第60話  イタリア戦争 その六

翌1495年1月、イザベラはミラノを訪れた。 

2月4日、ベアトリーチェに第二公子フランチェスコ・スフォルツァが誕生した。

イザベラは、フランチェスコ坊やを洗礼盤に捧げる役を頼まれて、感激した。

「私も男の子が欲しいな。」

イザベラは、今までからもそう思ったことがあったが、フランチェスコ坊やを見ていると、急にそんな気持ちがこみ上げてきた。

ロドヴィコは連日連夜イザベラのために盛大な宴や野外劇を催してくれた。

また、あのニッコロ・ダ・コレッジオをはじめとするミラノの廷臣たちも数々の素晴しい催しをイザベラのために企画してくれた。

ところが、ベッドに寝ているベアトリーチェは、その様な催しのためにイザベラが枕元を立とうとすると、急に涙を浮かべて寂しがるのだった。

イザベラは、出来る限りベアトリーチェの枕元に坐って話し続ける様に務めた。

「それでは今日はマントヴァの寺院や教会をご案内しましょう。」

ベアトリーチェにマントヴァの湖の白鳥の事を話していると、急にロドヴィコが入って来た。

「お姉様、行ってしまうの?」

ベアトリーチェは目にいっぱい涙を浮かべた。

「お姉さんを困らせてはいけないぞ。」

そう言ってロドヴィコは笑いながらベアトリーチェの頭を撫でた。

「閣下、本当に有難うございます。 でも・・・」

「分かりました。分かりました。ベアトリーチェが寝てから出直しましょう。」

ベアトリーチェの顔がぱっと輝いた。ロドヴィコはもう一度ベアトリーチェの頭を撫でると、イザベラに会釈して出て行った。

ベアトリーチェはやがて眠ってしまった。

しかし、その手にはイザベラの手がしっかりと握られていた。イザベラはその寝顔を見ていると、何故か涙がとめどなく流れた。


ミラノは、宮殿も教会も寺院も、そして町中が素晴らしい建築と絵画でうずめ尽くされています、とイザベラはフランチェスコに書き送った。

イザベラの秘書カピルピは1495年1月28日フランチェスコに次の様な手紙を書いた。

「お妃様がヴェネツィアの大使の御訪問をお受けになりました時の有様を、殿様にお見せ出来なかったのが残念でなりません。大使の御挨拶に対して、お妃様は優雅に堂々と、そして明晰な頭脳をいかんなく感じさせます様なお答えをなさいました。

感激のあまり大使は、自分はこれより後お妃様の忠義なしもべとなります、とおっしゃいました。

この様にして、お妃様に会いにいらっしゃる方々は皆、すっかり魂を奪われてお帰りになります。

中でも最大の賛美者はミラノ公です。ミラノ公はお妃様を『我が愛する娘』とお呼びになり、いつも同じテーブルでお食事をなさいます。

お妃様は殿様のためにも、そして国のためにも、この上なく名誉を高められたと申せましょう。」

イザベラは、自分には不相応でもったいなく思えるほど皆様がよくして下さいます、とフランチェスコに書き送った。


ロドヴィコの切なる要請で、フランチェスコはイザベラに、カーニヴァルをミラノで過ごしてよい、と書いて来てくれた。しかし、次の言葉を添えるのを忘れなかった。

「君がいないものだから、マントヴァ中が不満だよ。」


2月22日、ナポリ王国は陥落した。若きナポリ王フェランテ二世が陣頭指揮で首都を留守にしている間に傭兵隊長が裏切り、門を開いてシャルル八世の軍隊を首都に入れたのであった。

フェランテ二世は一族とともにシチリアへ落ち延びた。


この報せがミラノに伝わると、イザベラは魂の凍える様な思いがした。イザベラにとってナポリは母の国であった。そして、フェランテ二世は従兄だった。華やかなカーニヴァルもイザベラの目には光を失った。

イザベラはナポリの荒廃とアラゴン王朝の悲劇に胸が引き裂かれる思いであった。


カーニヴァルは終わり、いよいよミラノを発つ時が来た。

ロドヴィコはイザベラのために沢山のお土産を用意してくれた。その中でも皆が目を見張ったのは、鳩の刺繍を施した華麗な金襴であった。


「お姉様。」

イザベラが船に乗ろうとすると、急に見送りの人の列からベアトリーチェが駈け出してきた。

「お姉様。」

ベアトリーチェはイザベラのかいなを捉えた。そして、唇を微かに震わせたが、みるみるその目には涙が溢れた。

「また、会いましょう。」

イザベラは涙ぐんでベアトリーチェの目を見て言った。

「本当に・・・本当に、また」

ベアトリーチェは悲痛な声で言った。

イザベラは静かにうなづいた。

             つづく

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