第9話  聖ジョルジョ祭 その五

「じゃあ、あのニッコロ・デステ殿の夜襲があった時は、妹さんはもうナポリにいたの?」

「いいえ、あれはベアトリーチェがナポリへ行く前の年の出来事だったんです。」

それは1476年の或る夜のことであった。

エルコレ一世の甥ニッコロ・デステが武装した兵士の群れを率いて不意に宮殿になだれ込んで来たのである。

その時、公爵は不在で、公妃エレオノーラは生後間もないアルフォンソを抱き上げると、二人の侍女にイザベラとベアトリーチェを抱かせ、宮殿の地下道を走りに走って間一髪、隣の城砦に駈け込んだのであった。


こうして叔母とお喋りしながらもイザベラは、自分がどんどん野外劇場から遠ざかっていくことを感じて、たまらない気持ちに駆られた。

しかし、イザベラは気を取り直し、今は一刻も早く氷水のお店へ行き、その後、叔母を野外劇場へ引っ張って行こう、と必死で足を速めた。

「まあ、貴方、今年もなさっているのね。」

叔母の声にイザベラは振り返った。叔母は出店の店主と話をしていた。

「これは、これは、モデナの奥方様。」

見るからに人の好さそうな店主は恭しく一礼した。

「いいのよ、今日はそんな堅苦しいことなさらないで。

今、氷水のお店を探していたんですけど、そうね、じゃあ、その前にこちらに入ろうかしら。」

叔母はイザベラに向かって手招きした。

イザベラは思わずため息をつきかけたが、慌てて背筋を伸ばし、微笑んで見せた。

売店の中には簡素な木のテーブルと椅子しか無かったが、店主はその中で一案きれいなテーブルを探し、叔母に丁重に椅子を勧めた。そして、イザベラにも椅子を勧めてくれたので、イザベラは店主の顔を見上げ愛想よく微笑んだ。

その瞬間、店主ははっとした様子でイザベラの顔を食い入るように見つめ、慌てて最敬礼すると出て行ってしまった。

スパゲッティが運ばれて来ると、叔母は子供の様に

「まあ、いいにおい。」

と言って、フォクを取った。いつもなら、こういう時一番はしゃぐのはイザベラだが、今日は胸が詰まる思いがした。しかし、それを見せまいとしてイザベラは必死で笑みを浮かべた。

叔母はまた話し始めた。

「じゃあ、ミラノのロドヴィコ様との御婚約の時も、御本人はナポリにいたの?」

「はい、あの時ベアトリーチェはもうナポリに行って居りました。父はナポリに急使を送って祖父の承諾を取り付けたんです。」

「あれは、随分 昔のことね。」

「ベアトリーチェが5歳の時でした。」

「まあ、そんなに小さかったの? あの時、ロドヴィコ様は28か29歳くらいの青年でいらしたわ。 それはそうと、あの縁談は確か、初めは貴女にと言って来たんじゃなかったの?」

「はい、でも、その一か月ほど前に私はフランチェスコ・ゴンザーガ様と婚約して居りました。それで、父の提案により、ベアトリーチェとのお話が決まったのです。」

そう言いながらもイザベラは、目の前を行く人々の顔を一つ一つ見続けた。時間が経つにつれ、だんだん人の数が増えてきたのが感じられた。イザベラは、フランチェスコが通らないか、目を凝らして見続けた。

                    つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る