第92話  フランスへ その三

イザベラは、誰かに呼ばれた様な気がした。

既に日は高かったが、国境まではまだまだあった。

イザベラは、急いで馬車の窓を開けた。

「お妃様。」

若者が、馬を駆って馬車を追って来るではないか。

「まあ、アントニオ殿。」

イザベラは馬車を止めさせた。

「良かった。間に合った。」

「アントニオ殿とおっしゃいましたね。殿が危篤の折りには大変御世話になりました。」

「実は、今朝早く殿様がいらっしゃったんです。」

「えっ」

「うちは、国のはずれで鍛冶屋をやって居りますが、殿様は鍜治場まで訪ねて来て下さっておっしゃいました。」

アントニオは、口をつぐんだ。

「あの、何と」

アントニオは、声を落とした。

「それが、その、『お前はフランス語が喋れるし馬鹿力があるから、ついて行ってやってくれ。』と、そうおっしゃったのです。」

イザベラは、胸がいっぱいになった。

アントニオは、真剣な顔つきになり言った。

「殿様からのおことづてでございます。このたびのことは、出来るだけ人に悟られない様になさいますのが御身のためと。」

イザベラは、目頭を押さえた。

「アントニオ殿、そのことでお願いがございます。」

イザベラは、この極秘の計画をアントニオに語って聞かせた。アントニオは、驚愕して聞いていた。

「かしこまりました、お妃様。」

「あの・・・その呼び方は、ちょっと」

「かしこまりました、奥様。」

イザベラもアントニオも笑った。


馬車は国境を目ざして進み続けた。

イザベラは、もうこの湖や山野を二度と見ることは無いのかと思うと、涙で胸が塞がった。

最期の瞬間まで決して忘れない様に、イザベラは、マントヴァの湖を、野を、木々を、山を、凝視し続けた。

10年間心血注いで愛し続けたマントヴァにイザベラは、心の中で今生の別れを告げた。

                    つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る