第115話 マントヴァへ その二
一行は遂に上陸し、サンプロン峠に差しかかった。公道を大手を振って通ることが出来るのだ。
通行証書を見せると役人たちは敬礼し丁重に通してくれた。それを見てイザベラは、感動とシャルルへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
谷間には牛や山羊たちの鈴の音がこだましていた。
イザベラは、あのおばあさんや、ものものしいいでたちで山道を送ってくれた21人の若者たちは、今頃どうしているだろうと思った。もう一度会って、一人一人にお礼を言いたかったが、今は一刻も早くマントヴァへ帰らねばならなかった。イザベラは谷間を見ながら心の中で何度も、有難うと言った。
馬で山道を下りながら、一行はいつかあのお花畑に来ていた。光輝く絨毯を敷きつめた様な可憐な花々。あたり一面がまばゆい光に包まれ、イザベラは夢を見ている様な気がした。
イザベラは、これをエレオノーラに見せたらどんなに喜ぶだろうと思った。
イザベラは馬から降りて、エレオノーラのために花を摘もうとした。
しかし、膝まづいて花々を見ているうちに、やめた。シャルルに言った言葉を思い出したのだ。
本当に、どんな小さな花も精緻で美しい造りをしているのにイザベラは驚いた。
イザベラはそこに神様の愛情の様なものを感じ、心を打たれた。
一行は馬の背に揺られて山を下り続けた。
「お妃様、私はこれから大急ぎでマントヴァへ向かい、一刻も早く殿様にお報せに行きたいのですが、お妃様たちは後からゆっくりお越し下さい。」
アントニオが言った。
「まあ、有難うございます。 でも、通行証書が」
「そんなの無くても平気です。いかせて下さい。」
「いいえ、やっぱり通行証書が無いと危ないです。もう少しお待ち下さい。」
アントニオは一刻も早くフランチェスコに報せたくてうずうずしている様だった。
針葉樹の林に入ると、木々の影が心地よく空気が清々しかった。時折り、鳥の声や枝を渡る羽音がこだました。
長く続いた林を出ると、遂にマジョーレ湖が見えてきた。
一行は馬を速めた。
「おば様」
イザベラは、馬を預けたあの農家に駈け込んだ。婦人は中から飛び出して来たが、イザベラの姿を見ると仰天した。
「あ、あの、どちらのお姫様でいらっしゃいますか?」
婦人は、やっとそう言った。
「おば様、私です。」
イザベラは歩み寄った。
「ほら、この間お世話になりました・・・」
「は?」
「馬をお預かりいただきました・・・」
「まあ」
婦人は絶句した。
イザベラは微笑んだ、今までのことを話した。 婦人は涙に暮れた。
「おば様、これはフランスまで持って行きました指輪です。国王陛下にお会いする時のために持って行ったのです。ブロワのお城で、はめて居りました。」
イザベラは指輪をはずした。
「これを差し上げます。」
婦人は声も出なかった。
「生きて還れるなんて思わなかったのです。この指輪は使命を全うしてくれました。」
「それでも」
「おば様、私はもう一つ指輪を持って参りました。」
イザベラは懐から、お守りにしていたあの母の指輪を取り出した。
「母の形見です。」
イザベラはそう言って、今はずした指に母の指輪をはめた。
婦人は涙ぐんで、掌に乗せられたイザベラの指輪をいつまでも見つめていた。
「おば様、私はよくおば様のことを思い出しました。」
婦人はお茶を注ぐ手を止めて、こちらを見た。
「夜はお寂しくございませんか?」
婦人は、目をうるませながら微笑んだ。
「それが、お妃様、息子が兵隊を辞めて帰って来てくれることになったのです。この秋に。」
「まあ」
イザベラは、我が事の様に喜んだ。
婦人は、預けていた馬たちを連れて来た。
「今度こそ、本当にお別れなんですね。」
婦人は目に涙をいっぱいためた。
「おば様のことは一生忘れません。
戦争が終わったら、またお会いしましょう。」
婦人の手を握りしめながら、イザベラは熱い涙がこみ上げた。
つづく
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