第54話  試練 その十

ストゥディオーロは秋の日差しでいっぱいだった。

イザベラは、窓辺の机で母に手紙を書いていた。 この頃また体調を崩していると先週の手紙に書いてあった。イザベラは今も毎週母に手紙を書き、母も毎週欠かさずくれた。

イザベラは顔を挙げた。秋の湖は刻々と色が変わり、一時もとどまることは無かった。 そして、秋の空は何処までも澄み渡り、見つめていると吸い込まれて行きそうな気がした。

その時、フランチェスコが入って来た。

「イザベラ、今、フェラーラから使者が来た。お母さんの御加減が思わしくないらしいんだ。」

イザベラは驚いて立ち上がった。

「僕は今からフェラーラに行く。君は待っていなさい。」

フランチェスコの声には、思いやりといたわりがこもっていた。イザベラは何も言えずにうなづいた。


1493年10月11日フェラーラ公妃エレオノーラ永眠。 享年43歳。

国中が悲嘆に暮れ、すすり泣く声が満ち満ちた。

フランチェスコは、自分が帰るまで決してこのことをイザベラに知らせぬ様、固く命じた。


イザベラは独りストゥディオーロの長椅子に座っていた。その目は虚ろに窓の方へ向けられていた。

その時、静かに扉が開いた。 見ると、フランチェスコが立っていた。

フランチェスコは一歩部屋の中に入るとそのまま直立して動かなかった。 その顔は蒼白で、唇が微かに震えていた。

「知っているのよ。」

イザベラは、静かにフランチェスコの目を見て言った。

フランチェスコは蒼白のまま、力無くイザベラの横に座った。そして何か言おうとしたが、そのまま唇を震わせた。

「知ってるの。」

イザベラの目にみるみる涙が溢れた。

イザベラはフランチェスコの胸に泣き崩れた。

そして、いつまでもいつまでも泣き続けた。

フランチェスコは、何も言わずにイザベラの髪を撫で続けた。

イザベラは、やがて顔を挙げた。黒い瞳も長いまつ毛も涙に濡れていた。

フランチェスコは、初めて口を開いた。

「間もなく生まれる子供が女の子なら、お母さんの名前をつけよう。」

イザベラは、静かにうなづいた。


1493年12月31日、イザベラに女の子が誕生した。

侯爵家第一子御誕生にマントヴァの国中の鐘が鳴り渡り、祝砲がとどろいた。

そして、約束通り、その子はエレオノーラと命名された。

イザベラは祈った。

「お母様の名と徳が、この子の中に甦ります様に。」

              つづく




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