第102話  フランスへ その十三

麓の村で馬を借りると、2時間ほどでローヌ川に着いた。

一行は、そこで川船に乗り換えた。

この川の行き着く先が、フランスの入口リヨンである。 そこでロアールの川船に乗れば、そのまま運命のブロワに着くのであった。


右岸には、ユングフラウが迫っていた。

両岸の緑の向こうに、純白のユングフラウは気高い姿で輝いていた。

気がつくと、左岸には遠くモンテローザ、リスカム、ブライトホルン、そして彼方にマッターホルンが重なる様に見渡せた。

イザベラは、時が経つのも忘れて見続けた。

その時、イザベラは、はっとした。

「サンプロン峠も取り締まりが厳しくなりましたなあ。」

「誠に」

「いや、リヨンの厳しさは比べ物にもならんそうですよ。」

近くの乗客たちが喋っているのだ。イザベラは、思わず彼らの方を見た。

彼らは暫く夢中で喋っていたが、イザベラに気づくと話しかけてきた。

「尼様は、どちらからいらっしゃいました?」

イザベラの顔から血の気が引いた。

「ミラノです。」

「ミラノはどちらの教会ですか?」

「あの・・・サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教」

「いつまで起きていらっしゃるんです。」

不意にアントニオが睨みながら強い口調で言った。

「また、病がぶり返しますぞ。」

「あっ、貴男もサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の方ですか?」

「いえ、残念ながら私は違うんです。

パオラ様、早くお休み下さい。」

言われるままにイザベラは、坐ったまま目を閉じた。彼らは、また話を始めた。

そうするうちに、疲労からイザベラは深い眠りに落ちた。


「パオラ様、パオラ様」

揺り起こされてイザベラは、はっとした。

「お船を乗り換えるんです。」

侍女がささやいた。 あたりは既に夜のとばりが降りていた。

船から降りたイザベラは、思わず立ち尽くした。

眼前に大きな湖が広がっているのだ。 それは、レマン湖だった。

暗い湖面には月光が映え、銀の波が静かに光っていた。

見つめているうちに、来し方行く末のことが胸をよぎり、イザベラは暗い湖面に涙を落した。

「お妃様、船が出ます。」

振り返ると、アントニオだった。

イザベラは、アントニオの後について船に向かいながら、そっと袖で涙をぬぐった。

「これが今日の最後の船なんです。 毎日、あの川船が着くのを待って出ているそうです。」

アントニオは、張りのある声で言った。

この船に乗れば、いよいよリヨンである。

夜の湖を渡る風は冷たく身にしみた。


イザベラは、侍女たちと小さな船室に入ることになった。

「お妃様」

イザベラが部屋に入ろうとすると、アントニオが小声で呼びとめた。

「ここより先はフランスに近く、人とは極力御顔を合わされません様、船室においで下さい。」

「わかりました。」

「到着した暁のことを思うにつけ、今のうちに少しでもお身体をお安め下さい。」

イザベラは、身の引き締まる思いがした。

「我々従者一同は、隣の部屋に控えて居ります。」

アントニオは一礼して走り去った。


船室に入るとイザベラは、忠告に従って、すぐに衣をかぶって横になった。

侍女たちも、ほとんど喋らず、寝たり起きたりしていた。

イザベラは、何度も目を覚ました。強く弱く船に打ち寄せる波の音だけが船室を包んでいた。

何度目かに目を覚ました時は、朝だった。水面の反射する朝日が、窓際の天井にまばゆい光の波を映していた。 イザベラは、それをぼんやりと見つめた。暫くして、イザベラはまた目を閉じた。


夕方、船はリヨンに着いた。

「あれは・・・」

イザベラは絶句した。皆も茫然と立ち尽くした。

                 つづく

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