第67話  絆 その一

町は活気に輝き、笑い声がお城に甦った。

人々は、この平和を、この幸福を、胸いっぱい深呼吸した。


「これはやっぱりお妃様しか」

「いやよ、私には無理です。」

部屋の中は暖炉の日がとろとろと燃え、イザベラは侍女たちとはしゃいでいた。フランチェスコは椅子に座り、エレオノーラを膝に乗せて微笑みながら事の成り行きを見ていた。

先程から絵のモデルのことでもめているのだ。

フォルノヴォの戦いに出陣する朝、フランチェスコは聖母マリアに祈りを捧げた。 そして、その日の戦でまさに九死に一生を得たのであった。フランチェスコは独り涙を流し、生きて国へ帰ることが出来た暁には必ず立派な聖母画を創り今日の奇跡を後世に伝えます、と誓いを立てた。

奇跡は続いた。タロの戦い、ノヴァーラの戦いと、フランチェスコは何度も死に直面しながら、その度に間一髪救済され続けたのであった。

凱旋すると、フランチェスコは真っ先にこの話をした。マントヴァ中が感動し、熱狂した。そして、その聖母画こそこの国の金字塔にしようという声が高まった。人々はお城に押し寄せ、その絵の中に甲冑をつけたフランチェスコの姿を描き入れて欲しいと請願した。そして、聖母はイザベラをモデルに描いて欲しいと言うのであった。


「私には無理です。 絶対に無理です。」

イザベラは逃げ回った。しかし、侍女たちは許してくれなかった。

おまけに、あの気難しいマンテーニャまでが、どこか乗り気な表情を見せているのだ。この度の聖母画で白羽の矢が立ったマンテーニャは、口では何も言わないが、いつになく楽しげだった。そして、イザベラの顔を見ると、面白そうに笑みを浮かべるのであった。

それでもイザベラは強硬に辞退した。 そして、遂にマンテーニャが、モデル無しで想像によって聖母を描く、と言ってくれた御蔭で一件落着した。

「それなら、殿様と並んでお妃様の御姿を描き入れていただきましょう。

我らがマントヴァ侯妃として。」

我慢のできない侍女たちは、新しい提案を出してきた。

「いいことがあるわ。せっかくそうおっしゃって下さって嬉しいんですけれど、私より、この度の戦では日夜祈祷を捧げて下さったオサンナ修道女様の絵を描き入れていただきましょう。」

ドミニコ会の修道女ベアタ・オサンナはゴンザーガ家の親族の女性で、侯爵家の人々からはマントヴァの守護聖女としてあがめられ、戦や疫病のたびに祈祷を頼まれるのであった。聡明で上品なオサンナ修道女は、不思議な予知能力を持っていると信じられ、各国の王侯からもしばしば請われて御神託を授けていた。 イザベラは、何か困ったことがあればすぐ彼女に相談するのであった。

イザベラは、肩が凝って頭痛がひどい時はオサンナ修道女に祈祷をお願いしていた。

控えめなオサンナ修道女は、イザベラが聖母画の件を話すと目を丸くして驚き

「とんでもございません。  滅相もございません。」

と固辞したが、イザベラは無理矢理頼み込んで話をつけてきた。

フランチェスコの弟たち、ジギスムントとジョヴァンニも絵の中に描き入れられることになっていたが、イザベラの話を聞いて、照れ屋の彼らはマンテーニャに頼み込み、自分たちの代わりにマントヴァの守護聖者たちの姿を描いてもらうことにした。


いよいよマンテーニャは仕事に取り掛かった。 フランチェスコは、早く解放して欲しいから、と言って、真っ先に自分の姿を描いてもらった。

ところが、それが終わってからもフランチェスコは何時になくそわそわと毎日マンテーニャの仕事場へ足を運んだ。イザベラもそれについて行った。

「あっ」

イザベラは、思わず小さく叫んだ。 昨日からたった一日で聖母の姿は見違えるほど出来上がっていた。

聖母の顔を見て、フランチェスコは口を押えて笑った。

「殿! いやです。」

イザベラは、ふくれて見せた。

「ほらほら、そうするとますますそっくりだよ。」

「殿! 怒ります。」

イザベラは、顔を押さえて駈け出して行った。

マンテーニャは絵筆を止め、振り返って笑った。


その日の午後、イザベラはフランチェスコに呼ばれた。

扉を開けると、フランチェスコは独り机の前に坐っていた。

フランチェスコは静かに顔を挙げ、イザベラの目を見た。

「また、戦だ。」

イザベラは全身の力が抜けていくのを感じた。

窓の外には雪が降りしきっていた。

「ナポリへ出兵だ。 ヴェネツィアがフェランテ殿を支援することになった。」

ナポリ国王フェランテ二世は、シャルル八世が退却を始めるや、亡命先のシチリアから捲土重来し、フォルノヴォの戦いの翌日ナポリへなだれ込んだのであった。 フランス軍の略奪に苦しんでいたナポリの人々は熱狂的にフェランテ二世を歓迎し、ナポリの貴族は皆、フェランテ二世の旗の下に結集した。

ナポリ駐屯フランス軍の総司令官モンパンシエ公爵は退却を余儀なくされ、カラブリアの山中に立て籠もった。モンパンシエは、フランチェスコの姉キアーラ・ゴンザーガの夫で、折しもキアーラはマントヴァに来ていた。

「モンパンシエの兄上とは敵味方になってしまった。これも長老のお考えだから、どうすることも出来ない。」

フランチェスコはため息をついた。

強国ヴェネツィアとの関係は、イザベラには分かり過ぎるほど分かっていた。そればかりでなく、イザベラはヴェネツィアの国内にフランチェスコを妬み、失脚を狙う者が沢山いることも知っていた。 イザベラは最近、フランス軍と平和条約を締結したロドヴィコに対する批判がヴェネツィアの国内で高まっていることを聞き、フランチェスコとシャルル八世のヴェルチェッリでのあの会見について彼らが長老に何と讒言するか、不安を禁じ得なくなっていた。

イザベラは、しおれて立っていた。

「年が明ければ、すぐ出発だ。」

フランチェスコはそう言ったきり、沈黙した。

               つづく

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