第15話



 久しぶりに取り乱してしまった。


「はぁ。悪い癖だよね」


 通路を一人歩きながら、明日香は深く溜息をつく。

 思い通りにならないと、我を忘れて泣き喚いてしまう。三つ子の魂百までと言うが、幼少期の癖が抜けないのは厄介である。

 子供時代なら別に良い。泣けば誰かが助けてくれる。口喧嘩で負かされても、こちらが涙を見せれば形勢逆転。それ以上責めてこなくなる。

 しかし、歳を重ねれば逆効果。中学生になると打って変わり、「泣けば許されると思っている女」というレッテルを貼られてしまった。

 その経験から、平常心を保つよう気を張り続けた。自分を押し殺してきた。

 窮屈きゅうくつで生きづらい環境。日々|ほぞを噛む思いだった。


「ホント、酷過ぎて困っちゃう」


 周りは敵ばかり。

 学校だけではない。両親は厳しく学生生活を束縛、就職先でも人間関係が悪化。いつも占いで凶を引いている気分。とかく人に恵まれないのだ。

 酷さといえば、就いた職業も問題である。

 子供と遊ぶのが好きだから保育士になったが、その実態は朗らかなイメージと真逆。命を預かる立場として責任重大で気を抜く暇などない。なのに山のような書類に追われ、ろくに休めず日々睡眠不足。給料が良ければまだしも、得られた賃金はすずめの涙。責任と給料の釣り合わなさに辟易へきえきする。

 と、溜まりに溜まった不満をSNSに吐き出していたのだが、それが人生を変える転機になった。

 共感した人が次々とフォロワーになり、その人気に目を付けた団体に引き抜かれ、あれよあれよという間に同志を牽引けんいんする先導者になったのだ。おかげで自身の思想――生きづらさを抱える世の女性を勇気づける言葉をつづった著書を出版。運勢最悪だった人生が一気に花開いた。

 もう昔の自分には戻らない。

 幸福と充実の絶頂を謳歌おうかし続けるのだ。

 しかし、先程の出来事は衝撃的で、思わず感情が爆発してしまった。

 織兵衛の死のせいではない。それよりも玲美亜の推測した、クリア条件が揃わなくなった方が問題。もう助からない、と絶望しかけたのだ。もっとも、幸いデスゲームは続行、全て杞憂きゆうで済んだのだが。

 しかし、そうなると別の問題が発生する。死体でも“罪を悔い改めし者”扱いなら、他の誰かが皆殺しの手段に出るかもしれない。そうなれば、身を守るすべは絶対必須。だが、明日香は一般女性の平均並の体力しかない。武術にもうとい。ついでに武器もなく、むしろ男性陣が武装している始末。鬼に金棒。襲われればひとたまりもない。


「となると、やっぱ武器だよね」


 そこで明日香が訪れたのは、歯科医院“ヘルノデンタルクリニック”だ。書店とフードコートの間に建てられた小さな区画。白く無機質な外観で、看板にはデフォルメされた歯の絵が描かれている。

 どこかに武器が隠されているはず。

 なんとしても身を守る手段を手に入れなくては。

 本当はクロスボウが欲しかったが、UFOキャッチャーの景品では足踏みしてしまう。プレイ経験はあるが入手出来るか不確定。また、全員がクロスボウの存在を知っており、強力な武器を巡り争奪戦になりかねない。

 そのため、敢えて人が寄りつかないだろう歯科医院にやってきたのだ。


「うわぁ、暗いなぁ」


 院内は一般的な歯科医院と変わらないが、照明が点いておらず薄暗い。狭さも相まりコンクリートの部屋よりどんよりしている。

 待合室を通り抜けて奥へ向かうと、そこには治療用の椅子――ユニットというらしい――が三つ並んでいるだけ。水が出る以外、これといった収穫はなし。武器になりそうな器具は何一つ見当たらなかった。


「空振りかぁ」


 当てが外れた。

 落胆して待合室のソファーに座る。

 またも運のなさが発揮されたらしい。

 忌々いまいましく思いながら顔を上げると、虫歯防止の標語ポスターが目に入った。

 それは小学校低学年くらいの児童が描いたような絵だった。イガイガ虫歯菌の大群を前に、おので退治する子供の様子が描かれている。下部に載せられた標語は“虫歯を倒せ! 武器はお尻の先!”という意味不明な文章だ。

 虫歯防止で何故お尻が出てくる。口と肛門では入れると出す、真逆の穴だ。雑菌の多さから口の方が汚い、という話はあるものの関係ないだろう。


「あっ。これ、もしかして」


 そこでひらめきの電流が走った。

 武器の隠し場所は無駄に凝っているらしい。それならこのポスターも、武器のありかを示すヒントなのではないか、と。


「お尻、お尻、歯医者でお尻……」


 明日香はあまり頭が良くない。なぞなぞも不得手だ。

 しかし、今日は珍しくえていた。命が懸かっているせいだろうか。火事場のくそ力頭脳版かもしれない。自分でも驚きだった。

 歯科医院に似つかわしくないお尻という要素、それが指し示すものとは何なのか。


「あはっ。見ぃつけた♪」


 その答えは、明日香が座っていたソファーの下。

 薄暗い部屋の更に暗い隙間を覗き込むと、そこには斧が隠されていた。手斧と呼ばれる小ぶりなサイズの物だ。


「でも、これだけじゃ心配だよね」


 本来はまき割りに用いる道具。人の頭もかち割れるが、命を奪うのは本来の用途ではない。それに非力な明日香が使いこなせるのかはなはだ疑問。

 やはり協力者――出来れば男の仲間が必要だ。

 現在明日香が提唱する思想では、男は女性の敵で潜在的に皆ケダモノ。しかし今は有事なので話は別。何がなんでも引き入れたい。

 では、誰を味方に付けるべきか。

 選択肢は守、安路、春明の三人だ。

 まずは守。彼は論外だ。野蛮な性格が気に食わない。それに織兵衛を事故死させて精神的に不安定。むしろ、いの一番に襲いかかってきそうである。

 次に安路。彼は悪くない。理屈っぽい性格が鼻につくが、冷静に状況を考察する姿勢は高評価だ。何よりくだんの著書を読んだらしく、その成果を褒めてくれた。しかし、彼は病人だ。身体能力は自分より劣るだろう。それに低身長がマイナス点。女子と変わらぬ体格は男としてどうなのか。

 となると、残るは春明だけだ。彼は外国人らしく彫りの深い端整な顔立ち。しかも高身長で筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの鍛え抜かれた肉体。ボディガードとしても彼氏としても優良物件。服役中の囚人というのがネックだが、彼を味方に引き入れるのが一番得ではないか。


「ふふっ。今こそ、もう一つの武器の使い時かな」


 どんな男でもたちまち無力化する、女性が生まれながらに備えている最終兵器。

 自身の美貌びぼう、そして魅力溢れる肉体。

 三十路みそじを間近に控え化粧で底上げしているが、かつては男が――良くも悪くも――大勢群がり求めたのだ。今だって、その気になれば簡単に籠絡ろうらく出来るはず。

 明日香は自信たっぷりにほほ笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る