第89話  レオナルド・ダ・ヴィンチ その五

1500年が明けた。

肺炎から回復すると、レオナルドはまた素描を描き始めた。

そうしながらも、レオナルドは不安を払いのけることが出来なかった。

「侯妃はこの絵の完成を待って、何か事を起こすつもりだ。

 そして、それは死を意味することらしい。」

レオナルドは、もはやこの国にいることは出来ないと思った。

カンヴァスに向かって描きながらも、いつか手は止まっていた。

「先生、どうかなさいましたか。」

「い、いえ。」

「先生、もしやお体の御加減が」

レオナルドは向き直った。

「お妃様、今日まで黙って居りましたが、私は、実はもうこの国を去らねばならないのです。」

「えっ」

「お許し下さい。この絵を今ここで完成することは出来ません。

 どうか、どうかお待ち下さい。」

「先生、必ず完成して下さいますか。」

「はい、この絵は私の命です。

 私はこの絵に、お妃様の御姿だけでなく、魂まであますなく描いてみせます。」

イザベラの目に涙が溢れた。

「お妃様、待っていて下さい。

 待つ人なくしては、絵があわれです。」


いよいよレオナルドが発つ日が来た。

イザベラは、お城の表玄関まで見送りに出た。

まだ、あたりは暗かった。

「先生、この世に生まれて先生の様な御方にまみえることが出来、私は幸せでございました。」

イザベラは涙ぐんだ。

レオナルドは、何も言えず深く一礼した。

行きかけて、レオナルドは振り返った。

「お妃様、どうかいつまでも、このお城にいらして下さい。」

イザベラは、涙を抑えてうなづいた。

                   つづく


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