの完全スルーだ。

 刑務所生活で性欲が溜まっているはずなのに。大人の女性を恐れみ嫌う、こじらせ童貞かヘタレロリコン男なのか。それとも、自分の魅力が全盛期より大幅ダウンしたのか。

 後者の可能性が高い。実際三十路みそじが目前に迫っている。アラサーに踏み入れた時点で、女性の武器は年齢と共に目減りすると判断。現在の“真の女性に男はいらない”思想に切り替えたくらいなのだ。

 見通しが甘かった。口惜しさに目尻をひくつかせてしまう。


「えー、聞いて下さいよぉ。あたしぃ、春明さんに頼みたいことがあるんですぅ」

「ワタシに得あるですか? ないでしたらマネキンに聞くする建設的です」

「もちろんお得ですってぇ」


 こうなれば粘り強くゴリ押しだ。

 しつこく喧伝けんでんすれば自然と賛同者が集まり、反対する者も折れて心変わりする。

 そのセオリーを、これまでの活動で学んできたのだ。

 執念深く隙を突き、勝機を見出してみせる。


「春明さんって、とぉ~っても強そうじゃないですか。だからぁ、あたしのことを守ってほしいかなぁって」

「まぁ、鍛えるしましたから。自己流ですけど」


 よし、褒めたら食いついた。

 春明はこちらを一瞥いちべつ二瞥にべつ。目線が興味を示している。


「ほら、なんか不穏なかんじっていうかぁ、守さんの様子が変じゃないですかぁ。また人を殺しちゃいそうな危なさ、みたいな?」

「同意しますですね。今にも血の祭り始めそう感じするです」


 昔から、あの手の輩が苦手だった。

 若い頃は不良、大人になれば「当時はやんちゃだった」と武勇伝。被害者の気持ちはお構いなし。更生したから偉い、というねじ曲がった自己肯定感も性質たちが悪い。まさに自己中心的な人間だ。

 そんな奴に殺されるなんてまっぴら御免。自殺する方がまだマシだ。


「あたしぃ、無事にここから出たいだけなんですぅ。そのために、春明さんとは手を組みたいっていうかぁ」


 というのは建前だ。嘘ではないが本当でもない。

 彼はあくまでも盾代わり。自分が助かるためなら平然と切り捨てる。

 女性はしたたかなのだ。単純な男と一緒にしないでほしい。


「ワタシ、貰える利益は?」

「それは当然、あたしを好きにしちゃっていい権利、ですよぉ。これでもあたしぃ、色んな男の人を楽しませてきたんだもん。きっと満足出来ますよ?」


 核心を突く質問にも迷いなく答える。

 体を売ることに躊躇ためらいはない。それで命が保証されるなら安いものだ。

 これこそ、生まれながらに持つ最高の武器なのだから。


「女性に触れるは犯罪、じゃなかったですか?」

「そ、それは……」


 だが、春明は鋭く矛盾を指摘する。

 自身が掲げる思想と真っ向から対立する、女性の武器の行使。冷静に考えればダブルスタンダード。論破するのは容易いだろう。

 余計なことを口走ってしまった。取り乱したのが尾を引いている。

 どう言い訳すればいいのだろう。大慌てで思考を巡らせていると、


「まぁ、いいです。ワタシが明日香を守るしましょう」


 意外にも、春明は取引に応じてくれた。

 何よもう、焦ったじゃない。

 計画がご破算になったかと肝を冷やした。やはり男はチョロい。性欲優先の単純な生き物でしかないのだ。


「それじゃあ早速、ここで一発しちゃう?」

「いえ、今はしないです」


 かと思えば、がっついてくることもなく。黙々と読書を再開している。


「ま、別にいいけど」


 正直なところ、イケメンとの快楽をむさぼりたかった自分もいる。

 ここ最近、ずっとご無沙汰ぶさただ。「男は不要」と息巻きモテない女性を味方につけるため、異性関係がすっぱ抜かれぬよう我慢の日々。男はケダモノだが、性欲を満たすには必要不可欠だ。自慰じいで済めば苦労しない。

 と、肩透かしに溜息をついた瞬間、口を塞がれた。


「むぐっ!?」


 岩のような手がぴったりくっつき離れない。唇がのり付けされたみたいだ。振りほどけそうにない。

 前言撤回。早速がっついてきた。

 こういう時、力の弱い女性は辛い。男の暴力には対抗出来ない。なすがままだ。やはり男は単純で、卑怯な生き物である。

 侮蔑ぶべつの色で春明を睨みつけると、


「静かに。あなたを襲うしません。クールダウンするの大事です」


 などと供述きょうじゅつしてくる。


「むっ?」

「“Gene Do”から守出てくるました。野球のバット赤い色しているです」

「むぅ!?」

「きっと、玲美亜の血。肉叩きされた確実でしょう」


 どうやら、嫌な予感が当たったらしい。

 遂に守がおかしくなった。このまま全員殺し、自分だけ脱出するつもりなのだろう。


「隠れるしてやり過ごす。それ一番でしょう」

「むぐ」


 春明に従い、レジカウンターの陰に身を縮こませる。体格の良い男と一緒では窮屈きゅうくつだが、文句を言える状況ではない。

 本格的に命懸けのゲームが始まってしまった。泣こうがわめこうが、もう後戻りは出来ないのだ。

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