第97話  フランスへ その八

尼僧や修道士たちが松明をかざしながら教会の裏口へ案内してくれた。

「お妃様、馬は大丈夫でございますか?」

「私は、騾馬(らば)には乗り慣れて居りますが」

イザベラは、少しの間考えた。

「やっぱり馬に致します。」

「大丈夫でございますか?」

イザベラは、笑って言った。

「馬の方が速いですし、逃げる時も心強いですから。」

イザベラは、尼僧や修道士たちの方に向き直った。

「本当にいろいろと有難うございました。

どうか、私たちの置いていきますものは、もうこのまま皆様のお役に立てて下さいませ。」

その言葉に尼僧たちは袖で顔を覆って泣いた。

「お妃様、生きて再び御目にかかれます様、お祈り致します。」

尼僧も修道士たちも涙ながらに言った。


夜の道を馬で行きながら、イザベラは胸を押さえた。懐に母の指輪をお守りに入れているのだ。

「皆さん、よくお似合いよ。」

イザベラが急に明るい声を出すと、初めて皆はこわばった顔に笑みを浮かべた。

「困ったなあ。もっと坊さんのお説教を真面目に聞いて覚えときゃよかったなあ。」

アントニオが僧衣の袖をやんちゃに振り回しながら言うと、皆はどっと笑った。

「ラテン語? ラテン語なんか知らないよ。」

「大丈夫ですわ。 お妃様は当代随一のラテン語の名手だって評判ですもの。」

イザベラは、どきっとした。無我夢中で僧尼の姿に変装したが、誰一人として専門の聖職者の知識など無いのだ。

それでも、イザベラはくよくよ考えないことにした。もはや今となっては、この道より他に無い。

イザベラは、パオラ修道女と名乗ることにした。


一行は、ミラノから北西に向かいアルプスを目ざした。

時は6月下旬。 青い空にまぶしい太陽がやるせなく照りつけた。

一行は午後、マジョーレ湖の南岸にさしかかった。

いよいよこのあたりからアルプスの山麓である。あたりには低い山々が幾つも見えた。つつじやシャクナゲの咲き乱れる岸辺の道を、馬は蹄の音を響かせながら北へと進んだ。


「お妃様、御気分がお悪いのでは?」

「お顔が真っ赤です。」

「大丈夫よ」

イザベラは、喘ぐ様に言った。

「大変です、お妃様が」

イザベラは、そのまま気が遠くなり馬から落ちそうになったところを、間一髪駈けつけたアントニオに支えられた。

          つづく

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