第116話  マントヴァへ その三

次の日の夕方、一行はミラノへ着いた。

暮れなずむ空に、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の屋根が見えてきた時、一気に様々な思いが押し寄せ、イザベラは溢れる涙を抑えることが出来なかった。


「すみません。ただ今、帰って参りました。」

暗い教会の中に向かって呼びかけると、燭台を持った尼僧が出てきた。

「まあ、お妃様」

尼僧は叫んだ。

「マントヴァのお妃様がお帰りです。」

尼僧は暗い奥に向かってありったけの声を出した。

それを聞きつけ、あっという間に教会中から修道士や修道女たちが駈け出してきた。

「よく御無事で」

何十人という尼僧や修道士はイザベラたちを取り囲んで泣き出した。

イザベラも涙が止まらなかった。

「馬をお返しに参りました。」

涙を拭きながらイザベラは言った。

「えっ」

皆は驚いた。

「それではフランスまであの馬で」

「いいえ、途中でお預かりいただきました。」

「そんな、わざわざ返しに来て下さるなんて」

「律義すぎますよ。」

修道士も尼僧も驚きの表情でざわめいた。

「ただ」

イザベラはうつむいて笑った。

「お借りしました衣は、モンパンシエ公爵夫人がどうしても欲しいと申しまして・・・これからの人生、心が折れそうになっても、この衣を見たら勇気が湧いてくる、って。

だから、ごめんなさい、お返し出来なくなってしまいました。」

皆は、明るく笑った。

一行が置いて行った物は、全て保管されていた。

「でも、これは皆様に差し上げるとお約束致しましたので。」

「そんなことは知りません。」

「そうです。あれは生きてお帰りになれなかった場合のお話です。」

修道士も尼僧も、持って帰る様、強硬に勧めてくれたので、イザベラは馬と馬車だけ返してもらうことにした。

彼らは、泊まっていくか、せめて食事くらいして行く様、勧めてくれたが、一刻も早くマントヴァに帰らねばならないので、イザベラは辞退した。


ミラノの町の中を行くと、フランス兵に呼びとめられた。通行証書を見せると彼は最敬礼し、そして言った。

「最近、治安が乱れて居りますので、どうかくれぐれも御用心を。」

「まあ」

「特に夜は物騒です。もし天幕をお使いになるのでしたら、この町の近くでは危険です。」

「どうも御親切に」

兵士は敬礼して行ってしまった。

あたりは既に夜のとばりが降りていた。

乱闘でも起こっているのか、あちこちで叫び声が聞こえた。

イザベラはぴたりと馬車の窓を閉めた。

馬車の速度が速まった。 誰も一言も喋らなかった。

と、突然、わあっという怒声が津波の様に押し寄せて来た。

次の瞬間、一気に馬車が傾いて、イザベラは座席から投げ出されそうになった。

無頼漢たちが襲いかかって来たのだ。

「急げ」

アントニオが叫んだ。 御者は必死で鞭を当てた。

「急ぐんだ」

叫びながらアントニオは、馬車に手を掛けた無頼漢目がけて突進した。

恐ろしい鞭のうなりが響いた。

「ああっ」

馬車に手を掛けた男が倒れた。

男たちは怒声を挙げて襲いかかって来たが、アントニオは寄せつけず、馬上で身を躍らせながら、馬車に掛けた無頼漢たちの手を片っ端から鞭で打ちのめして回った。

「急げ」

「行け」

従者たちも一世に鞭を震わせ、踊りかかった。鞭は風を切ってうなり、そのたびに無頼漢たちは叫びを挙げた。

突然、御者が絶叫した。

見ると、馬が仁王立ちになっているではないか。馬は恐ろしいいななきを挙げた。 無頼漢がけしかけたのだ。

「行くんだ」

「行け」

馬は跳ね上がり、馬車は大きく左右に揺れた。

無頼漢たちは一斉に怒声を挙げて襲いかかって来た。

馬車は今にも横転しかけた。

アントニオは突進するや無頼漢を打ちのめし、馬車の馬に乗り移った。

そして、恐ろしい勢いで鞭を当てると、馬車は並み居る無頼漢を弾き飛ばし、全速力で駈け抜けた。

          つづく

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