第20話

「私が悪いんです。私が目を離したから、娘は溺れたんです」

「虐待をしたという認識は?」

「はい、あります」


 裁判では罪を認めた。溺死は事故でも、虐待は間違いなく自分の責任だ。認めざるを得ない。

 しかし、その発端は、


「でも、夫が悪いんです。私を蔑ろにして、娘と遊んでばかりで!」


 全て夫に責任があると主張したのだ。

 何故そうなる、と首を傾げる言い訳である。だが、弁護士はそれを全力で擁護ようご。事件に至った最大の原因は「夫が妻の寂しさを思いれなかった」「育児の大変さを押し付けて、楽しい部分だけ携わっていた」こと、加えて「虐待に気付かなかった夫にも責任がある」とした。

 無論夫側も反論。「寂しさは言い訳にならない」「娘を返してくれ」と必死に訴えた。が、裁判は懲役一年半が落としどころとして終結。夫とは離婚してそれっきりだ。

 出所後は前科者のため再就職に苦労した。能力に見合う仕事にありつけず。職場では相変わらず馴染なじめぬまま。人間関係は最悪。そして、出社中に突然拉致され、デスゲームに参加させられた。

 以上が、玲美亜の半生である。


「私は悪くない、真面目にやってきた。周りの期待に応えられるよう頑張ってきただけ。なのに、どうしてこうなるのよ!」


 生まれてこの方、ずっと人の言う通りにしてきた。それが正しい道だ、きっと幸せになれると信じてきた。

 その結果がこれである。

 努力が報われない社会が全て悪い。

 正直者を騙し責任を取らない世の中の方が狂っている。

 そうやって玲美亜は、自身に関わる全ての失敗を、他人と社会に責任転嫁してきた。自分は被害者だと信じて疑わず、悲劇のヒロインと言い聞かせ続けてきたのだ。


「きっとこれも、あなたの仕業なんでしょう?」


 天井より生える監視カメラに向けて呟く。

 デスゲームを主催した者の正体、その内の一人は察しがついた。

 恐らく元夫だろう。

 玲美亜に恨みを抱く人間は彼しかいない。愛する娘をいたぶり殺されたのだ。彼には玲美亜を苦しめる動機がある。


「待ってなさい。倍返し、いいえ、億倍返しにしてやるわ」


 そう吐き捨てると、玲美亜はレジカウンターを後にする。

 主催者の一人だろう元夫に仕返しをする。そのためにも、武器の一つでも所持しないと話にならない。

 そこで、今度は試着室に目を付けた。

 店内に三つ設置された小部屋。既に一つは入室済みだが、残り二つは手つかずのまま。そこに武器があっても不思議ではない。

 手近な試着室のカーテンを開けてみる。そこには縦長の姿鏡だけ。めぼしい物はない。床や鏡にも仕掛けはなさそうだ。次の試着室も変わらず。ただの個室だ。

 口先を尖らせながら、玲美亜は最後の試着室を訪れる。既に一度使用した場所だが、改めて調べてみよう。駄目で元々、念のための確認だ。

 と、淡い希望を抱いてカーテンを開ける。

 果たしてそこには――何もない。姿鏡に映る玲美亜。血色の悪い地味な中年女性が立っているだけ。その後ろに、一回り大きい男がいた。


「えっ」


 背後に誰かがいる、と反射的に振り向く。

 真後ろにいたのは、鬼気迫る形相で見下ろす守。

 鼻息荒く、よだれを垂れ流し、手にした銀色を振り上げて。

 降下してきた重い塊が、玲美亜の顔面にめり込んだ。

 ぐしゃり、と西瓜すいか割りのような、へしゃげ潰れる音が脳に直接響いてきた。


「うぁ」


 足がもつれて試着室の中へどうと倒れ込む。ひじしたたかに打ちつける。受け身が取れなかった。

 痛い。激痛という言葉すら生ぬるく感じる。娘の出産時とは比べものにならない痛みが、顔から全身へと拡がっていく。

 何が、どうして、こうなった。痛くて思考が働かない。

 こつん、頭頂部に冷たい平面が触れる。鏡だ。

 視界は明滅したまま。起きたことを知ろうとして、総毛立そうけだつ。

 鏡に映るのは水分過多で裂果れっかしたトマトのよう。

 鼻はへし折れ陥没し、くちびるがばっくり縦に裂けている。赤黒くにごった血は止めどなく、壊れた蛇口のように垂れ流し。シックなトップスを情熱的に染め上げていく。

 守に殴られた、金属バットで、思い切り。

 このままでは殺される。


「が、がぼっ。ごぼぼっ」


 助けを呼ばなくては。

 しかし、鼻と口から逆流する血液が気道を塞ぐ。声は出ず息も絶え絶え。うがいをするような音がするばかり。

 溺れる者はわらをも掴む。

 その慣用句通り、玲美亜はすがるように手を伸ばすが、無情なフルスイング。細い指はあらぬ方向へ折れ曲がり、つめが剥がれて血だまりに舞い散る花びらと化す。


「がふっ、いっ、いぶっ!?」


 許して。

 殺さないで。

 命乞いのつもりだが、けものうめきにしか聞こえない。もっとも、たとえ人語だったとしても、守は聞き入れなかっただろう。

 一振り――ぶんっ、ぐしゃ。

 二振り――ぶんっ、ぐしゃ。

 三振り――ぶんっ、ぐしゃ。

 金属バットが玲美亜の肉体を繰り返し殴打する。

 すねを折り、腹を押し潰し、肩を粉砕する。

 逃げるほどに急所を外れ、苦痛の時間が長引くだけ。


「う、ごぼっ……」


 自らの血に溺れて、断末魔すら上げられない。

 娘も死ぬ瞬間、同じ苦しみを味わったのだろうか――と感傷に浸ることもなく、玲美亜はただ自身の一生を恨む。真面目に生きてこの結末は間違っていると、意識が闇の底に沈むまで何度も呪う。

 両親が、教師が、学校が、職場が、社会が、元夫が。

 自分以外の全てが悪いのだ、と。

 悲劇のヒロイン気取りの物語は、こうして幕を閉じるのだった。

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