第96話  フランスへ その七

馬車は一目散に教会目ざした。

「もっと速く」

アントニオが叫んだ。

「急げ。」

「あっ、教会だ。」

馬車は一気にサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会へ駈け込んだ。

「お妃様、マントヴァのお妃様ではございませんか。」

尼僧たちが駈け寄って来た。

「詳しいことは後で話します。追われているんです。」

尼僧たちは、慌てて全員を中へ入れた。


「駄目です。」

尼僧が泣きそうになりながら駈け込んで来た。

「『奥方様は馬車でお酔いになり、ただ今臥せって居られますからお引き取り下さい』

と何度もお願いしたのですが、

『ご挨拶申し上げるまでは絶対に帰らない』

と言って、隊長が外で居座っています。」

「ああ」

アントニオは頭を抱えた。 

彼らは食事をしながら今後のことを話し合っていたのだ。

「もう、おしまいだ。」

従者の一人がテーブルに身を投げ出した。

「絶対にここから出られない。」

別の従者が悲痛な声を挙げた。

その時、食堂の扉が開いた。

皆は、総立ちになった。

なんと、イザベラは修道女の姿で現れたのだ。

「これなら大丈夫でしょう?」

イザベラは、明るく微笑んだ。   皆は声も出なかった。

「お妃様、その御姿でアルプスを?」

やっとアントニオが言った。

「そうです。 これでフランスへ行くのです。」

皆は、魂を奪われた様にイザベラを見た。 

尼僧姿のイザベラは神々しいまでの不思議な美しさであった。

「わかりました。私たちも支度して参ります。」

そう言って、アントニオも従者たちも出て行った。


イザベラは、広い食堂に独り残された。

イザベラは、静かに壁に歩み寄った。

そして、「最後の晩餐」を見上げた。 食堂の奥の一段高くなった場所に今、まさに最後の晩餐が行われているかに見えた。

中央のキリストの姿は夕暮れの空を背景に、おかしがたい気高さと孤独をたたえて浮き上がっていた。

イザベラの耳にレオナルドの声が甦った。

この絵の完成を誰よりも待ち焦がれたベアトリーチェ。

従来の「最後の晩餐」の絵とは違い、慰める弟子も無いキリストの孤高の姿を涙を浮かべて見つめていたベアトリーチェ。

イザベラは万感の思いで見入った。

               つづく


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